このカトマンドゥの仏舎利塔は8世紀に建てられたそうで、1200年にも渡って様々な功徳を人々に与えて来たと想像されます。
チベット人街の中心にあるストゥーパは24時間開放されていて、雨の日でも祠の中で休めます。
ここはブッタの骨が奉られている聖地なので、悪さを働こうとする人はだれも居らず、夜でも安心して過ごせます。
さて、物語ではここで秀祥(シューシャン)が旅人を「学校ボランティア」にスカウトするのですが、彼女は日本語がしゃべれるので日本人ヒッピーを特に多く掴まえるとします。
サラが運営するのは小さな難民の子供向けの学校なので、エネルギッシュな若い先生の方が良く、二十歳位の若者をターゲットとします。
秀祥は16歳の娘盛りで、彼女の誘いを断れる男子はまず居らず、そもそもヒッピーは孤独で時間をもて余しているので、人とのつながりが持てるコトを喜びます。
学校は難民キャンプの中に建てて、それはけっこう街から離れた田舎になります。
ネパールの田舎は大正時代の日本を思わせる趣があり、貧しい山間の村では昔ながらの有機農業が行われています。
サラの学校も相変わらず「食って行くコトが一番の課題」で、授業の半分は農業実習になります。
そこでは堆肥作りが重要なポイントで、一番効果的なのは有効微生群(カルチャー)を動物に与えるコトです。
カルチャーの培養は温泉を活用し、ネパールはけっこう涼しいので温水じゃないとうまく発酵が進みません。
培養には糖分も必要で、これは米を砕いて入れるとし、微生物は小さいので僅かな米でも沢山増えます。
この特別なカルチャーを人と動物が摂取すると、腸内で二次発酵して良い堆肥の元が生まれます。
堆肥作りは嫌気発酵で行うのもポイントで、地面の穴に埋め込んで発酵させます。
これだと外に熱としてエネルギーが放出されないので、効き目の高い発酵堆肥となります。
話が農業に脱線しましたが、サラの学校では何よりも「助け合い」を大事にし、みんな貧しい難民どうしで仲良く暮らします。
人々はトゥルク(転生者)であるサラを特別に敬い、それは当然子供にも影響して、生徒が教師を敬う理想的な教育環境が生まれます。
それは先進国の学校ではまず見られない美しい師弟関係で、ボランティア達も大いにやりがいを感じます。
因みに学校は寄付金で運営されますが、貧乏なヒッピー達からお金を募るようなコトはしません。
その代わりに彼等は祖国に帰ってから「学校ボランティア」の話を大いにして、募金活動に積極的な貢献をします。