今回はいったん物語の背景に戻りまして、キリスト教の「三賢者」が見出したのは実際には「聖母マリア」であり、彼女が居てこそ始めてキリスト(救世主)の誕生を予言できたコトについて語ります。
因みにカソリック教会では「聖母マリア」はキリストよりも格上で、南米に行くとその傾向は更に高まり、もうキリスト教と言うよりマリア教になっている感があります。
それは日本(長崎)に伝わったキリスト教も同じで、男性的な神やキリストよりも、女性に救いをもたらす宗教としてキリスト教は受け入れられて、それは如何に当時の女性達が虐げられていたかを物語るモノとも言えます。
話が私事に脱線しますが、最近わたしは珍しく連休があったので能登から金沢へ小旅行したのですが、その時泊まった七尾市の漫画喫茶で読んだ「それでも、親を愛する子供たち」に出て来る「鬼母」が忘れられません。
これについてここでは「漫画を読んで下さい」としか書けませんが、その凄惨な幼児虐待を受けた子供たちを、如何に立ち直らせるかを「生涯の仕事」とした大人達を描いた、実に良心的な漫画だと推奨して置きます。
もう今回は十分に「エンタングルメント(量子もつれ)」したかと思うので、早くも締めさせて貰いますが、トゥルク(転生活仏)が宿る母親には当然それだけの徳が求められ、そんな「聖母マリア」のような女性を見出すのが「3人の賢者」の仕事とします。