早いもので、去年の3月に「女神のブログ」と題して本格的に「Sunの物語」を描き出してから、もう1年と3ヶ月になります。
この間たびたびパールワティー(八路和提)のブログとして物語って来ましたが、最後にこのマトリョーシカ(入れ子人形)書法を用いたのは去年の11月で、「八路和提の狙い」と題してパールが描いている「十六戦旗物語」がロシアから中国へ波及したコトと、その物語で語ろうとしている「八つの和平提言」について語りました。
この「十六戦旗」というのは、ボブ-デイランの革命歌「チェンジング‐オブ-ガード(攻守交替)」から取っており、そこでは「剣の女王」が革命の指導者として謳われています。
この歌をモチーフにして、世界的な文壇から「剣の女王」と目されるパール-ソルジェニーツィンが近未来のロシア革命を指揮するという物語を紡いで来ましたが、彼女はロシアでは政府にマークされて書けなくなったので中国に逃れて、「八路和提」というペンネームで中国語ブログとして書く道を取りました。
それにはパールをかくまった「女子鉄道突撃隊(実在する)」のリーダー徳流河(勝利の女神ドゥルーガ)の手助けが得られ、彼女が編集者として協力したコトでこのブログは中国で爆発的な人気を得ます。
しかし、徐々に革命色を鮮明に打ち出して行ったブログは中国政府からマークされ、徳流河も「女子革命突撃隊」に改名してウイグルの「再教育中心」を解放する戦いに臨んだので、ルーガは台湾へ、パールはモンゴルへ亡命するコトとなります。
パールはモンゴル遊牧民に助けられてロシアから逃れた経験があり、その遊牧民キャンプの男性と結ばれます。 そこは逃亡したウイグル人達の難民キャンプにも成り、台湾で流河が「富の女神ラクシュミー(楽須弥)」と共に結成した「光復党(ライト‐リバイバル-パーティー)」からの援助を得て、この難民キャンプはモンゴル経済に貢献する働きをします。
これは「十六戦旗物語」で始めに語られる「亡命者の旗」と「少数民族の旗」についての物語に通ずるので、次回に改めて「八路和提」のブログとして物語を再開させます。