真の動物福祉牧場を目指して

少数民族と亡命者の出会い

 予告どおり「美の女神パールワティー」のブログに入る前に、少し私事を書かせて貰います。

 それは昨日ブログをアップ出来なかった理由で、またしてもフードコートで充電中にスマホを盗まれてしまいました。

 わたしは以前にも香港でバックパックを盗られたコトがあり、この街には「廃青(無駄な若者)」と呼ばれる負け組がけっこう居るみたいなので、盗難には十分に気を付けてください。

 一方で香港は世界一金持ちの比率の高い国であり、彼らは主に投機で稼いでいてそれは「世界の半分が飢える」原因になっているので、皮肉を込めて「港猪(香港の豚)」と呼ばれています。

 そうした金持ち連中はたくさん食べ物を食い散らかして残すので、香港は原始仏教の教え「Eat only leftover」をかなり簡単に実践できる街でもあります。

 ここで香港とは対照的に厳しいモンゴル遊牧民の暮らしに話を移して、「八路和提」のブログに入らせて貰います。 --

 

 ーー 五月も終盤になってようやく、モンゴル草原は春の芽吹きを迎え、灰色の荒野は一転して緑の海に変わりました -。

 私はダラムサラーでの史上最大の葬儀の後に、みんなが春のシャングリラ地方の美しさに惹かれ長居している中で、一足早くモンゴルの遊牧民キャンプに帰って来ました。

 それは産んで間もない赤ちゃんをキャンプに残して来たからで、そこには夫の大家族をはじめ、多くのウイグル人女性も居るので全く心配はありませんが、早く夫(テムジン)と子供の元に帰りたい気持ちから私の足は早まりました。

 ここで私とテムジンとの出会いについて少し話させて貰いますと、彼は私の人生において最も大きな試練の時に救いの手を差し伸べてくれました。

 それは私がロシアとモンゴルの間の草原地帯を三日間も彷徨っていた時で、水と食料が尽きて寒さから気力も失い、もうこれまでかと思った時に、彼の犬が私の匂いを追ってやって来てくれました ー。 テムジンとその家族は私をとても温かく迎え入れてくれ、彼らは何者にも縛られずに自然と動物と共に生きており、その自由な暮らしぶりに私は強い憧れを抱きました。

 ところで私には以前から交際のある男性が居り、彼はイギリスの貴族でWWF(世界野生動物保護基金)の総裁を務める方で、私の著作の熱心なファンでもありプロポーズしてくれていました。

 しかし彼(エジンバラ公)は私が危険を冒してロシア政府と対峙するコトには反対で、風光明媚なサウスウェールズのお城で一緒に暮らして欲しいと望んでいました。

 その希望に私は応えられず、こうして電波も電気すら無いテント暮らしを選びましたが、エジンバラ公はこの遊牧民暮らしを観に来て私の選択に理解を示され、援助金も送ってくれました。

 それはもう本当に僅かしか残っていない遊牧民の伝統を守る為で、人と動物との関わり合いを真摯に追及する暮らしに共感されたからでしょう -。

 今回は私事に逸れましたので、私たち亡命者がここモンゴルで立ち上げた事業については次回に語らせて貰います。  --

 

 

 

 

 

 

 

 

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