人類が牛を飼うように成ったのは、メソポタミアで12000年前頃からだったとされます。 それによって人類は狩猟採集生活を卒業でき、「新石器文明」と呼ばれる文明時代に入れました。
牛との共生がそれ程の意味を持ったのは、それにより人類は定住して富を蓄積できるように成ったからです。 およそ15000年前から1万年間栄えた縄文文化も定住はしていましたが、牛は飼わなかったので富は蓄積されず、文明にまでは発展しませんでした。
富の蓄積は必然的に争いを生み人類は戦争も行うように成りましたが、それらは概ね「牛を巡っての争い」でした。 牛は山を拓いて牧場に変える力を持っており(「牛が拓く牧場」)、人類の生活圏を大いに広めました。 更に畑の整地や施肥にも牛は欠かせず、古代に於ける牛は正に文明を支える聖なる動物でした。
インドではこうした古代の記憶が今でも受け継がれており、都市部ではさすがに動力として雄牛を活用する習慣は廃れてしまいましたが、雄牛は街の清掃員としてゴミを食べてくれる存在として、今でも大切にされています。 これはインドの街に寛容的なやさしい雰囲気を持たせており、田舎に行けば雄牛は今でも立派なトラクター替わりです。 いっときは未発展の象徴とされたこの習慣も、今では環境に優しい「カーボンファーミング」として見直されて来ており、動物福祉の観点からもインドは最先端を行ってると言えるでしょう。
次に雌牛に話を移しますと、これは羊のように大人しい動物で牛乳という恵みを人類に与えてくれます。 これについては既に様々な角度から評価を述べて来ましたが、「聖なる恵」という観点から見れば「免疫ミルク」がその最たるモノと言えるでしょう。
ミルクと言うのは云わば「血清」で、そこにはホルモンや抗体が含まれます。 なので例えば雌牛にコロナワクチンを注射すれば、ミルクにはコロナの抗体が含まれて、それを日々飲んでいればコロナを心配する必要は無くなります。 インドの首相が牛の尿を飲もうと国民に勧めたのもこれに通じ、尿も一種の血清で抗体を含んでおります。
古代人はワクチンなど持ちませんでしたが、雌牛と一つ屋根の下で暮らしていたので感染症は自然に伝播し、ミルクに依ってその抗体を得られました。 これは免疫力が弱い子供や老人にとって特に大きな恵みで、「聖なる牛」は人類の健康と長寿を支えてくれました。