今年も咲いたよ。
アマリリス
ひめいわだれそう
ぎぼうし
一昨日から梅雨のお蔭で雨を頂いたので植物がとくに生き生きしているように思います。
これもあまり降りすぎるとよくないのですが・・・・・・・
今日は大雨警報が出ているので心配!
いつも草刈をしているのですが雨でお休みです。
雨降りの家のなかでの仕事を一つ一つこなしていくつもりです。
今日は11時から料理講習会でした。これはお鍋を売っている会社のです。このお鍋を使うと短時間に美味しくできるというお鍋です。私もフライパンと電気フライパンのお鍋を買って重宝しています。
今日作ったのは6品です。
① えのきしゃっきりハンバーグ ② デコレーション寿司 ③ 大豆からめに ④ 簡単ひじき煮
⑤ シメジの和風パスタ ⑥ プリン
の6品を教えて頂きました。1時間でやってしまいます。とてもおいしかったです。
帰ってから一つだけ挑戦してみました。
それは、えのきのシャッキリハンバーグです。鶏肉のこまかくきざんだの300gと家にある大葉を20枚ぐらい細かくきざんで、えのきも2センチぐらいにきざんで調味はおみそ大匙1だけで卵を入れてよくねります。
丸くして大きいままでも小さくしてもいいです。両面をやいてから少し蒸し焼きにします。
おろしを上に載せポンズをかけて頂きます。
孫に美味しいと言われてよかったです。ヘルシイ料理です。
朝から、今日は爺ちゃんの命日でお墓にお参りにいきました。
お花をたむけてきましたよ。
早いもので今年でまる2年になります。いまだに、
忘れることはできません。いつも思い出してしまいます。
でも、月日のたつのは、早やいですね。大分歳をとってきたよ。
爺ちゃんの大好きだった鑛兵さんも爺ちゃんのところにいったよ。
先日、見送りに息子と行ってきましたよ。
爺ちゃんの車まだ乗っているよ。
車に乗ると思い出します。
恵梧も大きくなったよ。
姉ちゃんも頑張っているよ。
ゴルフ人生も終わりだけどもう少し遊ばしてもらっているよ。ありがとう
家の周りの雑草がのびてこまっているよ。
家族全員で頑張っています。心配しないでね。
昼過ぎに従弟の嫁さんから電話があり亡くなったという電話でした。覚悟はしていたものの早すぎる死でした。みつかってから3か月余りお医者さんの言うとおりでした。
腺癌でした。見つかった時には、末期状態でした。肺全体に水が6リットルもたまり、苦しめられました。
どこからわいてくるのかわからないですが、肺のどこかからわいてくるのでしょう。それが腺癌で人間の医学ではどうすることもできない状態でした。
抗がん剤もきかないようです。
主人のイトコさんでいちばん弟さんが先に病にたおれました。元気なときはゴルフがお上手でよくラウンドを一緒にしました。本当に残念です。
彼女から電話が入りまず悔みにいきました。今晩通夜で明日お葬式です。明日参列する予定です。
ご冥福をお祈りします。
あくる日お葬式に行ってきました。ちかくの専称寺で営まれました。きれいに飾られた中でのお葬式でした。
お兄さんがお坊さんなので家族全員でお見送りと葬儀を息子、孫まで葬儀を務めていたのが印象的でした。
弟さんが先に逝ったことでお兄さんもむなしかったと思います。お兄さんお子さんもお医者になっていてみつけたのが、自分の子供だったのです。見つかった時には末期状態だったので本当に残念だったと思います。
亡くなる寸前まで元気だったのです。腺癌は、肺は呼吸ができなくなるのではやかったですよ。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 合掌
ことしも家の前の山でささゆりが咲いていました。朝からとってきて玄関にいけました。
山で咲いているときが自然なのですが、とってきて玄関にいけました。
独特の匂いがします。
この6月頃から7月に向けて咲きます。
音羽地区では、ササユリの種をまいて育てている人もいます。
ササユリなどユリの種蒔きは、種子を採って直ぐに蒔く『採り蒔き』が良いので、時期としては9月下旬~11月下旬が適期となります。
今時分(2月上旬)に播種しても構いませんが、ササユリの種子は播種しても直ぐには発芽せず、
秋に播種された種子は、翌年夏の高温期を経過しないと発芽せず、発芽した種子はは地下で極小の球根を形成するだけで、地上には展葉しません。
その後、地下で形成された球根は冬の低温期を経過しないと地上発芽しない(上子葉休眠)ので、秋に播種して地上に展葉してくるまで、
足かけ3年、正味1年半かかってしまいます。
従って、ササユリを播種される場合のは、この長い期間に枯らさないような『蒔き床』があった方が良いようです。
阿山師友会で京都の旅、今テレビで放映している八重の桜ゆかりの地の散策です。
一番最初は蘆山寺の参拝です。ここは紫式部の屋敷跡といわれており皇室ゆかりの寺。天台宗寺院で正式名称は蘆山天台講寺という。
裏の墓地側には、秀吉が築いた{お土居}と呼ばれる土盛りの後が残る貴重な場所がありました。
次に新島旧邸/新島襄と八重が構えた新居がいまものこされています。和に洋を取り入れた建築様式で昔にしては、斬新なものだったでしょうね。でも狭く感じました。文化財指定になっています。
高瀬川二条苑で昼食でした。たくさん御馳走が並べられていて、昼間あまり御馳走をたべないので胃がびっくりしたことでしょう。おいしかった。
午後からは幕末ミユージアム、・霊山歴史館で幕末時代に活躍した有志たちを称え、沢山の資料でいっぱいでした。昭和45年に設立されました。
めちゃ暑かったけどどうにかみんなのしりをついていけました。
新島亭
今日は、朝突然思いついて大阪の叔母さんに会いに行くことに決めました。それは、前々から爺ちゃんが大阪の叔母さんのことをいつも思っていたのに自分が先に逝ってどうすることも出来なくなったことを心配していたことを思いだしたのです。
爺ちゃんが亡くなってから丸2年たちましたが、今になって叔母さんのことを私も思っていたのでお会いしたいと思い実家の弟に無理を頼みました。丁度草刈り機械の刃をとぎにきてくれたついでにつれってもらいました。
前に妹に無理を頼んでいたのですが、もう決めたのです。
カーナビに住所を設定すると1時間15分ぐらいで到着しました。便利ですね。
迷わずに無事着きました。叔母さんが待ってくれていたようでした、17年振りにお会いして懐かしかったです。
お若い時は教会にお参りしたついでによくよってくれたのですが、お年を召してからは、田舎にはきていただけないので会いに行きました。叔父さんは、爺ちゃんのお父さんの兄弟で大阪でくらしていたのです、男性の背広やモーニングをつくっていました。爺ちゃんの洋服もたくさん作って頂きました。その叔母さんは、93歳で元気に一人でくらしています。
お子さんがいなかったので心配していたのです。叔母さんも今も一人でお元気に暮らしています。私の方が白髪ですよ。
何故か私も歳を取ったので、お会いしたくなったのかなとも思いました。でも、お会いしてすこしらくになりました。叔母さんにあやかりたいけど…・19歳も違うのですが・・・・・叔母さんの方がお若くみえましたよ・・・・・
夜になって訃報が飛び込んできた。4月におこなわれた華の会に出席してなかった彼女が亡くなった。との連絡でした。
私が4月に訪ねた時には、まだ、お元気だったのに寂しくなりました。
彼女は、お元気なときには、三重大学の病院まで車できてみてもらっていました。、私が、爺ちゃんの看病していたときによくであってお話ししたものです。治療をつづけていたのに病はおもかったのですね。
前から聞いていたのは、肝臓が悪いといっていたのです。
絵を描くことが大好きでしたよ。私は一緒に仕事をしたことがないのですが、華の会で一緒にして頂いたのが思い出になりました。
明日通夜にお参りしたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。76歳でした。