今年は、いつも教わっていた編み物のの先生が体をこわされできなかったので、私がネットで探して酉の干支の編み物を
1日で作った編みものです。
来年は酉です。
私自身は後厄になるので来年もあまりいい年ではありませんので自分自信が気をつけないとなにがおこるかわかりません。
人生そろそろ終活になるのであたりをかたずけないといけないのだがなかなかできません
今年は、いつも教わっていた編み物のの先生が体をこわされできなかったので、私がネットで探して酉の干支の編み物を
1日で作った編みものです。
来年は酉です。
私自身は後厄になるので来年もあまりいい年ではありませんので自分自信が気をつけないとなにがおこるかわかりません。
人生そろそろ終活になるのであたりをかたずけないといけないのだがなかなかできません
老人クラブの行事の一環でしめ縄づくりを公民館でおこなわれました。
去年も参加したのですが、ほとんどしてもらったのを頂いて帰ったような気がしますが、今年は、自分の力で頑張って作りました。2本つくりました。
もちわらを20本を3つ用意して最初は20本を右にねじるようにしてあとの20ポンももう一つの20本も右にねじるようにして少し水につけて餅藁を柔らかくしておきます。最初は20本と20本を右にねじるようにして縄をぬいます。それが終わったらもう1本の20本を最初のなわにまきつけぬいます。
この餅藁を用意するのもたいへんです。まだ穂が出ていない餅藁を刈り取って青いのを干して乾かすのです。御苦労さんのことです。餅藁でないとできないのです。1ぽんずつはかまもとってきれいに乾かしてくれてありました。準備も大変なのです。田舎だからできるのだと思いました。
1人ではできないので2人で縫います。
それができたらしでを20本でくくりつけます。20本を3っつくくりつけます。
そのときに角結びでくくります。角結びがむずかしかったです。
しでのまんなかにわ稲穂をさしこみます。
とても力がいるので疲れました。
ほかにとんぼとこのしろのつとをつくっていました。
ほかにうまもつくっていました。
みんな頑張ってつくっていました。
早くお正月がくるといいですね。
今日は友達のお誘いで滋賀県のメタセコイア並木道へ連れって頂きました。
9時30分ごろ家に迎えにきてくれました。
運転手はわたしよりは一回り若い65歳の女性です。
もう一人の人は私を誘ってくれたお方の3人でドライブです。
ただカーナビに頼りながらのあまり計画のないドライブでした。
瀬田の唐橋を通り琵琶湖を北にのぼりまきのの入り口にあるのです。
着いたのは12時すぎでした。
車をおいて200mぐらいあるきました。
メタセコイアは少し紅葉は早かったかなとおもうぐらいでした。
この並木は昭和56年に学童農園「マキノ士に学ぶ里)整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合がうえたのがはじまりですが、組合関係者をはじめとする地域の人々のてによりいつくしまれ、育まれて、その後さらにさらに県道も強調して植栽され延長がのばされたことから現在のこの雄大な姿となったのです。
メタセコイアは中国原産スギ科メタセコイア属の落葉高木で和名はアケボノ杉で最大樹高は115mにも及ぶといわれるセコイアにその姿が似ていることからメタセコイアとなづけられています。
春の芽吹き、新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹、雪花と四季折々に美しい円錐型のメタセコイアの並木とまっ
すぐに延びる道路が作り出す対称形の整った景観は遠景となる野坂山地の山々とも調和し訪れる人々をみりょうしています。
500本うえられ2,4kmにわたっています。
メタセコイアの並木道(滋賀県)
今日は退職してから22年振りに観劇をみにいった。これも妹に誘われたからだった。大阪松竹座です。
会社の運営の中の一つで連れって頂きました。
人生をかけて笑いを愛した吉本せいの物語です。笑いは生きるちからだそうです。
笑いの王国吉本の創始者吉本せいの波乱万丈の人生を藤山直美が演じ切っていました。
大阪船場で三代つづく荒物どんや箸吉に嫁いだ米穀商の娘・せい芸人や寄席に夢中な夫に代わり、生まれたばかりの赤子を抱え、店を切り盛りしてきた。夫が芸人を集めて興行師の真似事を始め店は一気に傾いてしまう。せいは、伯父たちの最期の援助を元手に夫に好きなことで商いをさせることを決意し興行師となる。
三年目の月日が経ち寄席になったものの一流の芸人からは三流の端席といいすてられ世間からも冷たくあしらわられていた。それでも二人は「大阪中の人を笑わせ、必ず日本一の興行師になったる)と励ましあい前向きにいきていく。
寄席数も数十軒に増えた頃、せいは一流の寄席に仲間入りするためには大阪一の噺家・桂春団治を口説き落とさなければならないと考え奉公先か呼び寄せた弟林正之助と共に春団治に直談判をしかける。
その後も幾多の苦難を夫婦二人三脚乗り越えた。夫の急逝後せいはその遺志を引き継ぎ、笑いの王国吉本をきずきあげる。といったはなしのあらすじですがそれまでの苦労は大変だったなとおもいました。
久し振りの生の演劇は心にしみました。
妹と一緒だっとこともよかったです。楽しい一日になりよかったです。
高熱が続き熱が下がらないので病院を5つ回りましたが、それでもわからずじまいで、いつのまにか熱が下がっていたといった感じになりました。
病院にいってもこれといってはっきりわからずじまいで様子をみてみましょう。怖い病名をいただきました。
これもはっきりわからなのでようすをみてみましょうでした。
生まれて初めて直腸の検査をしたらポリープが1つみつかりました。良性か悪性かしらべてもらっています。
病院に行くと病人になりますね。病院の空気は、わたしにはしっとりきませんでした。
今、建ったばかりの最新の病院でしたが、病院はびょういんでした。
人間は自分の力で治す力があるようにおもいます。
あの熱はなんだったの不思議でなりません。
冥途の土産に検査をうけたこともよかったのかなともおもいました。
もう帰れないのかなと思っていたのがすこしよかったなとおもいました。
心配かけました。ありがとう。
今日は市長選挙なので7時頃歩いて投票に行ってきました。
3人立候補しておりますがどうなるのでしょうね。
私にはわかりませんが、いずれもりっぱなお方ばかりですが、市を統制していくには、やはりどなたがやっても御苦労があるはずです。
市のみんながしがよくなって活気ある街にしてほしいものですね。
だんだん人口が減り過疎化になりつつある現在どのような手立てが大切なのでしょうね。
ここだけでなく日本の大きな問題ですね。
素晴らしい街に出来るように例え少しでもと願うばかりです。
紅葉の季節になりました。街路樹の銀杏がひときわめだつようになってきました。
朝晩が冷たくかんじるようになりました。北海道では雪が降っているとか本格的な冬に突入しようとしていますね。
私達は冬支度におおわらわです。
玉ねぎの苗植えやえんどうのまめをうえるのにおおわらわです。
今は大根が少し大きくなってきたので里芋などと一緒に煮ています。
白菜も玉になってきたのでわらでうえをくくろうかなととおもっています。
観葉植物もお部屋に入れて寒さたいさくです。ここ5かげ月ばかり冬じたくです。
人間も寒さにたいしてよりいっそうあったかくしてすごさなければなりません。
もうすぐ、お正月もやってきます。光陰矢の如しですね。
朝は随分冷えてさむかたですよ。
でも日中は暖かかったのと今日は体の調子がいいのでビオラを70本植えました。黄色と紫、うす紫などうえました。自分の体が一体どうなっているのか心配ですが、熱がすこしさがっているので調子がいいのです。早く原因をさがしたいですが、まだれんらくがないのでまっています。きれいにうえましたよ。きれいに咲いてくれることをいのっています。あすはチュウリップの球根を60球植えたいと思います。
あくる日もお天気がよかったのでチュウリップの球根60球と去年の40球ぐらい植えました。
春にはきれいにさいてほしいですが・・・・・・
まわりがすこしきれいになりました。
もうじきネリネのお花が咲くのを楽しみにしています。