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ひと時の黙想 主と歩む365日より マックス・ルケード著 『光と力の源』 Ⅱテモテ3:15

2022-01-17 07:51:04 | 日記
ひと時の黙想 主と歩む365日より
マックス・ルケード著
⑥光と力の源
Ⅱテモテ3:15
また、自分が幼いころから聖書に親しんできたとも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
父よ、私たちに御言葉の大切さを分からせてください。あなたがくださった聖書は、私たちの光と力の源です。そこにある宝を見つける機会を与えてくださり、感謝します。
また、あなたの言葉を聞いたことのない人たちに御言葉を運ぶ人々を、どうぞ祝福してください。
聖書は私の光と力の源です。気分が沈むときも嬉しいときもやはり聖書を見ようと思うのは、神様の愛が聖書を読むと感じるからです。
今日からまた新しい一週間がスタートします。
今週も毎日神様と共に歩み平安があるように愛する主イエス様の御名でお祈りします。アーメン。


聖書通読箇所 申命記2:16-37 神の与えられる地を占領し始めよ… 1/17

2022-01-17 07:40:54 | 日記
聖書通読箇所
申命記2:16-37
2022年1月17日
16 戦士たちがみな民の間から絶えたとき、
17 主は私に告げられた。
18 「あなたは今日、モアブの領土アルを通ろうとしている。
19 アンモン人の近くに行くが、彼らに敵対してはならない。彼らに戦いを仕掛けてはならない。あなたにはアンモン人の地を所有地として与えない。わたしはそれをロトの子孫に所有地として与えたからである。
20 ——そこもレファイムの地だと見なされていた。以前はレファイムがそこに住んでいて、アンモン人は彼らをザムズミム人と呼んでいた。
21 彼らは、アナク人のように大きくて背が高い民で、数も多かった。しかし主がこれを滅ぼされたので、アンモン人がこれを追い払い、彼らに代わって住んだ。
22 それは、セイルに住んでいるエサウの子孫のために、主が彼らの前からフリ人を滅ぼされたのと同じである。彼らはフリ人を追い払い、彼らに代わって住み、今日に至っている。
23 また、ガザ近郊の村々に住んでいたアビム人については、カフトルから出て来たカフトル人が根絶やしにし、彼らに代わって住んだのであった——
24 立ち上がって出発せよ。アルノン川を渡れ。見よ、わたしはヘシュボンの王アモリ人シホンとその国を、あなたの手に渡す。占領し始めよ。彼と戦いを交えよ。
25 今日から、わたしは天下のあらゆる民に、あなたに対するおののきと恐れを抱かせる。彼らはあなたのうわさを聞いて震え、あなたの前でもだえる。」
26 そこで私は、ケデモテの荒野からヘシュボンの王シホンに使者たちを遣わし、次のような友好のことばを伝えた。
27 「あなたの土地を通らせてください。私は大路だけを通り、右にも左にもそれません。
28 食べ物は金で私に売ってください。水も金を取って私に与えてください。それを飲みます。徒歩で通らせてくださるだけでよいのです。
29 セイルに住んでいるエサウの子孫や、アルに住んでいるモアブ人が私にしたようにしてください。そうして、私がヨルダン川を渡り、私たちの神、主が私たちに与えようとしておられる地に行けるようにしてください。」
30 しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、主が彼の心を頑なにし、彼を強気にされたからである。
31 主は私に言われた。「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ。」
32 シホンとそのすべての兵が、私たちを迎え撃つためヤハツに出て来たとき、
33 私たちの神、主は彼を私たちの手に渡された。私たちは彼とその子たちとそのすべての兵を討った。
34 そのとき、私たちは彼のすべての町を攻め取り、すべての町、男、女および子でもを聖絶し、一人の生存者も残さなかった。
35 私たちは、攻め取った町々での略奪物のほかは、家畜を分捕っただけであった。
36 アルノンの渓谷の縁にあるアロエル、およびその渓谷の中の町からギルアデに至るまで、私たちの力が及ばない町は一つもなかった。私たちの神、主がそれらをみな私たちの手に渡されたのである。
37 ただ、あなたはアンモン人の地、ヤボク川の全岸と山地の町々には、私たちの神、主が命じられたとおり近寄らなかった。
31 主は私に言われた。「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ。」
しいて言うならばここかな…
たまに語られないことがあります
神様の約束ってことで。。。


聖書通読箇所 申命記2:1-15 1/16 何一つ欠けたものがなかった

2022-01-16 21:22:39 | 日記
聖書通読箇所
申命記2:1-15
2022年1月16日
1 それから、私たちは向きを変え、主が私に告げられたように、葦の海の道を荒野に向かって旅立ち、長らくセイル山の周りを移動していた。
2 主は私にこう言われた。
3 「あなたがたは長い間この山の周りを移動してきたが、北の方に向きを変えよ。
4 民に命じて言え。あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子ら、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。ただし、あなたがたは十分に注意せよ。
5 彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。
6 食物は彼らから金で買って食べ、水も彼らから金で買って飲まなければならない。
7 事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」
8 それで私たちは、セイルに住むエサウの子孫である私たちの同族から離れ、アラバへの道から離れ、エイラトからも、またエツヨン・ゲベルからも離れて進んで行った。そして、私たちは向きを変えて、モアブの荒野への道を進んで行った。
9 主は私に言われた。「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いを仕掛けてはならない。あなたには、その地を所有地として与えない。わたしはアルをロトの子孫に所有地として与えたからである。
10 ——以前そこにはエミム人が住んでいた。アナク人のようにお大きくて背が高い民で、数も多かった。
11 アナク人と同じく彼らもレファイムであると見なされていた。モアブ人は彼らをエミム人と呼んでいた。
12 セイルには以前フリ人が住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにし、彼らに代わって住むようになった。ちょうど、イスラエルが主の下さった所有地に対してしたようにである——
13 今、立ってゼレデ川を渡れ。」そこで私たちはゼレデ川を渡った。
14 カデシュ・バルネアを出てからゼレデ川を渡るまでの期間は、三十八年であった。それまでに、その世代の戦士たちはみな宿営のうちから絶えてしまっていた。主が彼らについて誓われたとおりであった。
15 確かに主の御手が彼らに下り、彼らをかき乱し、宿営のうちから絶やされたのである。
7 事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」
ここが心に留まりました。
主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。が特にです。
主が私とともにいてくださる。そして何一つ欠けたものがなかった。ということ。
私たちはついあれが足りないとか、明日はどうなるの?とか考えることがあるけど、主が共にいるならば何も恐れるものはない。ハレルヤ!感謝します。



聖書通読箇所 申命記1:19-46 1/15

2022-01-15 21:15:51 | 日記
聖書通読箇所
申命記1:19-46
2022年1月15日
19 私たちの神、主が私たちに命じられたとおりに私たちはホレブを旅立ち、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野、すなわちアモリ人の山地への道を進み、カデシュ・バルネアまで来た。
20 そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるアモリ人の山地に来た。
21 見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」
22 すると、あなたがたはみな私のもとに近寄って来て言った。「私たちより先に人を遣わし、私たちのためにその地を探らせよう。そして、私たちが上って行く道や入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」
23 私にはこのことが良いことと思われたので、私はあなたがたの中から各部族ごとに一人ずつ、十二人を選んだ。
24 彼らは出発し、山地に向かって上って行き、エシュコルの谷まで行き、そこを偵察した。
25 彼らはその地の果物を手に入れ、私たちのもとに持って帰って来た。そして報告をし、「私たちの神、主が私たちに与えようとしておられる地は良い地です」と言った。
26 しかし、あなたがたは上って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。
27 そして天幕の中で不平を言った。「主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出し、アモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられるのだ。
28 私たちはどこへ上って行くのか。私たちの兄弟たちは、『その民は私たちよりも大きくて背が高い。町々は大きく、城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た』と言って、私たちの心を萎えさせた。」
29 それで私はあなたがたに言った。「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。
30 あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主があなたがたのために戦われる。エジプトで、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったのと同じように。
31 また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、主が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。
32 このようなことによっても、まだあなたがたはあなたがたの神、主を信じていない。
33 主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示されたのだ。」
34 主はあなたがたの不平の声を聞いて怒り、誓って言われた。
35 「この悪い世代の者たちのうちには、わたしがあなたがたの父祖たちに与えると誓った、あの良い地を見る者は一人もいない。
36 ただエフンネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与える。彼が主に従い通したからだ。」
37 主はあなたがたのゆえに、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに入れない。
38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアは、そこに入ることができる。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。
39 あなたがたが略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たちや、今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。
40 あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て。」
41 すると、あなたがたは私に答えて言った。「私たちは主に対して罪を犯した。私たちの神、主が命じられたとおりに、私たちは上って行って戦おう。」そして、それぞれ武具を身に帯びて、無謀にも山地に上って行こうとした。
42 主は私に言われた。「彼らに言え。『上って行ってはならない。戦ってはならない。わたしはあなたがたのうちにいないからだ。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。』」
43 私があなたがたにこう告げたのに、主の命に逆らい、不遜にも山地に上って行った。
44 するとその山地に住んでいたアモリ人が出て来て、あなたがたを迎え撃ち、蜂が襲うようにあなたがたを追いかけ、あなたがたをセイルで打ち破り、ホルマにまで及んだ。
45 あなたがたは戻って来て主の前で泣いたが、主はあなたがたの声を聞き入れず、耳を傾けられなかった。
46 こうしてあなたがたは、実際にあなたがたがとどまったとおり、長い期間カデシュにとどまった。
21 見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」
ここが心に留まりました。
恐れてはならない。おののいてはならない。
人はすぐに恐れに支配されその虜になってしまうものですね。私なんてちょっと体調を崩して血液検査しておこうねって言われるだけで、「え!癌?重病?入院?」ってパニックになる(笑)
いつも、全然大丈夫だよ。一週間お薬飲もうねって感じで終わるので結果に感謝ですが、気が小さすぎるのは良くないなって思います。
主が共にいる、護られている、愛されてることを常に意識して元気に生きていきます。


申命記概観 再アップ

2022-01-14 07:47:55 | 日記

バイブルプロジェクト文字起こし 申命記

申命記は聖書の5つ目の書であり、トーラーの最後の書となります。

出エジプトのあとイスラエルの民は、シナイ山に1年留まり神との契約を結びました。

その後彼らは荒野をさまよいながら悲惨な旅を続け、出エジプトをした世代は約束の地に入る資格を失ってしまいました。

申命記はモーセがイスラエルの新しい世代へ律法について説明するところから始まり、この書の構成も目的もここで明らかになります。

申命記はモーセが次世代のイスラエルに対して、神の契約に誠実であれと語る説教集です。

この書の中心は神とイスラエルが結んだ律法です。

その中には新しい律法も含まれますが、多くの律法はシナイ山で結んだ契約の繰り返しです。

これが再び命じるという申命記の名前の由来であり、ギリシャ語ではdeuteronomionデウテロノミオン第二の律法という意味なのです。

さて律法の前後にはモーセの説教が2つあります。

これらは各々二つに分かれていますが、最初の各部分を詳しく見ていきましょう。

1-11章

モーセはまずこれまでの道のりを要約しました。

前の世代が恐ろしく反抗的だったこと、それとは対照的に神が常に恵み深く彼らを荒野で養ったことについて。

確かに神は正義をもって悪を裁きましたが、契約を破棄しませんでした。

次にモーセが新しい世代に向かって契約に対して、親の世代よりも誠実であれと訴える熱のこもった説教が続きます。

モーセは彼らに十戒を思い起こさせ、さらにこのセクションの最も大事なこととして、シェマと呼ばれる有名な言葉を述べます。

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。

主は唯一である。

あなたは心を尽くし、命を尽くし、力を尽くして、あなたの神主を愛しなさい。

(申命記6:4-5)

これはユダヤ教の重要な祈になり、聖書にあるすべてのテーマはここに集約されています。

聞けということばはヘブル語でシェマですが、これは単に耳で聞くだけでなく聞いたことに応答せよ、つまり聞き従えという意味になります。

また愛せよということばもヘブル語では、単なる感情的な愛ではなく意志と感情と思考と思いのすべてもって、自分を神に捧げるという決断のことです。

イスラエルにとって神に従い、自分をささげることにはさらに大きな意味がありました。

イスラエルは律法に従うことによって、他の国とは違う特別な民となるからです。

神がシナイ山でイスラエルは祭司の王国になると言いました。

ここでモーセはイスラエルが律法に従うことによって、神の知恵と正義を世界中に示すことができると説明しました。

シェマのもう一つの重要な要素は、イスラエルは主ただお一人に従い仕えるために召されているということです。

主はイスラエルが礼拝し従うべきただお一人の神ということです。

イスラエルが入ろうとしているカナンには多くの偶像がありました。

太陽をはじめ天気の事象などの被造物、あるいは性や戦争をかたどった神々です。

これらの神々を拝むことは人間の尊厳を貶め、共同体を破壊するものだとモーセは教えました。

しかし創造主であり贖い主であるイスラエルの神を礼拝するなら、命と祝福に導かれるのです。

さて申命記の中心にはたくさんの律法が記されており、それらはテーマ別で大まかに分類されています。

12-16章前半

最初のセクションはイスラエルの神の礼拝の仕方について。

イスラエルの民の中心には唯一の神が礼拝される宮があります。

また貧しい者を顧みることも神への礼拝でした。

たとえばイスラエル人は毎年10分の1を宮に捧げていましたが、別に10分の1は取り分けておいて3年ごとに貧しい人へ分け与えられたのです。

こういった律法はイスラエル人の正義についての感覚を近隣諸国のそれよりずっと優れたものにしましたが、それはすべて神への礼拝と結びついた行為だったのです。

16後半-18章

次のセクションは長老、祭司、王といったイスラエルのリーダーたちの資質について述べています。

彼らはみな律法の権威の下にあり神は彼らが責任を果たせるように、預言者を送って律法を守らせると言いました。

つまり王自身がまさに神であり法律であった近隣諸国とは違って、イスラエルの指導者たちは律法と預言者の下にある存在だったのです。

19-26章

次の大きなセクションは民の生活についての律法で、その内容は結婚、家族、仕事、そして未亡人や孤児、移民をどのように守るかといった社会正義についてです。

最後はさらに礼拝についての律法で締めくくられています。

さてこれらの律法を理解する上で気を付けるべきことがあります。

まずこのシナイ契約は現代の私たちとは全く違う文化を持つ、古代のイスラエル人に与えられたものだということです。

ですからこれ現代の律法と比較しても意味がありません。

むしろこの律法はイスラエルをアッシリアやバビロンといった近隣諸国とは違う存在にしておくためのものだったのですから彼らの法律と比べてみるべきです。

そうすれば厳しすぎるとか奇妙だと思われた律法が突然違って見えてくるはずです。

つまり神はイスラエルを正義においてかつてないほどの高い基準を持った国にしたのです。

最後に一つ一つの律法の根底にある、原則的な知恵や正義を見極めようとすると非常に深いものが見えてきます。

これは聖書の別の書からも学べます。

第Ⅰコリント9:9

使徒パウロが申命記25:4を引用し律法の真意を問うているとても興味深い箇所です。

さてモーセの最後の説教を見てみましょう。

27-34章

彼は全ての律法を述べた後、イスラエルに対して神に聞き従い神を愛せと命じました。

モーセはまず警告したあと、もしイスラエルが聞き従うなら神からの豊かな祝福があるだろう。

しかし聞き従わず逆らうなら、飢饉、疫病、荒廃がもたらされ最終的には約束の地から追放されるだろうと言い渡しました。

そしてモーセは今日私はあなたがたの前に、命と死、祝福と呪い、善と悪を置く。

だから神である主を愛し、聞き従い命を選びなさいと言って決断を迫ります。

しかしモーセは私の死後あなたがたは神に逆らい追放されるだろうとも言いました。

残念な話ですがこの民と何十年も共に過ごしてきたモーセにとって、彼らにあまり期待できないことは明白だったのです。

しかし希望もあります。

モーセはイスラエルはさまよってもやがて心に割礼を施し、心と魂を尽くして神を愛し生きるようにさせてくださる神に立ち返ることができると言ったのです。

このことはイスラエルの民の致命的な欠陥を表しています。

彼らの心は頑なですが実はこれは全人類に共通しており、元をたどればエデンの園での反逆に行き着くのです。

人は神の権威を奪い取り、善悪の判断を自分でしたいと願った結果神の善き世界を台無しにしました。

しかし神はいつの日か人の心を作り変え、彼らが真心から神に聞き従い愛し、真の命に導かれるようにしてくださるとモーセは言ったのです。

この心が新しくされるという約束は、後に預言者エレミヤとエゼキエルによっても語られます。

モーセは警告と祝福を語って説教を終えると山に登り、死を迎えトーラーも終わりを迎えます。

聖書のストーリーは全部並べられていますが、何一つ解決がありません。

悪を打ち砕く女の子孫はいつ来るのでしょうか。

神はどのようにして全世界を救い、アブラハムの子孫を通して全ての国を祝福してくださるのでしょうか。

また神の聖なるご性質は絶えず反抗する民と、どう折り合いをつけられるのでしょうか。

そして神はどのようにして人の心を変えてくださるのでしょうか。

答えはまだ先を読まなければわかりませんが今日はここまで。

これが申命記です。