今日はここからですね。
旧北国街道はあのガード下をくぐります。
ごくり
むっちゃ天井低いぞ!
はいー!!
へい味方の本 щ(゚ー゚щ)カモーン!
ココです。
今日は津幡だ。
旧街道は向こうに見えるあの道につながるのであるが、
今は田んぼで道は消えています。
ただ・・・
この上に伸びる道は明らかに新しいルートなので、
ひょっとすると旧道はこの左脇に逸れて走っていたのかもしれません。
運動公園の中を通り、
運動公園を抜けてから工場横を通過。
ココです。
丘の上を走ってましたがこれより下がって集落に出ます。
さらに進んで、
次の集落で右手に見えてきたのは、
小さなお堂? 中を見ることはできなかったけど気になる~
左には津幡川の支流
味方の本によると、
このあたりに、かって一里塚があったとあります。
一里塚・・・
いちりづかは、旅行者の目印として街道の側に1里(約4キロ)毎に設置した塚(土盛り)である。
塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。
残念だが旧北陸道で石川県内の一里塚はほとんど現存していない。
このあたり杉瀬と呼ばれ、かっては津幡川の水運で栄えたらしい。
しばらくいくと踏切があって。
すぐ近くに駅。
中津幡駅、無人駅です。
ややこしいが、こちらはJRの七尾線。
北陸新幹線金沢開業に伴いIRいしかわ鉄道が開設され、県内でのJR線は金沢駅以西と津幡からの七尾線となるのだ。
旧北国街道は、津幡の街中に入りました。
パピイって・・・
津幡は交通の要所でありました。
味方の本には、能州往還道とともいわれた能登街道との分岐点でもあったと書いてあります。
そして、この交差点で直角に左折!
カクン!
ココですな。
旧街道はこれを左折して進むのだが、この近くには重要な城があったので寄ってみます。
あそこですね、
少し高台をのぼります。
のぼりきって、先ほどの交差点を見る。
あそこだ。
津幡城です。
ここには、
津幡ふるさと歴史館「れきしる」があります。
その裏手に、
為広塚。
ふむふむ
そして館内にも入ります。
入館料は100円(安っ)
津幡といえば、発掘された加賀群牓示札です。
現存する日本最古のお触書です。
こんなイメージ
(ネット情報より)
「加賀郡牓示札」(かがぐんぼうじふだ)・・・律令政府が人々に向けて出した命令に、加賀国と加賀郡がそれぞれ文書を付け、加賀郡が郡内の村の有力者に宛てて出した命令書です。平安時代の前半にあたる嘉祥年間(848〜851年)に書かれました。その用途は、禁令などを交通の要衝に掲示し、律令政府の命令を広く伝達するもので、いわば古代のお触れ書であることがわかりました。
こんな感じで発掘されたとのことです。
何が書かれているかというと、
「朝早く起きて夕方遅くまで田んぼで働け」
「好き勝手に魚を食ったり酒を飲むな」などと書いてあります。
きびし~
あと倶利伽羅合戦ですね。
さて「れきしる」を出て、先ほどの交差点に戻る。
クワガタショップ・・・
旧街道を進みます。
おやど通り。
金沢から出発すると、この津幡が最初の一泊目になる。
よって宿が多くあったのです。
津幡川です。
対岸に大きなお寺があります。
たしか、吉本興業の月亭方正(山崎邦正)さんの親戚のお寺とか、
加賀神社?
周辺を探したんだけどみあたらなかった。
このあたりは集落の中を進みます。
太田地区
しばらく行くと視界が開け、田んぼが広がります。
旧街道は金沢に入ります。
今回はこれだけ進んだことになります。
グーグルマップではこう
次回は金澤森本編につづく。
メイン画面に戻る
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
旧北国街道はあのガード下をくぐります。
ごくり
むっちゃ天井低いぞ!
はいー!!
へい味方の本 щ(゚ー゚щ)カモーン!
ココです。
今日は津幡だ。
旧街道は向こうに見えるあの道につながるのであるが、
今は田んぼで道は消えています。
ただ・・・
この上に伸びる道は明らかに新しいルートなので、
ひょっとすると旧道はこの左脇に逸れて走っていたのかもしれません。
運動公園の中を通り、
運動公園を抜けてから工場横を通過。
ココです。
丘の上を走ってましたがこれより下がって集落に出ます。
さらに進んで、
次の集落で右手に見えてきたのは、
小さなお堂? 中を見ることはできなかったけど気になる~
左には津幡川の支流
味方の本によると、
このあたりに、かって一里塚があったとあります。
一里塚・・・
いちりづかは、旅行者の目印として街道の側に1里(約4キロ)毎に設置した塚(土盛り)である。
塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。
残念だが旧北陸道で石川県内の一里塚はほとんど現存していない。
このあたり杉瀬と呼ばれ、かっては津幡川の水運で栄えたらしい。
しばらくいくと踏切があって。
すぐ近くに駅。
中津幡駅、無人駅です。
ややこしいが、こちらはJRの七尾線。
北陸新幹線金沢開業に伴いIRいしかわ鉄道が開設され、県内でのJR線は金沢駅以西と津幡からの七尾線となるのだ。
旧北国街道は、津幡の街中に入りました。
パピイって・・・
津幡は交通の要所でありました。
味方の本には、能州往還道とともいわれた能登街道との分岐点でもあったと書いてあります。
そして、この交差点で直角に左折!
カクン!
ココですな。
旧街道はこれを左折して進むのだが、この近くには重要な城があったので寄ってみます。
あそこですね、
少し高台をのぼります。
のぼりきって、先ほどの交差点を見る。
あそこだ。
津幡城です。
ここには、
津幡ふるさと歴史館「れきしる」があります。
その裏手に、
為広塚。
ふむふむ
そして館内にも入ります。
入館料は100円(安っ)
津幡といえば、発掘された加賀群牓示札です。
現存する日本最古のお触書です。
こんなイメージ
(ネット情報より)
「加賀郡牓示札」(かがぐんぼうじふだ)・・・律令政府が人々に向けて出した命令に、加賀国と加賀郡がそれぞれ文書を付け、加賀郡が郡内の村の有力者に宛てて出した命令書です。平安時代の前半にあたる嘉祥年間(848〜851年)に書かれました。その用途は、禁令などを交通の要衝に掲示し、律令政府の命令を広く伝達するもので、いわば古代のお触れ書であることがわかりました。
こんな感じで発掘されたとのことです。
何が書かれているかというと、
「朝早く起きて夕方遅くまで田んぼで働け」
「好き勝手に魚を食ったり酒を飲むな」などと書いてあります。
きびし~
あと倶利伽羅合戦ですね。
さて「れきしる」を出て、先ほどの交差点に戻る。
クワガタショップ・・・
旧街道を進みます。
おやど通り。
金沢から出発すると、この津幡が最初の一泊目になる。
よって宿が多くあったのです。
津幡川です。
対岸に大きなお寺があります。
たしか、吉本興業の月亭方正(山崎邦正)さんの親戚のお寺とか、
加賀神社?
周辺を探したんだけどみあたらなかった。
このあたりは集落の中を進みます。
太田地区
しばらく行くと視界が開け、田んぼが広がります。
旧街道は金沢に入ります。
今回はこれだけ進んだことになります。
グーグルマップではこう
次回は金澤森本編につづく。
メイン画面に戻る
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
なんかミーハーで嫌なんだけど、
2~3日は「カメラを止めるな!」にハマりそうである。
ネットでも関連情報をばかり検索してしまってます。
製作費が300万円。
出演者も無名ばかり、
最初の上映館も2館のみ
こんなパンデミック映画、今までありました?
(拝借)
ただ、昨晩見終わった時は、
大変面白くで満足したんだけど、一度の観賞だけでいいかなとも思っていた。
だが一日経っただけで、
あのシーンをもう一度見たいなぁとか感じるようになってきていました。
なんなんだろうこの感じ。
もしかすると、もう一回くらい映画館行くかもしれない・・・
だとするとこれも生涯はじめて、(県内上映初日に観賞したのも初)
オイラ今まで映画というものに、
面白いと笑いとか期待してなかったので、
(かっこよさとか感動を求めていました。)
今回はほんとうにいい意味で裏切ってくれました。
それから盗作疑惑の件も原案と原作で揉めてるらしいが、
いろいろ調べてみると、まったく盗作にあたらないと思うわ。
監督さんや出演者の方々の今後の活躍に期待しちゃうし応援したくなるよね~。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
2~3日は「カメラを止めるな!」にハマりそうである。
ネットでも関連情報をばかり検索してしまってます。
製作費が300万円。
出演者も無名ばかり、
最初の上映館も2館のみ
こんなパンデミック映画、今までありました?
(拝借)
ただ、昨晩見終わった時は、
大変面白くで満足したんだけど、一度の観賞だけでいいかなとも思っていた。
だが一日経っただけで、
あのシーンをもう一度見たいなぁとか感じるようになってきていました。
なんなんだろうこの感じ。
もしかすると、もう一回くらい映画館行くかもしれない・・・
だとするとこれも生涯はじめて、(県内上映初日に観賞したのも初)
オイラ今まで映画というものに、
面白いと笑いとか期待してなかったので、
(かっこよさとか感動を求めていました。)
今回はほんとうにいい意味で裏切ってくれました。
それから盗作疑惑の件も原案と原作で揉めてるらしいが、
いろいろ調べてみると、まったく盗作にあたらないと思うわ。
監督さんや出演者の方々の今後の活躍に期待しちゃうし応援したくなるよね~。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
ここにきてどうしても見てみたい映画がある。
今話題の
カメラを止めるな!
です。
拝借
これは見たい
ぜひとも見たい
一刻も早く見たい
ようやく本日から県内上映なのでさっそくネット予約して今夜遅くカミさんと見に行きます。
正直いうと、お隣の富山県の方が早く公開していたのでわざわざ行こうかとも考えたほどである。
この映画、悪い評価を聞いていないので期待できると思ってます。
最近になって盗作疑惑も出てきましたが、
その記事を見ちゃうとネタバレになるので避けていました。
映画を見た後でオイラなりに検証したいとも思います。
それにしても久しぶりの楽しみなのだ
次回はオイラ的映画評価を
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
今話題の
カメラを止めるな!
です。
拝借
これは見たい
ぜひとも見たい
一刻も早く見たい
ようやく本日から県内上映なのでさっそくネット予約して今夜遅くカミさんと見に行きます。
正直いうと、お隣の富山県の方が早く公開していたのでわざわざ行こうかとも考えたほどである。
この映画、悪い評価を聞いていないので期待できると思ってます。
最近になって盗作疑惑も出てきましたが、
その記事を見ちゃうとネタバレになるので避けていました。
映画を見た後でオイラなりに検証したいとも思います。
それにしても久しぶりの楽しみなのだ
次回はオイラ的映画評価を
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
最近、図書館で過去に出版された地元紹介本なんかを借りる場合があります。
新幹線開業後の華やか金沢本よりも、
オイラはこっちの方が面白かったりする。
これは「知られざる北陸路」
著者:今川千栄子
北国出版社
昭和45年3月1日発行
昭和45年ってオイラが生まれてまもなくの頃です。
この今川さんって女性ながら相当の方だったようです。
バスガイドをされていました。
それでも読んでみて今とは違うのは、
すべて公共交通機関を使っての移動なのだ。
今では廃線となった路線がたくさんある。
例えば著者も倶利伽羅峠に行ってるんだが、
電車とバスと徒歩なんだよねぇ、これは大変だと思う。
こう書いてある。
三個のにぎりめしを持参する。金沢から高岡行きのバスに乗り天田峠で下車した。
護摩堂跡の平地に腰をおろしているのが私一人である。五分間で三つ作ったにぎりめしを広げた。
実においしい。谷間からウグイスの声があたりの静けさを破って響き渡る。そんなに遠くへ来てないのに別世界へ来たような感じがする。雨上がりの若葉のあざやかさが心にくい入るように私をとらえてはなさない。
この写真も興味がそそる。
倶利伽羅峠のどこになるのかなぁ、
今度探してみようかな。
まえがきにこう書いてある。
「愛することは積極的に知ることである。」
かくして私は休日を利用し、わずかな資料を片手に知られざる北陸路の北から南へ旅情を求めて、気ままに散策をした。
まったく同感、まさにオイラも似たようなことをしているのだ。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
新幹線開業後の華やか金沢本よりも、
オイラはこっちの方が面白かったりする。
これは「知られざる北陸路」
著者:今川千栄子
北国出版社
昭和45年3月1日発行
昭和45年ってオイラが生まれてまもなくの頃です。
この今川さんって女性ながら相当の方だったようです。
バスガイドをされていました。
それでも読んでみて今とは違うのは、
すべて公共交通機関を使っての移動なのだ。
今では廃線となった路線がたくさんある。
例えば著者も倶利伽羅峠に行ってるんだが、
電車とバスと徒歩なんだよねぇ、これは大変だと思う。
こう書いてある。
三個のにぎりめしを持参する。金沢から高岡行きのバスに乗り天田峠で下車した。
護摩堂跡の平地に腰をおろしているのが私一人である。五分間で三つ作ったにぎりめしを広げた。
実においしい。谷間からウグイスの声があたりの静けさを破って響き渡る。そんなに遠くへ来てないのに別世界へ来たような感じがする。雨上がりの若葉のあざやかさが心にくい入るように私をとらえてはなさない。
この写真も興味がそそる。
倶利伽羅峠のどこになるのかなぁ、
今度探してみようかな。
まえがきにこう書いてある。
「愛することは積極的に知ることである。」
かくして私は休日を利用し、わずかな資料を片手に知られざる北陸路の北から南へ旅情を求めて、気ままに散策をした。
まったく同感、まさにオイラも似たようなことをしているのだ。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
お盆連休最終日です(あ~悲し)
本日小松鵜川で開かれる石切り場カフェに行って来ました。
前もってカミさんが予約していたんです。
小さな集落の臨時駐車場。
たくさんの方が来ているようです。
整理券をもらって、しばし鵜川公民館で待機します。
少し離れた石切り場でのキャパを計算してのことでしょう、入場制限をしているのです。
「130番までの方どうぞ~」の声がかかる。
石切り場は歩いて行きます。
しばらく行くと受付テントがあって、ここで予約確認を受けます。
このイベント、金沢学院大学の学生さんと地元の方々が一生懸命やってる手作り感が大変よかったです。
あそこへ階段で登るらしい。
階段前の待機場所の木に果実が実っていた。
「すっぱそ~」
いよいよ入ります。
涼しい風が坑内から流れてきます。
おぉ~!
本日だけの石切り場カフェ
ワクワクです。
まずは、石切り場内の見学コースを歩きます。
地下水が溜まっている光景が神秘的です。
へぇ~
とにかく涼しくて冷蔵庫の中にいるようでした。
向こうに灯りが
そして、カフェエリアに到着。
何種類かのお店が出ていました。
いいね。
コーヒーとケーキを注文。
テーブルに座ってると、時折天井岩から水滴が
一服してから外に出ます。
ふむふむ
すごい場所でした。
まだ時間があるんで
石つながりで
同じ小松の滝ケ原へ向かいました。
向こうに見えるのは西山石切り場跡
まるで神殿のようです。
この滝ヶ原はアーチ石橋群が有名です。
丸竹橋
これです。
もう少し上流へ行くと
石の里水と緑のふれあい公園があって
されに300m上流にオイラのお気に入りの東口橋があります。
いいね。
水もきれいだ。
パシャ
最後に、鵜川石切り場でもらった「KOMATSU STONE BOOK」より抜粋。
日本遺産に認定された「こまつの石文化」、
小松は鉱物の宝庫で弥生時代では碧玉の管玉や翡翠の勾玉が作られた。
江戸時代では小松城の本丸やぐら台で鵜川石も用いられた。
江戸後期には尾小屋鉱山、遊泉寺銅山などが開発、
明治以降は九谷焼やアーチ型石橋、そして石を使ったさまざまな石蔵、石塀が出来る。
午後しばらくして石の町をあとにした。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
本日小松鵜川で開かれる石切り場カフェに行って来ました。
前もってカミさんが予約していたんです。
小さな集落の臨時駐車場。
たくさんの方が来ているようです。
整理券をもらって、しばし鵜川公民館で待機します。
少し離れた石切り場でのキャパを計算してのことでしょう、入場制限をしているのです。
「130番までの方どうぞ~」の声がかかる。
石切り場は歩いて行きます。
しばらく行くと受付テントがあって、ここで予約確認を受けます。
このイベント、金沢学院大学の学生さんと地元の方々が一生懸命やってる手作り感が大変よかったです。
あそこへ階段で登るらしい。
階段前の待機場所の木に果実が実っていた。
「すっぱそ~」
いよいよ入ります。
涼しい風が坑内から流れてきます。
おぉ~!
本日だけの石切り場カフェ
ワクワクです。
まずは、石切り場内の見学コースを歩きます。
地下水が溜まっている光景が神秘的です。
へぇ~
とにかく涼しくて冷蔵庫の中にいるようでした。
向こうに灯りが
そして、カフェエリアに到着。
何種類かのお店が出ていました。
いいね。
コーヒーとケーキを注文。
テーブルに座ってると、時折天井岩から水滴が
一服してから外に出ます。
ふむふむ
すごい場所でした。
まだ時間があるんで
石つながりで
同じ小松の滝ケ原へ向かいました。
向こうに見えるのは西山石切り場跡
まるで神殿のようです。
この滝ヶ原はアーチ石橋群が有名です。
丸竹橋
これです。
もう少し上流へ行くと
石の里水と緑のふれあい公園があって
されに300m上流にオイラのお気に入りの東口橋があります。
いいね。
水もきれいだ。
パシャ
最後に、鵜川石切り場でもらった「KOMATSU STONE BOOK」より抜粋。
日本遺産に認定された「こまつの石文化」、
小松は鉱物の宝庫で弥生時代では碧玉の管玉や翡翠の勾玉が作られた。
江戸時代では小松城の本丸やぐら台で鵜川石も用いられた。
江戸後期には尾小屋鉱山、遊泉寺銅山などが開発、
明治以降は九谷焼やアーチ型石橋、そして石を使ったさまざまな石蔵、石塀が出来る。
午後しばらくして石の町をあとにした。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
さあて行くぞ~!石川県内の旧北国街道を踏破するのだ。
オイラの強い味方を紹介しよう。
へいщ(゚ー゚щ)カモーン!
まつお出版「北陸街道紀行」松尾一 著 である。
参考になる文章もいいのだが、手書きで描いてある地図がルートを特定するのにわかりやすく大変ありがたかった。
オイラはこいつを味方の本と呼ぶのさ
スタートは、越中富山との県境の倶利伽羅峠から。
赤矢印からである。
ここでの旧街道は、まさに昔の姿そのままである。
ここは県内の旧北国街道でも最高の場所ともいえる
100m程度のこの場所は、ほぼ昔のままの姿といえよう。
オイラ何度も来ているお気に入りの場所です。
横にある石標は小矢部市となっています。
ここはまだ越中国ということですね。
帰って家で詳しく県堺を調べてみると、
どうやらここが県境のようです。
こんな感じで。
それでは旧北国街道加賀国スタート!
加賀に入るとすぐに左手に公園がありました。
そこに立っていたMAP看板。
(国境を描き込み(^^)/)
この倶利伽羅峠一帯は石川・富山両県が共同で旧街道の整備を行っています。
このあたりのこと味方の本によりますと、
倶利伽羅不動長楽寺という大伽藍があり塔頭も多くあったが。しかし江戸時代の火災や明治初期の廃仏によって廃寺となり、
今日では不動寺や手向神社、石仏など石造品で偲ぶばかりである。
江戸時代にはいわゆる宿場はないが、参勤交代の際の加賀藩主の休憩所となっていた。
右側に長い階段。
登ると、4社の石殿があります。
これは加賀藩5代藩主前田綱紀が寄進したものです。
旧街道に戻って進みます。
右手に見えてきました。
手向神社と倶利伽羅不動寺(伽の字を迦と表してますね)
かっこいい。
手向神社です。
建物内には石堂神殿が入ってるとのこと。
さっきの四社とあわせて五社になります。五社権現。
そしてその奥に、日本三大不動尊の倶利伽羅不動寺です。
旧街道に戻り、しばらく下りていくと、
加賀国最初の集落があり4~5軒のお宅がありました。
さらに少し行くと左に逸れる道がありそちらへ進みます。
歴史国道と。
その細い道を進むとなにやら看板が
馬洗い場跡とある。
かってここには湧き水を利用して馬を洗う場所があったという。
しばらくいくと、高台に開けた場所が
龍ケ峰城跡とあります。
登っててみよう。
えっほえっほ
へぇ~
おぉ~!ここは眺めがいいね。
遠くに津幡の平野が見えます。
ふむふむ
この城跡をあとにしてさらに進むと分かれ道に出る。
ここには道番人屋敷があったとあります。
簡易な関所みたいなものかね。
右の道が旧街道だ。
このあたりも昔の姿に近いんだろう。
おや、左手に看板があるぞ
一騎討跡とは、
これは興味ある場所です。
先を進もう。
雰囲気あるねぇ
あそこが旧街道のようです。
むむ!
車は進めません。
やっぱりいるのか・・・
いざ!
階段で下っていく。
一応持つか
今日は快晴なのだが、この道は薄暗い・・・
えっほえっほ
滑って転ばないように
このあたりを前坂と呼ばれ、大勢の兵士が身を隠せる地形、急こう配は戦略攻防の要所となったところです。
何かある!
石が入ってるのか?
前抜権現と書いてあります。
先が明るくなってきたぞ
そろそろこの林道も抜けるね。
いぇ~い
このお地蔵さんは旧街道時代のものでしょうね。
旅人の安全を祈ってくれたんですかね
しばらく行くと集落に入ります。
このあたりの集落は竹橋宿です。
ここには竹橋口の道の駅があります。
源平合戦、倶利伽羅の戦いの案内板もあって、
わかりやすい!
源氏軍の樋口隊がぐる~と周って背後から攻撃したんだ
倶利伽羅の戦いといえば・・・
火牛
さて今日はここまでです。
次回はあのガード下をくぐります。
はい、味方の本では赤矢印まで来ました。
今回これだけ進みました。
グーグルマップではこう
次回は津幡編です
メイン画面に戻る
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
オイラの強い味方を紹介しよう。
へいщ(゚ー゚щ)カモーン!
まつお出版「北陸街道紀行」松尾一 著 である。
参考になる文章もいいのだが、手書きで描いてある地図がルートを特定するのにわかりやすく大変ありがたかった。
オイラはこいつを味方の本と呼ぶのさ
スタートは、越中富山との県境の倶利伽羅峠から。
赤矢印からである。
ここでの旧街道は、まさに昔の姿そのままである。
ここは県内の旧北国街道でも最高の場所ともいえる
100m程度のこの場所は、ほぼ昔のままの姿といえよう。
オイラ何度も来ているお気に入りの場所です。
横にある石標は小矢部市となっています。
ここはまだ越中国ということですね。
帰って家で詳しく県堺を調べてみると、
どうやらここが県境のようです。
こんな感じで。
それでは旧北国街道加賀国スタート!
加賀に入るとすぐに左手に公園がありました。
そこに立っていたMAP看板。
(国境を描き込み(^^)/)
この倶利伽羅峠一帯は石川・富山両県が共同で旧街道の整備を行っています。
このあたりのこと味方の本によりますと、
倶利伽羅不動長楽寺という大伽藍があり塔頭も多くあったが。しかし江戸時代の火災や明治初期の廃仏によって廃寺となり、
今日では不動寺や手向神社、石仏など石造品で偲ぶばかりである。
江戸時代にはいわゆる宿場はないが、参勤交代の際の加賀藩主の休憩所となっていた。
右側に長い階段。
登ると、4社の石殿があります。
これは加賀藩5代藩主前田綱紀が寄進したものです。
旧街道に戻って進みます。
右手に見えてきました。
手向神社と倶利伽羅不動寺(伽の字を迦と表してますね)
かっこいい。
手向神社です。
建物内には石堂神殿が入ってるとのこと。
さっきの四社とあわせて五社になります。五社権現。
そしてその奥に、日本三大不動尊の倶利伽羅不動寺です。
旧街道に戻り、しばらく下りていくと、
加賀国最初の集落があり4~5軒のお宅がありました。
さらに少し行くと左に逸れる道がありそちらへ進みます。
歴史国道と。
その細い道を進むとなにやら看板が
馬洗い場跡とある。
かってここには湧き水を利用して馬を洗う場所があったという。
しばらくいくと、高台に開けた場所が
龍ケ峰城跡とあります。
登っててみよう。
えっほえっほ
へぇ~
おぉ~!ここは眺めがいいね。
遠くに津幡の平野が見えます。
ふむふむ
この城跡をあとにしてさらに進むと分かれ道に出る。
ここには道番人屋敷があったとあります。
簡易な関所みたいなものかね。
右の道が旧街道だ。
このあたりも昔の姿に近いんだろう。
おや、左手に看板があるぞ
一騎討跡とは、
これは興味ある場所です。
先を進もう。
雰囲気あるねぇ
あそこが旧街道のようです。
むむ!
車は進めません。
やっぱりいるのか・・・
いざ!
階段で下っていく。
一応持つか
今日は快晴なのだが、この道は薄暗い・・・
えっほえっほ
滑って転ばないように
このあたりを前坂と呼ばれ、大勢の兵士が身を隠せる地形、急こう配は戦略攻防の要所となったところです。
何かある!
石が入ってるのか?
前抜権現と書いてあります。
先が明るくなってきたぞ
そろそろこの林道も抜けるね。
いぇ~い
このお地蔵さんは旧街道時代のものでしょうね。
旅人の安全を祈ってくれたんですかね
しばらく行くと集落に入ります。
このあたりの集落は竹橋宿です。
ここには竹橋口の道の駅があります。
源平合戦、倶利伽羅の戦いの案内板もあって、
わかりやすい!
源氏軍の樋口隊がぐる~と周って背後から攻撃したんだ
倶利伽羅の戦いといえば・・・
火牛
さて今日はここまでです。
次回はあのガード下をくぐります。
はい、味方の本では赤矢印まで来ました。
今回これだけ進みました。
グーグルマップではこう
次回は津幡編です
メイン画面に戻る
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
今日は金沢駅西で会合があったので、
早めに行っちゃって周辺をブラつきました。
金沢市姉妹都市公園。
ここがSNS映えする公園だと前に聞いたことがあったので寄ってみた。
金沢市と姉妹都市提携した7つの都市を紹介するコーナーがある公園です。
ぐるりと周ってみるか
ちなみに7つの都市とは、
蘇州市(中国)
イルクーツク市(ロシア)
バッファロー市(アメリカ)
ポルト・アレグレ市(ブラジル)
ゲント市(ベルギー)
ナンシー市(フランス)
全州市(韓国)
です。
駐車場から一番近い入口に入ると、
出てくるのは中国の蘇州市です。
いきなりすごいね、
この岩の穴がまたいいのぞき穴で
なんかワクワクする演出だね
うん面白い
いいね。
次は、イルクーツクです。
極寒の土地の小屋ですかね。
次はアメリカのバッファロー市だ。
アメリカンバッファロー像か
滝がイメージなのかな。
次は、ブラジルのポルト・アレグレ市
なんか伝説の人のようです。
次いでベルギーのゲント市です。
はい。
次はフランスのナンシー市
へぇ~
ヨーロピアンガーデン
最後は、韓国の全州市です。
なるほど
なかなかいい公園でした。
さて会場近くの金沢駅へ行こう。
特急しらさぎです。
時計台駐車場の屋上から
北陸新幹線が入ってきました。
普通列車も来たよ。
こっちは、
工事中のハイアットグループのホテルです。
なんかおしゃれなホテルだそうで、
金沢港口(駅西口)から
このモニュメントは石川の字を表してんだよね。
レンコンの蓮と金沢駅西口
いいね
兼六園口(東口)に周ります。
鼓門
辰巳用水の水だとか
多くの観光客がバス乗り場で待っています。
どこへ行くのかな
地下へ
浅野川線乗り場
浅電(あさでん)が待機中。
今日も天気は良し
やっぱ金沢駅はかっこいいと思います。
ひゃあー会合の時間だ~!!
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
早めに行っちゃって周辺をブラつきました。
金沢市姉妹都市公園。
ここがSNS映えする公園だと前に聞いたことがあったので寄ってみた。
金沢市と姉妹都市提携した7つの都市を紹介するコーナーがある公園です。
ぐるりと周ってみるか
ちなみに7つの都市とは、
蘇州市(中国)
イルクーツク市(ロシア)
バッファロー市(アメリカ)
ポルト・アレグレ市(ブラジル)
ゲント市(ベルギー)
ナンシー市(フランス)
全州市(韓国)
です。
駐車場から一番近い入口に入ると、
出てくるのは中国の蘇州市です。
いきなりすごいね、
この岩の穴がまたいいのぞき穴で
なんかワクワクする演出だね
うん面白い
いいね。
次は、イルクーツクです。
極寒の土地の小屋ですかね。
次はアメリカのバッファロー市だ。
アメリカンバッファロー像か
滝がイメージなのかな。
次は、ブラジルのポルト・アレグレ市
なんか伝説の人のようです。
次いでベルギーのゲント市です。
はい。
次はフランスのナンシー市
へぇ~
ヨーロピアンガーデン
最後は、韓国の全州市です。
なるほど
なかなかいい公園でした。
さて会場近くの金沢駅へ行こう。
特急しらさぎです。
時計台駐車場の屋上から
北陸新幹線が入ってきました。
普通列車も来たよ。
こっちは、
工事中のハイアットグループのホテルです。
なんかおしゃれなホテルだそうで、
金沢港口(駅西口)から
このモニュメントは石川の字を表してんだよね。
レンコンの蓮と金沢駅西口
いいね
兼六園口(東口)に周ります。
鼓門
辰巳用水の水だとか
多くの観光客がバス乗り場で待っています。
どこへ行くのかな
地下へ
浅野川線乗り場
浅電(あさでん)が待機中。
今日も天気は良し
やっぱ金沢駅はかっこいいと思います。
ひゃあー会合の時間だ~!!
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
午前10時頃に倶利伽羅から帰ってきて、今日はこれからPC前でビールでも飲みながら、のんびりブログでも作ろうかと思いきや、
またまたカミさんが「どっか連れていって」ときた。
しかも津幡の河北潟のひまわり村行きたいという。
今、津幡から帰ってきたんやけど・・・
オイラはなんとなく嫌な予感がしながらも
カミさん&娘を連れて再出発したのだ。
河北潟にあるひまわり村着いたぞー!
じゃ~ん!
全部しおれてるー!!!!
ひまわりの時期はすでに終っていたのだ・・・。
せめてもの一枚、パシャ
しょぼい・・・
そうだ、たしか河北潟には冬ソナ通りと呼ばれる素敵な場所があるはず!
そこへ行ってみよう!
おー!!
着いたー!
・・・で、
なんかビミョー
そりゃそうか、今は真夏、冬ソナの世界は到底無理なんだわ
スマホで周辺のポイントを探してみると、
水辺公園なるものを発見。
これに期待するぞぉー
おー!!!
着いたー
しょぼー!!!
桟橋が一つだけぽつんとあるだけ、もはや娘は車からも降りて来ません
気を取り直して、かほく市方面へ
貝塚の看板を見つけた。
行ってみよう!
(おー!の声はもはや無い・・・)
よそ様のお庭の先に、
それはあった。
これまたしょぼー!!!
もはやカミさんも降りてきません。
ここは気分転換に昼食をとります。
のと里山海道の高松SAにて、オイラは能登豚カツカレーを
これは旨かったよ
ここから眺める日本海はしょぼくなくすごく良かった。
やはり白波が立つと絵になるね。
最後に向うは・・・、
オイラのリクエストで・・・、
モーゼパーク!
伝説の森と呼ばれています。
早くも嫌な予感って
(宝達志水町 施設紹介より)
モーゼは40年の歳月をかけユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。モーゼパークはそんな聖者モーゼが眠る伝説の森。ロマンの小路をぬけ、モーゼの墓を見渡すミステリーヤードにたたずめば、幾千年からの時空を超えた世界が見えてくるかもしれない。
古い集落のその奥に
その場所はありました。
伝説の森モーゼパークは、
これです・・・。
最大級のしょぼー!!!
まぁオイラわかってましたけどね
いろいろ残念情報は得てましたから・・・。
マップをみると先があるので、オイラだけ進みました。
当然カミさん娘は車内待機です。
フンいいさ、オイラは一人進むぞ
それがどーした!
おっ記帳所あるんだ。
こっちか・・・
なんか・・・・空しくなってきた
残念情報を知ってるだけに、この先の結果も風景もわかっているのである・・・。
すでに汗だくになっているが、それでもそのまま進む価値は・・・・、
ない!
ということで引き返しました
(あっさり)
車内に戻ったオイラ、待機していた二人には
「なかなかの場所だった」と言ってやったわい
今回は時期外れによって、しょぼスポットばかりだったけど、
ここで見る青空とその風景は、
バッチグーでした。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
またまたカミさんが「どっか連れていって」ときた。
しかも津幡の河北潟のひまわり村行きたいという。
今、津幡から帰ってきたんやけど・・・
オイラはなんとなく嫌な予感がしながらも
カミさん&娘を連れて再出発したのだ。
河北潟にあるひまわり村着いたぞー!
じゃ~ん!
全部しおれてるー!!!!
ひまわりの時期はすでに終っていたのだ・・・。
せめてもの一枚、パシャ
しょぼい・・・
そうだ、たしか河北潟には冬ソナ通りと呼ばれる素敵な場所があるはず!
そこへ行ってみよう!
おー!!
着いたー!
・・・で、
なんかビミョー
そりゃそうか、今は真夏、冬ソナの世界は到底無理なんだわ
スマホで周辺のポイントを探してみると、
水辺公園なるものを発見。
これに期待するぞぉー
おー!!!
着いたー
しょぼー!!!
桟橋が一つだけぽつんとあるだけ、もはや娘は車からも降りて来ません
気を取り直して、かほく市方面へ
貝塚の看板を見つけた。
行ってみよう!
(おー!の声はもはや無い・・・)
よそ様のお庭の先に、
それはあった。
これまたしょぼー!!!
もはやカミさんも降りてきません。
ここは気分転換に昼食をとります。
のと里山海道の高松SAにて、オイラは能登豚カツカレーを
これは旨かったよ
ここから眺める日本海はしょぼくなくすごく良かった。
やはり白波が立つと絵になるね。
最後に向うは・・・、
オイラのリクエストで・・・、
モーゼパーク!
伝説の森と呼ばれています。
早くも嫌な予感って
(宝達志水町 施設紹介より)
モーゼは40年の歳月をかけユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。モーゼパークはそんな聖者モーゼが眠る伝説の森。ロマンの小路をぬけ、モーゼの墓を見渡すミステリーヤードにたたずめば、幾千年からの時空を超えた世界が見えてくるかもしれない。
古い集落のその奥に
その場所はありました。
伝説の森モーゼパークは、
これです・・・。
最大級のしょぼー!!!
まぁオイラわかってましたけどね
いろいろ残念情報は得てましたから・・・。
マップをみると先があるので、オイラだけ進みました。
当然カミさん娘は車内待機です。
フンいいさ、オイラは一人進むぞ
それがどーした!
おっ記帳所あるんだ。
こっちか・・・
なんか・・・・空しくなってきた
残念情報を知ってるだけに、この先の結果も風景もわかっているのである・・・。
すでに汗だくになっているが、それでもそのまま進む価値は・・・・、
ない!
ということで引き返しました
(あっさり)
車内に戻ったオイラ、待機していた二人には
「なかなかの場所だった」と言ってやったわい
今回は時期外れによって、しょぼスポットばかりだったけど、
ここで見る青空とその風景は、
バッチグーでした。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
早朝に出掛け、先ほど倶利伽羅峠から帰ってきた。
いろいろ撮影してきたのさ。
なぜか・・・?
ブラオイラで「街道をゆく」として22回(+1回)にわたって県内の旧北国街道を紹介した企画シリーズがあります。
オイラはこのシリーズが好きで、毎回ワクワクしながら富山県(越中国)境から福井県(越前国)境まで歩きました。
各編急いで作ったこのブログ記事をリメイクとまでは言わないが、きちんと作って残そうと思いまして、
早速今朝、倶利伽羅編の部分の写真を撮ってきたところなのです。
今ある記事をベースに、必要な部分を加え、不要な部分を削除しながら
新たな写真も加えて、より良い作品記事にしたいと思っています。
そもそもこの街道の名前はなんと呼ぶのか?
オイラも最初は北陸街道や旧北陸道としたり後半は旧北国街道と全体的に不統一となっています。
実際各地の看板も津幡では旧北陸道だったし、松任では旧北国街道でした。
はっきりいって正解がわかりません。
参考になる本も多種にわたっており、加賀街道なんて呼ぶ場合もあります。
これを「旧北国街道」と統一したい。
これが一番オイラ的にはしっくりくる。
リメイクすることで、違和感が出る部分もあるでしょう。
正月より始まったこのシリーズは最初の写真には雪が写っているので、補充される写真では夏草生い茂るのが混ざります。
天気も晴れの日に撮影していきたい。
それに倶利伽羅編では重要な倶利伽羅不動寺を完全に無視したりしてました。
ただ街道を突き進めばいいというわけではなくて、当時から今も残る周辺の物々を紹介していくのも重要だと思うのであります。
半年たっただけで変更部分もあるかもしれません、
前の記事ではこう書いた部分も、
-------------------------------------
看板が倒れている。
津幡町さ~ん、倒れてますよ~!
-------------------------------------
今日行ったらこのようにきちんと直っていた。
こういう個所は、その部分を削除して修正したい。
メインページから各編にリンクで飛ぶスタイルとして22ある各編を20弱に集約したい。
スタンプや顔文字(^^)/を多く加えて読んでて楽しくしたい。
おそらく、
完成するのに1年くらいかかるから、工事中としながらも各編完成した都度都度でアップしていきたい。
とにかく石川県内という限定的ではあるけれど、
旧北国街道を一番わかりやすく、細かく、ていねいに紹介する
そんなブログ記事を作り残したいのだ。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
◎味方の本(書籍紹介)
いろいろ撮影してきたのさ。
なぜか・・・?
ブラオイラで「街道をゆく」として22回(+1回)にわたって県内の旧北国街道を紹介した企画シリーズがあります。
オイラはこのシリーズが好きで、毎回ワクワクしながら富山県(越中国)境から福井県(越前国)境まで歩きました。
各編急いで作ったこのブログ記事をリメイクとまでは言わないが、きちんと作って残そうと思いまして、
早速今朝、倶利伽羅編の部分の写真を撮ってきたところなのです。
今ある記事をベースに、必要な部分を加え、不要な部分を削除しながら
新たな写真も加えて、より良い作品記事にしたいと思っています。
そもそもこの街道の名前はなんと呼ぶのか?
オイラも最初は北陸街道や旧北陸道としたり後半は旧北国街道と全体的に不統一となっています。
実際各地の看板も津幡では旧北陸道だったし、松任では旧北国街道でした。
はっきりいって正解がわかりません。
参考になる本も多種にわたっており、加賀街道なんて呼ぶ場合もあります。
これを「旧北国街道」と統一したい。
これが一番オイラ的にはしっくりくる。
リメイクすることで、違和感が出る部分もあるでしょう。
正月より始まったこのシリーズは最初の写真には雪が写っているので、補充される写真では夏草生い茂るのが混ざります。
天気も晴れの日に撮影していきたい。
それに倶利伽羅編では重要な倶利伽羅不動寺を完全に無視したりしてました。
ただ街道を突き進めばいいというわけではなくて、当時から今も残る周辺の物々を紹介していくのも重要だと思うのであります。
半年たっただけで変更部分もあるかもしれません、
前の記事ではこう書いた部分も、
-------------------------------------
看板が倒れている。
津幡町さ~ん、倒れてますよ~!
-------------------------------------
今日行ったらこのようにきちんと直っていた。
こういう個所は、その部分を削除して修正したい。
メインページから各編にリンクで飛ぶスタイルとして22ある各編を20弱に集約したい。
スタンプや顔文字(^^)/を多く加えて読んでて楽しくしたい。
おそらく、
完成するのに1年くらいかかるから、工事中としながらも各編完成した都度都度でアップしていきたい。
とにかく石川県内という限定的ではあるけれど、
旧北国街道を一番わかりやすく、細かく、ていねいに紹介する
そんなブログ記事を作り残したいのだ。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
◎味方の本(書籍紹介)