てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

8月12日16時35分からの・・・(小説風)

2018年08月12日 20時51分20秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
眠りから覚めて・・・・・、


腹がすいたので、妻と娘を誘い、

石川県のソウルフードである8番らーめんに行った。

息子は友達とカラオケに行ってるという。


私は、

一番人気の塩らーめんを選んだ。

地元では誰もが知ってるキャッチフレーズ、「なんでやろ8番」、


小さく「なんでやろ8番」と呟いてみた。



なんでやろ・・・・


今日は午後から雨が降るかと思ったが、


降らなかった。


そろそろ水不足が心配だ。


まだまだ暑い日が続く、

今年の夏は、信じられんくらい暑い日が続く。



信じられん・・・



連休はどこへ行こうか、


実家にも行くけど、


何より義母が亡くなっての初盆だから、

お墓参りに行かないとね・・・、

早いものでもう9か月経つのか、

義父も義母もいなくなったので、今年から義母の実家へ行かなくなる。

墓参りだけそっと行くのだ。


あんまりだ・・・・




明日は、休日出勤して会社で仕事をしよう、



休みの日だから、仕事はかどるだろうな、


でも、

気持ちが・・・・



なぜ負けたんだろう



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、




試合終了の16時35分から、

テレビの前のオイラは、何が起こったのか、しばらく呆然としていた・・・。

ただ大声で「ファール!」と叫んだもの、

映る外野の審判のホームランの合図である右腕を振り回す様子を見て、黙ってしまった。



試合終了の礼、ベンチ片つけ、甲子園の砂、インタビューと、


テレビの中で進行されていく風景をただただ呆然とながめていた。




おそらく今年の星稜は、創部以来最強のチームだった。

あの松井秀喜の時代よりも総合力で上まっていた。

事実評論家からも本命の大阪桐蔭の対抗馬として扱われていた。



今日の試合、

打力も投手も守備力も、圧倒的に勝っていた。

1回が終わった後、ワンサイドゲームになる予感から、

相手チームに申し訳けないとさえ思っていた。



甲子園の魔物とか、そんなの・・・・



ふて寝に近い感じで、しばらく横になった。


その後に行った8番らーめんの待合席で、
他のお客さんが、いい試合だったと会話していた。

そんなけ・・・?

いい試合だったで納得いくんだ・・・、偉いね。


今夜はスポーツ番組は見ない、

明日の朝も見ない、


しばらくは高校野球の情報を見たくない・・・。



立ち直るのに2日ほど時間がいるようです。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラオイラ#285(歴史ある湊町金石編)

2018年08月12日 14時26分18秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
そういえばブラオイラで金石にはまだ行ってなかった。
歴史ある湊町の金石(かないわ)。
かっては宮越(みやのこし)と呼ばれた金沢の海の玄関。

今日は午後から甲子園の星稜戦もあることだし、
午前中にサクサクっと行って撮影し、星稜戦見ながらブログでも打つかと出掛けました。


金石港です。


金沢港ができるまでは、
金石港は大野港と共に金沢の二大港として活躍した。

あまり知られていないが、加賀藩祖前田利家公はこの金石港(宮越)から加賀国へ入り金沢城へ入城しているのだ。

この宮越村は昔より隣の大野村と利権の対立があって何かと競ってきた。


金石バスターミナル。


昔ここに美味しい串カツ屋さんがあって、食べに来たことがある。


さて歩こうか。


おぉ、

へぇ~大野同様ここも醤油の町か、



金石は昔からの街並みが残っている。

金石町道路元標。



大きな屋根のお寺があったので入ってみる。

かの豪商銭屋五兵衛の墓があるという。

立派なお寺で存在感がすごい。


これか。

海の豪商、銭屋五兵衛のお墓

町中を歩いていこう。


秋葉神社。


そして、


大野湊神社夏季大祭社殿地である。


歴史ある大野湊神社は、元々宮腰のこの地に鎮座しておりましたが建長4年(1252)当時の社殿が火災に遭い、離宮八幡宮(現在の社地:寺中町)に遷座された歴史があります。
当時の宮腰(金石)の氏子の人々は遷座を悲しみ、いつの日か元の場所の海岸へお帰り願おうとしますが、海岸の浸食や経済的事由などから、なかなか実現できませんでした。
それならば、せめて年に1回は元の場所にお帰りを願い、感謝の念を捧げようということで、仮殿を浜に建ててお戻しするようになった、これが現在の大野湊神社の夏季大祭(金石夏まつり)の始まりであるといわれています。



立派なお宅が多いなぁ。


用水がある。


おっ魚影だ!


ボラの群れだ。


住宅街の用水にボラ魚群とは、さすが湊町。


豪商の像を見にいかなければ、


あれだ。


銭屋五兵衛の銅像である。

前から気にはなっていたが、この像の銭屋五兵衛、なぜプイと横を向いているのだろうか

押してみたが、

音声は流れなかった。

やっぱ最後に大野湊神社へ行かないとね。


銭五の館に車を停めて


寺中台場跡


大野湊神社に入る。


大きな錨


この神社は古く727年創建である。


今日の星稜戦勝利を祈り帰りました。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする