てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

山是清村の秘密

2018年08月15日 22時06分33秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
古い本が一冊ある。

「加賀能登 史蹟の散歩」田中喜男著、北国出版社、昭和56年1月25日発行。

もう37年前にも発行された本で、
図書館で度々借りる一冊だ。

あるページを開くと、寛文・山是清の悲哀-門前町の山是清- という章があり、著者が昭和45年にこの村を訪れたことが書かれていた。


山是清は「やまこれきよ」と呼ぶ。

寛文とは江戸時代で西暦でいうと1661年となる、今から350年以上前。

白黒の写真とともに能登門前町の山是清村について書かれている。


少し文書を抜粋してみる。

山是清の悲哀は白山をめぐる信仰に端を発する。
白山をめぐる加賀、越前、美濃三国の紛議は平安時代からあったが、とりわけ寛文年間の争いはその最たるものであった。
このころ白山山麓の北側は越前藩領と加賀藩領にわかれていた。

明暦元年(1655年)尾添の村民が白山宮修営のための用材を伐採しようとしたところ、尾添の村民には白山における樹木伐採権はないと越前藩領の村民がこれを阻止した。
激怒した尾添村民は子細を加賀藩に訴え、他方越前松平藩は小松城にいた前田利常に対し「白山宮の修営は幕府寺社奉行の決済後に行うべきであるのに、尾添の農民が勝手に用材を伐採するとはもってのほかである」と抗議した。

問題は加賀藩と越前藩の争議にとどまらず、幕府の評定所のとりあげるところとなった。
これがいうところの「白山争論」である。

この後、長い曲折を経た寛文八年(1668年)八月、幕府直轄領白山麓十六か村と称され大庄屋に支配される結果となり、
尾添村民にとっては屈辱の結果となった。

かくて幾十回となく村集いが行われ、ついに加賀藩領内への移住が決議された。

寛文九年(1669年)尾添の農民22軒91人は鳳至郡山是清村に土地を与えられた。

先祖伝来の土地を捨て、わずかの家財を背負って奥能登へ歩む道、それは切ないものであったに違いない。



村を見下ろす丘に鎮守の社、白山神社がある。
尾添からこの地まではるばる運び守護し続けたものであろう。

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オイラはこれを読み終えた時、素朴な疑問が生じていた。

移住するにせよ、白山の尾添から奥能登の門前ではあまりにも遠すぎる・・・。

この距離だ。


例えば手取川ダムの建設で、水没する白峰村にあった桑島地区の一部は麓の鶴来町に移住した、比較的近い距離である。

奥能登では遠目に白山を拝むこともできない、
白山信仰が強かった尾添村民の気持ちを思うと、悔しかっただろうなぁと感ずるわけである。

以前より機会があれば、この山是清村へ行ってみたいと思っていた。

昨日の能登ドライブでその機会が訪れたのさ。

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その前に先月一里野イルミネーションを見に行った途中で寄った現在の尾添集落の様子を見て欲しい。

手取川沿いに沿って伸びる県道を行く


尾添は「おぞう」と呼ぶ。


本道から逸れる形で村に入る。


数軒の住宅があります。


移住されなかったご子孫なのか、


それとも移住後に入村された方のご子孫かもしれません。


カミさんと娘が早く一里野行こうと急かすので、あまり撮影できませんでした。


ただ気になったのは村中心の神社が白山神社ではなかったことである。


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さて昨日のこと、
家族両親親戚総勢8人で九十九湾の遊覧船から穴水に下りてきて能登大仏を見学したあと、

そろそろ帰ろうかとなった時に、オイラが
「寄りたいところがあるんだが・・・」と発言する。

じいちゃん「どこや?」

オイラ「やまこれきよ村・・・」

全員「・・・?」となった。

まあそうなるわな

というわけで、念願の山是清村へ向けて穴水から旧門前町へ向けて出発した。


途中、ダムがあったので寄ってみる。

八ケ川ダム。

能登の重要な水瓶だ。


そして、林道かと思うほど心細い山道を通って・・・
(なんせ同乗者が多いので車を停めて周辺撮影できないのが残念でした

走ること30分、急に開けたと思うと、まだ青い稲の広がる集落に出た。


ここが山是清村である。


小さな小川もある。


オイラ車を降りて、近くにあるはずの白山神社を探してところ、

ご自宅の前で作業されていた中年女性の方が、こちらに興味を示してきたので声を掛けてみた。

オイラ「ここ山是清村ですよね」
女性「はいそうです」
オイラ「この村に興味があって金沢から来ました。」
女性「では祖父を呼んできます。」
と家の中に入ったかと思うと、すぐさま御爺様を呼んできてくれた。

登場です。

(すみません

どうやらこの方この村の歴史を知る古老で、
今から350年前の村民移住について伝え聞くところを語ってくれた。

それによると、
移住先が白山に近いとまた争いになるので加賀藩が用意した土地がこの場所であった。
かってここは是清村と呼ばれ村民もいたが、旧村民は別の場所へ移住し尾添村民がこの地に入った。
土地の名も山を付けて山是清となった。山とはおそらく白山のことであろう。

そして女性の方が白山神社へ案内してくれた。

この村に外部からこれだけの人がやって来るのは珍しいことだと言う。

いいね。


あっ見えてきた。


本の写真とは違い、すっかり綺麗に整備されていました。

著者が訪れた頃より50年近く経つからね。

これがこの地を見守る白山神社です。

白山の尾添からはるばる運ばれてきました。

尾添に白山神社が無かったのは当然で、その祀るものは350年前にこの地に移っているからである。

鳥居の下でオイラは静かに感動していた。


小高い場所にある白山神社の前より

山是清村を眺めながら・・・。
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コメント (4)
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