てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#289(河北方面しょぼー編)

2018年08月17日 18時41分38秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
午前10時頃に倶利伽羅から帰ってきて、今日はこれからPC前でビールでも飲みながら、のんびりブログでも作ろうかと思いきや、

またまたカミさんが「どっか連れていって」ときた。

しかも津幡の河北潟のひまわり村行きたいという。

今、津幡から帰ってきたんやけど・・・



オイラはなんとなく嫌な予感がしながらも
カミさん&娘を連れて再出発したのだ。

 

河北潟にあるひまわり村着いたぞー!


じゃ~ん!


全部しおれてるー!!!!



ひまわりの時期はすでに終っていたのだ・・・。


せめてもの一枚、パシャ

しょぼい・・・


そうだ、たしか河北潟には冬ソナ通りと呼ばれる素敵な場所があるはず!

そこへ行ってみよう!
おー!!



着いたー!



・・・で、



なんかビミョー




そりゃそうか、今は真夏、冬ソナの世界は到底無理なんだわ


スマホで周辺のポイントを探してみると、
水辺公園なるものを発見。

これに期待するぞぉー
おー!!!

着いたー


しょぼー!!!


桟橋が一つだけぽつんとあるだけ、もはや娘は車からも降りて来ません

気を取り直して、かほく市方面へ

貝塚の看板を見つけた。


行ってみよう!
(おー!の声はもはや無い・・・

よそ様のお庭の先に、


それはあった。


これまたしょぼー!!!

もはやカミさんも降りてきません。


ここは気分転換に昼食をとります。

のと里山海道の高松SAにて、オイラは能登豚カツカレーを

これは旨かったよ

ここから眺める日本海はしょぼくなくすごく良かった。


やはり白波が立つと絵になるね。


最後に向うは・・・、


オイラのリクエストで・・・、

モーゼパーク!
伝説の森と呼ばれています。

早くも嫌な予感って

(宝達志水町 施設紹介より)
モーゼは40年の歳月をかけユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。モーゼパークはそんな聖者モーゼが眠る伝説の森。ロマンの小路をぬけ、モーゼの墓を見渡すミステリーヤードにたたずめば、幾千年からの時空を超えた世界が見えてくるかもしれない。

古い集落のその奥に


その場所はありました。


伝説の森モーゼパークは、



これです・・・。


最大級のしょぼー!!!


まぁオイラわかってましたけどね
いろいろ残念情報は得てましたから・・・。


マップをみると先があるので、オイラだけ進みました。
当然カミさん娘は車内待機です。

フンいいさ、オイラは一人進むぞ


それがどーした!







おっ記帳所あるんだ。


こっちか・・・


なんか・・・・空しくなってきた


残念情報を知ってるだけに、この先の結果も風景もわかっているのである・・・。

すでに汗だくになっているが、それでもそのまま進む価値は・・・・、


ない!


ということで引き返しました
(あっさり


車内に戻ったオイラ、待機していた二人には
「なかなかの場所だった」と言ってやったわい


今回は時期外れによって、しょぼスポットばかりだったけど、

ここで見る青空とその風景は、


バッチグーでした。


【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「街道をゆく」をきちんとしちゃおう

2018年08月17日 10時59分38秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
早朝に出掛け、先ほど倶利伽羅峠から帰ってきた。

いろいろ撮影してきたのさ。


なぜか・・・?




ブラオイラで「街道をゆく」として22回(+1回)にわたって県内の旧北国街道を紹介した企画シリーズがあります。

オイラはこのシリーズが好きで、毎回ワクワクしながら富山県(越中国)境から福井県(越前国)境まで歩きました。


各編急いで作ったこのブログ記事をリメイクとまでは言わないが、きちんと作って残そうと思いまして、
早速今朝、倶利伽羅編の部分の写真を撮ってきたところなのです。


今ある記事をベースに、必要な部分を加え、不要な部分を削除しながら
新たな写真も加えて、より良い作品記事にしたいと思っています。


そもそもこの街道の名前はなんと呼ぶのか?


オイラも最初は北陸街道や旧北陸道としたり後半は旧北国街道と全体的に不統一となっています。


実際各地の看板も津幡では旧北陸道だったし、松任では旧北国街道でした。
はっきりいって正解がわかりません。
参考になる本も多種にわたっており、加賀街道なんて呼ぶ場合もあります。

これを「旧北国街道」と統一したい。
これが一番オイラ的にはしっくりくる。


リメイクすることで、違和感が出る部分もあるでしょう。

正月より始まったこのシリーズは最初の写真には雪が写っているので、補充される写真では夏草生い茂るのが混ざります。
天気も晴れの日に撮影していきたい。

それに倶利伽羅編では重要な倶利伽羅不動寺を完全に無視したりしてました。

ただ街道を突き進めばいいというわけではなくて、当時から今も残る周辺の物々を紹介していくのも重要だと思うのであります。


半年たっただけで変更部分もあるかもしれません、

前の記事ではこう書いた部分も、
-------------------------------------

看板が倒れている。

津幡町さ~ん、倒れてますよ~!

-------------------------------------

今日行ったらこのようにきちんと直っていた。



こういう個所は、その部分を削除して修正したい。



メインページから各編にリンクで飛ぶスタイルとして22ある各編を20弱に集約したい。

スタンプや顔文字(^^)/を多く加えて読んでて楽しくしたい。

おそらく、
完成するのに1年くらいかかるから、工事中としながらも各編完成した都度都度でアップしていきたい。


とにかく石川県内という限定的ではあるけれど、
旧北国街道を一番わかりやすく、細かく、ていねいに紹介する
そんなブログ記事を作り残したいのだ。

【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へにほんブログ村

◎味方の本(書籍紹介)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする