ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

参考人招致をめぐる国会審議のドタバタ

2025-02-01 09:05:49 | 日記
おとといのことだか、夕餉の食卓でNHKの「ニュース7」を聞いていた。思わず吹き出してしまったのは、次のニュースが流れたときである。

自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題で、衆議院予算委員会では、旧安倍派の会計責任者の参考人招致について採決が行われ野党側の賛成多数で議決されました。
(中略)
与党側の筆頭理事を務める自民党の井上元万博担当大臣は記者団に対し(中略)『招致は今まで全会一致が原則だったので、その慣例を半世紀ぶりに破ることは大変遺憾だ。数の力による議事運営は厳に慎んでもらいたい』と述べました。

(NHK NEWS WEB 1月30日配信)

え?「数の力」に物を言わせるのは厳に慎んでもらいたい、だって? 一体、どの口が言っているのだ!
私は開いた口がふさがらず、それを通り越してつい吹き出してしまったのである。

ごく最近まで、政権与党の自公は国会衆議院の過半数を占めていた。
その頃は政権与党の自公が「数の力」に物を言わせ、強行採決で重要法案を可決するのが常態だったではないか。
まさか自民党の井上理事はそれを忘れたわけではあるまい。

記憶に新しいのは、安倍自民党が安保関連法案を強行採決したことである。
東京弁護士会はこれに強く抗議し、次のような声明を出している。

本日、衆議院本会議において、『安全保障関連法案』が与党のみによる賛成多数で強行採決され、参議院に送付された。
(中略)
法律専門家の大多数が憲法違反と主張し、国民の多くからも強い反対や懸念の表明があるにもかかわらず、『安全保障関連法案』を政府及び与党が衆議院本会議における強行採決で通したことは、国民主権を無視し立憲主義及び憲法9条をないがしろにする暴挙と言わざるを得ない。

(東京弁護士会2015/7/16)

政権与党の自公が衆院選に大敗し、少数与党に転落したのは昨年10月のこと。こうした(10年前の)強行採決の風景も「今は昔」の懐かしい出来事になった。

そうした10年前の「暴挙」といい、きのうの「参考人招致」をめぐる野党の「多数決方式の導入」といい、私が強調したいのは、ここには紛れもなく民主主義の本質が現れている、ということである。

え?民主主義の本質だって?一体どういうこと?
(つづく)
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政治献金の論理

2025-01-30 09:06:02 | 日記
GAFAの経営者たちがトランプ大統領の前にひざまずき、手を差し伸べている。彼らはそれぞれこの「傍若無人の強権大統領」に「どうぞご慈悲を!」と懇願しているように見える。「これでどうぞよしなに!」と、莫大なカネを差し出しているようにも見える。
日曜朝のTBSのワイドショー番組「サンモニ(サンデー・モーニング)」の、そのコメンテーターをつとめる寺島実郎氏がこの風刺画を指して語った見方は、私がいだいた印象とはまったく違っていた。
今度の第2期トランプ政権(トランプ2.0)は、彼らシリコンバレーの富豪たちにしっかりグリップされ、がんじがらめにされて、「デジタル金融複合体の操り人形」と化している、というのである。

寺島氏のこのコメントを聞いて、私は、「おお、そういう見方もあるのか!」と、目からウロコの思いだった。

たしかに、政治献金とはそういうものなのだろう。カネに物を言わせて政治家に迫り、自分たちに都合の好いように世の中を動かそうとする。その意味では、政治献金を受けた政治家は、カネに動かされる操り人形と変わらない。

なるほどなあ・・・。感じ入った私は、日本の与党・自民党のことを思い起こした。立憲民主党などの野党は、企業・団体献金の禁止を求めているが、石破首相は相変わらず「必要なのは禁止ではなく、透明化だ」と言い張り、企業・団体からの政治献金にしがみつこうとしている。
これなども、「石破首相が政治献金にしがみつこうとしている」というより、資本家である企業・団体の側が、政権与党にしがみつこうとして(自分たちの操り人形にした)石破首相にそう言わせている、というのが実情なのだろう。

ということは、どういうことか。今でこそ「企業・団体からの献金を禁止せよ!」と言い立てている野党の立憲民主党だが、自民を蹴落として政権の座に就き、晴れて与党になった暁には、資本家の「企業・団体」の側にしっかりグリップされ、「必要なのは禁止ではなく、透明化だ!」と言いはじめるのだろうか。歴史はくり返す・・・?

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テレビtoなかい

2025-01-28 09:01:04 | 日記
テレビのワイドショーでは相変わらず「中居くんの女性トラブル」問題が取り上げられている。早くもマンネリ化したその種の番組を見るたび、私は言い知れぬストレスにとらわれる。このストレスは募るばかりだ。

何だって!女性との「トラブル」だって⁉
トラブルとは、クルマが故障したとか、上司とちょっとしたいざこざを起こしたとか、そういったわずかな支障の発生を意味するのではないか・・・。

では一体「女性(との)トラブル」とは何なのか。

「なあ、ちょっとやらせてくれよ、いいだろ?」
「イヤ、イヤよ、絶対にイヤ!」
「何だと!」

トラブルという英単語は、その程度の、ささいな行き違いを思わせる。

しかし、である。その程度のことで「9,000万円」というトンデモな額の慰謝料の支払い義務が生じるだろうか。
中居くんが「9,000万円」という慰謝料の支払いに応じたのは、この高額の慰謝料に見合うだけのトンデモな行為を、彼がしでかしたからに違いない。

では、それはどういう行為なのか。

YouTubeには、毎日毎晩、飽きもせず、それについての様々な憶測が垂れ流されている。その内容はといえば、このブログーー善良な市民が読者であるこのブログでは、口にするのさえ憚るようなおぞましい、猟奇的なふるまいである。
オー、アンビリーバボー!と言うしかない。

(その内容について、私は漠然としたイメージをいだいている。そのイメージをいだきがら昨夜のフジテレビ首脳陣の会見を見たとき、「うん、たしかにコレに違いない」と確信を強くしたが、コレについてここで具体的に書くのはやはり止めにしたい。コレだ!と断言し得るだけの決定的な証拠がないし、コレを具体的に書くことで、卒倒する読者も出かねないからである。)

それに、私の確信も含めて、これらはすべて単なる「憶測」に過ぎない。
中居くんと被害女性との間には示談が成立しており、その示談の条件には、口外禁止条項(守秘義務条項)が付け加えられているというのだ。

ストレスの原因ははっきりしている。

この私は野次馬根性に駆られて、知りたくて知りたくて仕方がないのに、中居くんが何をしでかしたのかは、当事者によって一切知らされないのである。そのブラックボックスのような「???」に対して、「守秘義務」という分厚い覆いをかけ、その上に「トラブル」という名の、当たり障りのない目くらましの絵の具が塗りたくられる。

加えて最近では、この「トラブル」に対するフジテレビ経営陣の対処の仕方のマズさばかりが取り上げられるようになり、肝心の「中居くん問題」はどこかに吹き飛んでしまった感がある。

事態のこのような推移を見て、中居くんはきっとどこかで「しめしめ、これで逃げきれるぞ!」とほくそ笑んでいることだろう。
「国民的タレント」という羊の皮をかぶったこの狼男の、その化けの皮を暴いてやりたいと思うのは、私だけではないだろう。

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石破首相の国会戦略

2025-01-26 09:15:28 | 日記
新聞を読むことは、哲学者の朝の祈りである。
こう語ったのは19世紀のドイツの哲学者・ヘーゲルだが、
私も毎朝、新聞に目を通すのを日課にしている。
私の場合、左手が自由にならないので、スマホで「朝日新聞紙面ビューアー」を開くのだが、そういう早朝のルーチンを通して私が行うのも、やはり「朝の祈り」にほかならない。

では何を祈るのか。私の場合、「世界に平和が訪れますように」といった殊勝なことではない。「良いブログのネタが見つかりますように」という誠に自分勝手な「祈り」なのである。

一応、私は紙面のすべてに目を通すが、そのすべてがブログのネタとして使えるわけではない。
ブログのネタ元になるのは、私の関心のアンテナにビ、ビ、ビッと反応した事柄だけ。
だからネタとして使える記事はほんの僅かでしかない。

とはいえ最近はまもなく国会が開かれるとあって、新聞には政界の話題が引きも切らず、ブログのネタもそこそこ転がっている。

たとえばきのうの朝日新聞は、第1面に次の記事をかかげていた。

首相『令和の列島改造』 『楽しい日本』へ地方創生 施政方針演説

通常国会が24日、召集され、石破茂首相は衆参両院で初めての施政方針演説を行った。首相は地方創生を『令和の日本列島改造』として推進する考えを強調。少数与党として国会運営に野党の協力が欠かせない中、『党派を超えた合意形成を図る』ため、与野党間の『熟議』を呼びかけた。

(朝日新聞1月25日)

通り一遍の面白みのない記事だが、何の変哲もないこんな事実の中にも、政界特有のドラマがひそんでいる。朝日新聞はこのドラマを、第3面で次のように描いている。

国民民主より維新に傾斜 首相『熟議を』 国会開会


この見出しにあるように、石破与党は最近、「国民民主党」との連合から、「日本維新の会」との連合へと傾斜を強めている。こうしたシフト・チェンジの底にあるのは、石破首相と前原代表との個人的な信頼関係だというのである。

自公国の3党関係が冷え込む中、与党が間合いを詰める新たな相手が維新だ。(中略)
国民民主が求める『178万円』の政策実現には7兆~8兆円の財源が必要とされる一方、維新の授業料無償化は6千億円と開きがある。加えて、12月に維新の共同代表に就いた前原誠司氏と首相は気脈を通じる。首相は『前原氏は誠実な人だ』と信頼を隠さない。

(同前)

数日前の朝日の記事によれば、石破首相と前原氏は「電話やメールでやりとりする仲」だという。石破首相は「こうした(個人的な)野党とのパイプを使って局面の打開を図ろうとしている」というのだ。
与・野党間の勢力関係とか、政策上の折り合いとは別に、個人的な人間関係が政界地図をガラリと塗り替える。ーーこんな所にこそ面白い人間ドラマがあるといえるだろう。
私の関心のアンテナがビ、ビ、ビッと反応するのも、こういうドラマに対してなのである。

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才能を生かす才能

2025-01-24 09:27:11 | 日記
「いいね!」と思う言葉を聞いた。
語ったのはあのイチロー選手。アメリカ野球殿堂入りが決まり、インタビューに応じたときのことである。

若い選手へのアドバイスを求められると『僕は18歳でプロ野球選手になったときに大リーグでプレーすることは想像できなかった。それが日本でプレーするうちにアメリカでプレーしたいという気持ちが芽生えてきて、徐々に段階を踏んで進んできたという感触がある。何年プレーできるかまったくわからなかったが最終的に19年プレーできて今に至る。僕が比較にはならないくらい才能ある選手が(大リーグには)たくさんいた。 それを生かすかどうかは自分自身で、自分の能力を生かす能力があることを知っておいて欲しい。自分をどれだけ知っているかということが結果に大きく影響することを知っておいてマイナスはない』と話していました。
(NHK NEWS WEB 1月22日配信)

よく聞く言葉ではある。才能があっても、それを生かす努力をしなければ、宝のもちぐされで、その人の才能は開花しない。
持ち前の才能を生かそうとする努力もそれ自体、才能なのだ。
そういう意味での才能を含めて、人の才能とは、(持ち前の)才能と、(それを生かそうとする)才能との合奏といえる。

私が「いいね!」と思ったのは、これを言ったのが、あの(才能の塊のような)イチローだったからである。「才能の塊」が積み上げたイチローの実績は、きっと日々のたゆまぬ努力・精進の賜物だったのだろう。


私が好きな唄の一つに「男の勲章」がある。原作は「今日から俺は」という西森博之の漫画作品。それを福田雄一監督がテレビドラマ化した作品が面白くて、私はそのヤンキー・ドラマをたびたび見た。そのドラマの主題歌が「男の勲章」(オリジナルは嶋大輔)だった。

♫つっぱることが男のたった一つの勲章だって
この胸に信じて生きてきた
泣きたくなるようなつらい時もあるけど
いつも俺たちがんばってきた♫

この歌詞の「つっぱること」を「がんばること」に変えて、私は歌っている。
ここでいう「がんばること」とは、「持ち前の才能を磨こうと努力すること」の謂である。
持ち前の才能はどれだけ小さくても、それを磨く努力をすれば、必ず報われる、・・・と私は信じたい。
そう信じなければ、「泣きたくなるようなつらい時」を乗り越えられないではないか。

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