論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
子曰、管仲之器小哉。或曰、管仲儉乎。曰、管氏有三歸。官事不攝。焉得儉。然則、管仲知禮乎。曰、邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好、有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知禮、孰不知禮。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、管仲〔かんちゅう〕の器〔うつわ〕 小〔しょう〕なるかな、と。或〔ある〕ひと曰〔い〕わく、管仲 倹〔けん〕なるか、と。曰〔のたま〕わく、管氏〔かんし〕 三帰〔さんき〕 有〔あ〕り。官事〔かんじ〕 摂〔か〕ねず。焉〔いずく〕んぞ倹なるを得〔え〕ん、と。然〔しか〕らば則〔すなわ〕ち、管仲は礼を知るか、と。曰〔のたま〕く、邦君〔ほうくん〕は樹〔た〕てて門〔もん〕を塞〔ふさ〕ぐ。管氏も亦〔また〕 樹てて門を塞ぐ。邦君 両君〔りょうくん〕の好〔よし〕みを為〔な〕すに、反坫〔はんてん〕 有〔あ〕り。管氏も亦 反坫 有あり。管氏にして礼を知らば、孰〔たれ〕か礼を知らざらん、と。
子 曰〔のたま〕わく、管仲〔かんちゅう〕の器〔うつわ〕 小〔しょう〕なるかな、と。或〔ある〕ひと曰〔い〕わく、管仲 倹〔けん〕なるか、と。曰〔のたま〕わく、管氏〔かんし〕 三帰〔さんき〕 有〔あ〕り。官事〔かんじ〕 摂〔か〕ねず。焉〔いずく〕んぞ倹なるを得〔え〕ん、と。然〔しか〕らば則〔すなわ〕ち、管仲は礼を知るか、と。曰〔のたま〕く、邦君〔ほうくん〕は樹〔た〕てて門〔もん〕を塞〔ふさ〕ぐ。管氏も亦〔また〕 樹てて門を塞ぐ。邦君 両君〔りょうくん〕の好〔よし〕みを為〔な〕すに、反坫〔はんてん〕 有〔あ〕り。管氏も亦 反坫 有あり。管氏にして礼を知らば、孰〔たれ〕か礼を知らざらん、と。
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
管仲は常に賢人〔けんじん〕と崇〔あが〕められてはいるが、器は小さいぞよ、と。
管仲
(ウィキペディアより)
それを聞いていたある人が、先生に尋ねられました。
つまりそれは、管仲がケチだということですかな、と。
先生はそれに対し、次のようにお答えになりました。
管仲は、邸宅を三件構えており、それぞれに専任の家来〔けらい〕がおる。どうしてケチだといえようか、と。
ある人は、またしても尋ねられました。
すると管仲は、そういう贅沢〔ぜいたく〕をしていたとすれば、臣下としての礼節を弁〔わきま〕えていたのでしょうか、と。
先生はお答えになりました。
君主〔くんしゅ〕は宮中内の邸第〔やしき〕の門を入ると、目隠し用の塀を設けるようにする。これに倣〔なら〕って管仲も、自邸の門内に土塀を設けている。
また君主は、諸侯〔しょこう〕の有力者たちが、君主に謁見〔えっけん〕を求めた際に、親睦〔しんぼく〕を深めるための杯〔さかづき〕を置く反坫を設ける。これもまた管仲は同じように自邸に反坫を設けよったのじゃ。
管仲をもし、臣下としての礼節を弁えているとすれば、この世に礼節を知らぬ者などいないのではないかな、と。
※ 反坫とは、土製の台のことであり、大事な儀礼のときなどに用いられる
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない