論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
儀封人請見。曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也。從者見之。出曰、二三子、何患於喪乎。天下之無道也、久矣。天將以夫子爲木鐸。
《翻訳》
儀〔ぎ〕の封人〔ほうじん〕 見〔まみ〕えんことを請〔こ〕う。曰〔い〕わく、君子〔くんし〕の斯〔ここ〕に至〔いた〕るや、吾〔われ〕 未〔いま〕だ嘗〔かつ〕て見〔み〕ゆるを得〔え〕ずんばあらず、と。従者〔じゅうしゃ〕 之〔これ〕を見〔み〕えしむ。出〔い〕でて曰〔い〕わく、二三子〔にさんし〕、何〔なん〕ぞ喪〔うしな〕えることを患〔うれ〕えんや。天下〔てんか〕の道〔みち〕 無〔な〕きや、久〔ひさ〕し。天〔てん〕 将〔まさ〕に夫子〔ふうし〕を以〔もっ〕て木鐸〔ぼくたく〕と為〔な〕さんとす、と。
儀〔ぎ〕の封人〔ほうじん〕 見〔まみ〕えんことを請〔こ〕う。曰〔い〕わく、君子〔くんし〕の斯〔ここ〕に至〔いた〕るや、吾〔われ〕 未〔いま〕だ嘗〔かつ〕て見〔み〕ゆるを得〔え〕ずんばあらず、と。従者〔じゅうしゃ〕 之〔これ〕を見〔み〕えしむ。出〔い〕でて曰〔い〕わく、二三子〔にさんし〕、何〔なん〕ぞ喪〔うしな〕えることを患〔うれ〕えんや。天下〔てんか〕の道〔みち〕 無〔な〕きや、久〔ひさ〕し。天〔てん〕 将〔まさ〕に夫子〔ふうし〕を以〔もっ〕て木鐸〔ぼくたく〕と為〔な〕さんとす、と。
《現代語訳》
巡行〔じゅんこう〕の旅に立たれた孔先生ら一行が、衛の国の儀邑〔ぎゆう〕の町に辿りついたとき、この町の邦人(門番)が、先生にお目通りを願い出て、次のように述べられました。
君子〔くんし〕といわれる人物がこの町に来られたとき、私はこれまで、どのお方ともお会いしてきました、と。
そこで、お弟子さんのひとりが取次ぎ、先生との面会が叶ったのでした。面会が終わると邦人は、お弟子さんたちに向かって次のように叫ばれました。
みなさん方、魯国での先生に対する無礼〔ぶれい〕を嘆〔なげ〕かれることはありません。天下は乱れ、多くの民が苦しんでおります。天はまさに、先生やみなさん方の仁の道を説く旅を、快〔こころよ〕く迎え入れてくれるでしょう、と。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない