「ひとりを笑うな。」社民党 新たなキャッチコピー
2021年2月10日 朝日新聞
社民党の福島瑞穂氏は10日、新しいキャッチコピーとポスターを発表した。新型コロナウイルスによる社会の変化を踏まえ、ポスターは「弱音をはける社会へ」、SNS向けのコピーは「ひとりを笑うな。」と打ち出した。
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ついついツッコミを入れたくなるキャッチコピーではあるが、ますは社民党の基本理念を確認してみる。
【 社会民主党理念 】
私たちは、現在そして未来に夢と希望が持てる社会を実現するため、働く人々や弱い立場に置かれた人々とともにありたい。
私たちは、戦争や紛争のない世界を実現するため、平和を願うすべての人々とともにありたい。
冷戦の終えん後、「平和と共存の21世紀へ」という多くの人々の期待とは裏腹に、競争最優先の市場万能主義に立つ新自由主義、そして強大な政治・経済・軍事力を背景に特定の価値観を押しつけようとする新保守主義が台頭しています。その結果、世界的な規模で格差や不平等は拡大し、紛争やテロはやむことなく、戦争の危機は依然として除去されていません。
この潮流に対し、社会の公正や連帯を掲げ、最も厳しく対峙(たいじ)しているのが社会民主主義です。私たちは、社会民主主義こそが次代の担い手であり、世界史の流れであることを確信します。
私たちは、社会民主主義を掲げる政党として、人々が個人として尊重され、自然と調和し、平和で人間らしく生きることのできる社会を実現します。人々が貧困や抑圧、偏見から解放され、安心して生活を営むことが可能となるよう、民主主義を拡充し、差別と格差、不平等の解消に取り組みます。
日本の社会は今、市場任せの利潤追求と効率性が最優先とされた結果、雇用の安定、人間らしい生活、自然環境の保護などが背後に追いやられ、人々の生命と安全が脅かされています。
また、新保守主義の潮流と呼応するかのように、戦後日本社会の礎(いしずえ)となってきた憲法を改悪しようという動きも、保守支配層によって頂点に達しています。
これらは、社会の存続、そして人間の歩みに深刻な影響を与えています。
私たちは強いものはますます強く、弱い立場のものはますます弱くといった考え方を否定します。戦争を放棄し戦力を保持しないとした憲法を変え、日本を再び「戦争のできる国」へと回帰させることを否定します。
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あとは現行憲法崇拝の文言が並ぶので割愛させていただくが、基本理念の憲法以外の文言を読んでみれば、本当に素晴らしい内容であると思われ、元来、旧社会党を支持していた人々というのは、実のところ自民党を支持していた人たちよりも賢明な人が多かったのではないか?
ただ、憲法もさることながら、歴史認識においても戦後思想崇拝から脱却しきれないところに限界を感じるわけで、しかしなぜ、このような崇高な理想を掲げている社民党が崩壊寸前に陥っているのかを考えた場合、本当に残念な思いである。
というわけで、わが国における社会主義(=左派)に対する考え方を自分なりに確認してみようかと思う。
その中で、わが国における『社会主義』の原点といえば、近代化されたわが国で最初に自由民権運動を指導したといわれる中江兆民であると個人的には考えているので、少しだけ中江兆民とはどういった人物で、どういった国家観を抱いていたのかを確認しようと思う。
中江兆民といえば、「東洋のルソー」と呼ばれるほどの人物で、思想家としては福沢諭吉か、中江兆民か、と比較されるなど、兆民が後世に残したものは絶大だったと思われるわけだが、しかし、後世の者が兆民を正確に取り扱わないこともあって(=文献が少ないせい?)、次第に兆民の偉大性というものが見失われてきたのである。
故・西部邁氏は著書『中江兆民 百年の誤解』の中で、〔試みに、そのあたりで偉そうな顔をして日本思想史を語っている知識人に「中江兆民とは何者ぞ」と質問してごらんなさい。「社会主義者で大逆の罪を背負わされて処刑された幸徳秋水の師であり、ジャン=ジャック=ルソーの社会契約論を日本で初めて紹介した人物であり、したがって民主主義の元祖となる人物である」と返し、さらに詳しく問うてみると、「酒を飲んではいささかならず乱暴狼藉に及び、衆議院議員に推されて当選しながらアルコール中毒を理由にたった七か月で辞め、金儲けに専念しながらことごとく失敗し、娘に千美〈ちび〉、息子に丑吉〈うしきち〉、そして姪子に猿吉〈えんきち〉という変な名前を与えた、奇妙奇天烈に面白い奴」という紹介があるかも知れません。〕と、後世の知識人たちを強烈に批判しており、奇しくも、それまで嫌韓などの右寄り傾向に陥っていた私のような高卒無勢ではあるが、細川和彦氏のオピニオンサイトで中江兆民という人物に感銘を受け、その後これまで様々に思いをもとおる(=巡る)うちに、西部邁氏の中江兆民に対する考え方に共感したのである。
と、私のことよりも中江兆民のことだが、何といっても驚かされたのが『君民共治』という考え方だ。細川氏はご自身のサイトで、〔兆民は、君主の存在する国であっても「公義公道」の行われる国は「共和国」であり、形は民主大統領制の国であっても、「公義公道」の行われない国は真の「共和国」ではないとの旨を説きました。つまり、政治を「私」する専制政治がよくないのであり、君主の有無にかかわらず、「公論」が反映される政治をよしと考えたのです。兆民は、外国思想の模倣に走る戦後の進歩的文化人とは、違ったのです。 〕というふうに中江兆民を紹介されており、私自身の『共和制支持=急進的民主主義者・革命思想家』というイメージを払拭してくれたと同時に、公義公道の民主政治が行われない国は、共和制であれなんであれ、国民のための政治(=民主主義)とはいえないと考えることもできるわけで、それを現代国家ならびにわが国と比較することで、何が正しくて何が間違っているのかといったことも、短絡的ではあっても単なる凡人であることを旨にしながら、これまでブログを綴ることができたのである。
で、現在の社民党というよりも旧社会党を考えてみたとき、現在の社民党のような丸っきりの反日左翼(=急進的な無政府主義者集団)かといえば、そうではなかったとも思えるし、過去の社会党支持者の中には日の丸を自宅の門前に掲げていた人(=いわゆる愛国者または報国者)も多かったのではないか、とさえ考えられるのである。(自民党を支持する人でさえも自虐史観の人も多かったことを思えばだが…)
そして、現在の社民党というのは、日本共産党と何が違うの?というくらいにまで存在感も理念も堕落してしまったことで、支持者はどんどんと離れていき、もはや国会においては、売れない芸人がストリップ劇場の前座で笑えない芸を披露しているが如く有り様で、まさに「惨め」としか言いようがない。
さて、大逆事件で処刑されてしまった幸徳秋水のことも少しだけ触れてみたい。幸徳秋水といえば、同じ高知県出身である中江兆民の弟子にあって、兆民の思想・哲学というものを大いに学んだ人物だったといえる。しかし、秋水と兆民との考え方の相違?というよりも、兆民はどちらかといえば愚痴っぽかったのだろう、それを秋水が嫌っただけ…、というのが私の憶測である…。
天皇を暗殺しようと企む輩は、反逆者として裁かれて当然の話だが、秋水が本当に暗殺を企んだのかどうかといえば、おそらくは濡れ衣を着せられた、または、急進的思想を排除するための見せしめにされてしまった、という捉え方の方がこの明治期という時代には最も相応しいのではなかろうか。
さらに思うのが、『東洋のルソー・中江兆民の弟子にして天皇暗殺を目論んだ幸徳秋水』という図式は、日清・日露戦後の日本社会の変革の過程で、何かしら都合の良いものに利用されていったのではなかろうか。
なんにしろ、天皇と国民を中心軸とした政治体制『君民共治』の考え方は、兆民を慕う秋水の心中にも在ったろうし、これを愛国心というべきか報国心というべきかはわからないが、しかし、南朝正統論を声高々に訴えていた秋水は、紛れもなく尊王の義士であったと私は考える。
このことをもって、イケイケだった秋水は愚痴っぽい兆民を嫌ったのではないか…、と憶することもできる。
と、ここまでで様々に申してきたが、前述した現社民党の基本理念を、兆民や秋水が考えてきたものとで比較しながら、その是非を自分なりに改めなおしてみようかと思う。
私たちは、現在そして未来に夢と希望が持てる社会を実現するため、働く人々や弱い立場に置かれた人々とともにありたい。
このくだりが社民党の基本理念として、一番最初に掲げられているわけだが、『現在そして未来に夢と希望が持てる、働く人や弱い立場に置かれた人々とともにありたい…』というのは、まさに歴代天皇の想いと共に…と解釈してよいのではないか。
働く者、弱い立場に置かれた人々と共にある政治こそが、君民一体の境地ともいえるわけで、政(まつりごと)を司る者の根本的概念であり、天皇が我々一般庶民に抱いておられる思いやりやいたわりの心そのものなのである。
民権には『回復の民権』と『恩賜の民権』というものがあるといわれ、『回復の民権』とは人民が君主(=権力者)から勝ち得る権利をいい、『恩賜の民権』とは君主(=権力者)から国民が賜った権利をいう。
現在のミャンマーで起こっている反軍事政権運動などは『回復の民権』といえ、君主(天皇)から任命された大臣たちが人民の権利を守るという意味においてわが国は『恩賜の民権』といえる。
よって、「…共にありたい…」政治こそが、多数派であれ少数派であれ、国民から選ばれた政治家にとって最も大切にしなければならない理念といえるのである。
ところが、現在の社民党の代表を務める福島瑞穂氏だが、過酷な労働環境で働く労働者たちのもとへ慰問した…、重い荷物を抱えながら横断歩道を渡る老人に手を差し伸べた…、などの美談がいっこうに聞こえてこないのはなぜなのか、ということである。
照屋寛徳による福島みずほ党首に対しての批判的意見(2020/11/14)
つづく・・・