和貴の『 以 和 為 貴 』

外交とは相手の立場と同じか、それ以上になってこそ

ロシア、安倍首相は「無神経」

国営テレビ酷評、外相は主権巡る交渉拒否

ロシア国営テレビのニュース番組「べスチ・ニェジェーリ」は15日までに、日ロの平和条約締結交渉を特集、看板キャスターのドミトリー・キセリョフ氏がプーチン・ロシア大統領との本格的な交渉を前に、安倍晋三首相があたかも北方領土問題は解決済みのように振る舞い、ロシアを「急かし追い込んでいる」として、首相の対応について「無神経」と批判した。 

中略 

キセリョフ氏は番組冒頭で日本の歌舞伎や生け花、俳句などの文化を取り上げ、その「繊細さ、節度」を称賛する一方で、これに対比するように、日本の交渉姿勢は「ビェスタクトヌイ」(無神経、節度知らず)だと指摘。 

同氏は、安倍首相が父親の故晋太郎元外相の墓参りをした際、平和条約締結交渉に関し「何としても前進させ、終止符を打つため全力を尽くすと誓った」ことや、北方領土の帰属が「日本に変わることを(ロシア人住民に)理解してもらう」などの発言を次々と取り上げ批判。

安倍首相はこうした発言で、プーチン大統領を前に「メンツを失った」とも語った。一方で、「(北方領土を含む)クリール諸島はロシアの領土だ。領土の変更は認めない」として引き渡しに反対するサハリン州(北方領土を事実上管轄)のリマレンコ知事代行の発言も取り上げた。 

また、ロシアのモルグロフ外務次官が日本の上月豊久駐ロシア大使を外務省に呼び、安倍首相の発言について「日ロ首脳の合意を歪曲し、両国国民を惑わすものだ」と抗議したことも紹介。 

さらに、在日米軍トップのマルティネス司令官が北方領土の一部を日本に引き渡せば米軍が展開する可能性があるとロシア側が問題視している点について「現時点で米国が戦力を置く計画はない」と述べたことにも触れ、「ロシアが現時点では、アラスカにロシア軍を配備する計画はないと言っているようなもの」として、信用できないと述べた。 (共同通信=太田清)

 

【 所 感 】

まずもって、今回のロシア側の発言というものを、単に否定的に捉えるのではなく、真摯に受け止めることで、改善の道が拓けてくるのではないだろうか、と前置きした上で。

安倍総理による沖縄・辺野古埋め立てに際するサンゴ移植発言や、今回の北方領土に関する帰属発言などを見ていて感じることは、無神経というよりも、「あぁ言わされたな…」というのが率直な感想であり、鳩山由紀夫元総理のときの「最低でも県外…」といった言動を思い出してしまう。

安倍さんと鳩山さんを同一視してしまうと、「はぁ?」と思われるかもしれないが、この国の指導者というのは、所詮、傀儡政権でしかないということを念頭に考えなければならないのであって、しかも鳩山さんにしろ、安倍さんにしろ、二代・三代と続くボンボン指導者であるからして、トランプさんやプーチンさんのように実務レベルからのし上がってきたことと比較しても、その精神的強靭さといものが全くといっていいほどに欠けているとしか言わざるを得ない。よって、国内外において、いいように利用されかねない側面を有しているということを認識しておく必要があるのではないだろうか。

で、今回のロシア側からの反応として、ロシアと日本との友好関係というものを、何があっても阻止しなければならないとする勢力の妨害工作のように思えて仕方がなく、しかもそれは安倍総理に非常に近いところの存在ではないだろうか、とさえ勘ぐってしまう。例えて閣僚だったり官僚だったり、はたまた内閣参与だったり、と。

そうした日本の内情を憂うがあまりロシア側の関係者は、実務者同士で粛々と進めようと目論んでいるように思われるのであって、そのことは昨年暮れの河野外務大臣の記者会見における態度を見れば明らかではないだろうか。

そしてわが国だけでなく、どの国家においても政治のトップというのは大統領であったり、首相であったり、国家主席であったりする。であるならば、官僚や行政官や起業家や資本家といった者たちの傀儡政権であってはならないことは言うに及ぶことではない。

しかしながらこの日本国というのは、国民の意思というものが全くと言っていいほど反映されないところをみると、やはり傀儡政権であるといっても過言ではない。

ソビエト連邦崩壊後のロシアというのは、プーチン大統領を筆頭として、民と国とをひとつに纏め上げることに成功し、世界各国の模範的指導者と成り得ることとなった。そして、プーチン大統領が決して独裁者ではないということは、かつての国王に対して崇敬の念を抱いておられることでロシア国民から厚い信頼を得ていることで証明がつく。

さらにいえば、わが国日本でも同じことがいえるわけであり、政治のトップである総理大臣たる者が国民統合の象徴である天皇を崇敬できてこそ、国民に信頼を得ることが出来るのであって、皇室を軽視してしまえば瞬く間に支持率は低下してしまう。

安倍総理は当初、皇室を敬い、靖国に祀られている英霊を敬っていた。しかし現在では皇室軽視であることが顕著となり、靖国参拝もしなくなった。

こうしたわが国の実状というのは、国外の指導者たちから見れば異常なことであり、プーチン大統領のような強くて逞しいリーダーからしてみれば、国内ひとつもまともに纏めあげることもできない傀儡指導者を快く迎えるはずはないのである。

要は尻が軽すぎるのだ。外交とは相手の立場をよくよく理解し、その立場に立った形で交渉に臨まなければならない。特にロシアといった核保有国との交渉事においては、憲法九条と潤沢な資金と高度な技術をもって、交渉に挑むなどもってのほかなのである。

さらにいえば、安全保障上の国内問題というものを自国で解決することもなく、世界の国々を巻き込む形でせっせせっせと拝金主義へと成り下がってしまっているのだから、その国民性や国家性の観点からいえば、半島の彼の国と何が違うのだろうか、と問いたい。そしてやがては、宗主国であるアメリカにまでソッポを向かれ、核の傘が無くなってから騒いでみても、時すでに遅しなのである。

ほんの一部のエリート主権であるこの国の未来予想図というのは、我々一般庶民にとってはまさに生きにくい国へと変貌していることであろう。そして、それを防ぐ手立てとしては、自称保守とする政治家や本が売れてはしゃいでいる者たちにその身を委ねるのではなく、国民ひとりひとりが考え行動すべきであると信じてやまない。

 

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