まずは、日本共産党が掲げる綱領を紹介致します。
(※注:心臓の弱い日本人の方は読まないでくださいね。また読んでいる途中で吐き気や目眩など、お身体に何かしら異変をきたされた場合は、速やかに戻るボタンを押すなどの気分転換に努めてください。)
私自身、この綱領を読まして頂いたのは随分と前になりますが、何かしら見てはいけないものを見てしまった、という感覚に襲われ、しばらくは呆然となった記憶があります。その後、気持ちを整え、自分なりにあれこれ考えました。そして日本共産党に対して感じたことを、まとめさせて頂きます。
まず第一に感じたことは、日本共産党からすれば、民主党や社民党(旧社会党)というのは、単なる衛星政党に過ぎないということであります。綱領の冒頭にそれを感じさせる表現がありますが、わが国において、『まずは平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命の実現を当面の任務とし、ついで社会主義革命へと進める』とあります。
この「平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命」の役割を担ったのが民主党であり、「ついで社会主義革命へと進める」という役割を担ったのが社民党(旧社会党)だったと思うのです。断定こそ出来ませんが、私たち国民には絶対に見えてこない、"政治の闇"というものが存在します。
思いおこせば、民主党に所属する議員の中には過激ともいえる左派系議員もいました。蓮舫議員や辻元清美議員や岡崎トミ子議員など。そして社民党にも福島瑞穂元党首などの過激な左派といわれる議員がいます。こうした方々の政治姿勢を見るかぎり、本来ならば日本共産党の議員でなければいけないのでは?と思ってしまうのです。
しかしながらわが国では過去、民主主義革命(デモクラシー)ともいえる変革が、幾度となく展開されてきました。大正デモクラシーや終戦における変革など、それでも多くの日本人は耐えに耐え、わが国を共和制民主主義(王政廃止)にならない努力をされてきました。他方、西欧やそれ以外の国などでは、たった一度の民主主義革命(デモクラシー)で、共和制民主主義へ変わった国も少なくありません。この違いはどうしてなのでしょう?
わが国は2600年以上もの永い歴史の中で、君民一体となり信頼関係を構築してきました。こうした信頼関係を覆すことは容易なことではありません。さらに綱領には『天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。』とありますように、天皇と国民との信頼関係は、将来の国民の総意で解決されるべき問題として、それまで過激だった天皇制廃止を訴えることを良しとしなくなったわけです。
(※注:心臓の弱い日本人の方は読まないでくださいね。また読んでいる途中で吐き気や目眩など、お身体に何かしら異変をきたされた場合は、速やかに戻るボタンを押すなどの気分転換に努めてください。)
私自身、この綱領を読まして頂いたのは随分と前になりますが、何かしら見てはいけないものを見てしまった、という感覚に襲われ、しばらくは呆然となった記憶があります。その後、気持ちを整え、自分なりにあれこれ考えました。そして日本共産党に対して感じたことを、まとめさせて頂きます。
まず第一に感じたことは、日本共産党からすれば、民主党や社民党(旧社会党)というのは、単なる衛星政党に過ぎないということであります。綱領の冒頭にそれを感じさせる表現がありますが、わが国において、『まずは平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命の実現を当面の任務とし、ついで社会主義革命へと進める』とあります。
この「平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命」の役割を担ったのが民主党であり、「ついで社会主義革命へと進める」という役割を担ったのが社民党(旧社会党)だったと思うのです。断定こそ出来ませんが、私たち国民には絶対に見えてこない、"政治の闇"というものが存在します。
思いおこせば、民主党に所属する議員の中には過激ともいえる左派系議員もいました。蓮舫議員や辻元清美議員や岡崎トミ子議員など。そして社民党にも福島瑞穂元党首などの過激な左派といわれる議員がいます。こうした方々の政治姿勢を見るかぎり、本来ならば日本共産党の議員でなければいけないのでは?と思ってしまうのです。
しかしながらわが国では過去、民主主義革命(デモクラシー)ともいえる変革が、幾度となく展開されてきました。大正デモクラシーや終戦における変革など、それでも多くの日本人は耐えに耐え、わが国を共和制民主主義(王政廃止)にならない努力をされてきました。他方、西欧やそれ以外の国などでは、たった一度の民主主義革命(デモクラシー)で、共和制民主主義へ変わった国も少なくありません。この違いはどうしてなのでしょう?
わが国は2600年以上もの永い歴史の中で、君民一体となり信頼関係を構築してきました。こうした信頼関係を覆すことは容易なことではありません。さらに綱領には『天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。』とありますように、天皇と国民との信頼関係は、将来の国民の総意で解決されるべき問題として、それまで過激だった天皇制廃止を訴えることを良しとしなくなったわけです。
結果、過激な政治家を党の議員として支援するのではなく、より融和路線の党として現在に至るものと思われます。
第二に感じたことは、『二、現在の日本社会の特質』のなかで、戦後におけるわが国の官僚や大企業主導による政治や経済面への、対米追随型政策を強く否定しています。一見、右派も喜びそうなことを掲げているとも思いましたが、綱領を読み続けていくと、やっぱり左派でした。天皇廃止、現行憲法護持、米軍の本土撤退、支那中共を主体とした国際秩序の押し付け、日本の歴史評価などはそう言わざるをえません。
わが国における左派の源流ともいうべき自由民権運動の指導者で、東洋のルソーとまでいわれた中江兆民は、私の尊敬する人物のひとりであります。
第二に感じたことは、『二、現在の日本社会の特質』のなかで、戦後におけるわが国の官僚や大企業主導による政治や経済面への、対米追随型政策を強く否定しています。一見、右派も喜びそうなことを掲げているとも思いましたが、綱領を読み続けていくと、やっぱり左派でした。天皇廃止、現行憲法護持、米軍の本土撤退、支那中共を主体とした国際秩序の押し付け、日本の歴史評価などはそう言わざるをえません。
わが国における左派の源流ともいうべき自由民権運動の指導者で、東洋のルソーとまでいわれた中江兆民は、私の尊敬する人物のひとりであります。
ルソーなどの西洋哲学を学んだ兆民の考え方は、ルソーの思想が暴力革命・君主制否定・共和主義であるのに対し、議会主義・法治主義・君民共治です。翁は、君主の存在する国であっても「公義公道」の行われる国は「共和国」であり、形は民主大統領制の国でありましても、「公義公道」の行われない国は真の「共和国」ではないとの旨を説かれました。
つまり、政治を「私」する専制政治がよくないのであり、君主の有無にかかわらず、「公論」が反映される政治をよしと考えていたのです。
このように兆民は、わが国の歴史や伝統ときちんと向き合い、真にわが国にとって相応しい政治システムを模索しておりました。歴史や伝統を顧みず、闇雲に西洋一辺倒の政治システムを模範とする現在の左派系の人たちとは明らかに違うわけであります。
最後に、わが国の政治政党として永く日本共産党は存在しています。特に地方政党としての存在価値は、私の想像を超えています。これからも、わが国にとってより善い政策を実行していただき、地域の安定、世界の平和実現のための政治を期待しております。
このように兆民は、わが国の歴史や伝統ときちんと向き合い、真にわが国にとって相応しい政治システムを模索しておりました。歴史や伝統を顧みず、闇雲に西洋一辺倒の政治システムを模範とする現在の左派系の人たちとは明らかに違うわけであります。
最後に、わが国の政治政党として永く日本共産党は存在しています。特に地方政党としての存在価値は、私の想像を超えています。これからも、わが国にとってより善い政策を実行していただき、地域の安定、世界の平和実現のための政治を期待しております。