日本による大規模な「移民実験」、国内の反発を抑えることができるか?―中国メディア
レコードチャイナ:2019年9月16日(月)
2019年9月12日、中国メディア・上観は、日本の外国人労働者受け入れ政策について論じる記事を掲載した。
記事は、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を引用。「世界で最も閉鎖的な国の1つである日本がさまざまな分野で外国人労働者を受け入れようとしている」「日本は今、大規模な移民実験を行っている。日本は労働者を必要としているが、欧米のような社会や政治の混乱が起きるのを心配している」と伝えた。
その上で記事は、「日本はかつて、医師や教授など専門職の外国人しか受け入れてこなかったが、1993年に外国人技能実習生制度が始まった」と紹介。「近年では日本の人口減少と高齢化に伴い、深刻な労働力不足となった」と指摘し、安倍政権で外国人労働者を受け入れる新たな政策が始まったことを伝えた。
記事は、この新たな政策により、5年で外国人労働者34万5000人の受け入れが見込まれていることに言及した上で、新たな在留資格制度(特定技能1号)には、家族の帯同不可、在留期間は5年までなどの厳格な規定があると説明。一部の企業関係者や団体からは「厳しすぎる」との声が出ていると指摘した。
しかし、一部の政治家やメディアからは「さらに厳格にすべき」との意見もあると記事は紹介。欧米で発生しているような社会や政治の混乱が起きないようにするためだという。記事はまた、外国人労働者受け入れ拡大政策に関して企業の困惑が見られたことや、外国人労働者の増加が犯罪リスクの上昇につながるのではないかと懸念する声があることも伝えた。
さらに、最近では、「外国人労働者が日本で不当な扱いを受けているのではないか」と人々が関心を寄せるようになっていると記事は紹介。2018年に失踪した外国人技能実習生が、全体の約2%に当たる9052人に達したことも伝えた。
最後に記事は、ロボットと人工知能の進歩で日本の労働力不足はゆくゆくは解消に向かうとの試算が出ていると指摘。そして、ウォール・ストリート・ジャーナルが「これは一種の実験のようなものだ。日本がポピュリズムの反発を引き起こさずに外国人労働者を受け入れることができるかどうか、見てみる必要がある」と評論していると伝えた。(翻訳・編集/山中)
記事は、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を引用。「世界で最も閉鎖的な国の1つである日本がさまざまな分野で外国人労働者を受け入れようとしている」「日本は今、大規模な移民実験を行っている。日本は労働者を必要としているが、欧米のような社会や政治の混乱が起きるのを心配している」と伝えた。
その上で記事は、「日本はかつて、医師や教授など専門職の外国人しか受け入れてこなかったが、1993年に外国人技能実習生制度が始まった」と紹介。「近年では日本の人口減少と高齢化に伴い、深刻な労働力不足となった」と指摘し、安倍政権で外国人労働者を受け入れる新たな政策が始まったことを伝えた。
記事は、この新たな政策により、5年で外国人労働者34万5000人の受け入れが見込まれていることに言及した上で、新たな在留資格制度(特定技能1号)には、家族の帯同不可、在留期間は5年までなどの厳格な規定があると説明。一部の企業関係者や団体からは「厳しすぎる」との声が出ていると指摘した。
しかし、一部の政治家やメディアからは「さらに厳格にすべき」との意見もあると記事は紹介。欧米で発生しているような社会や政治の混乱が起きないようにするためだという。記事はまた、外国人労働者受け入れ拡大政策に関して企業の困惑が見られたことや、外国人労働者の増加が犯罪リスクの上昇につながるのではないかと懸念する声があることも伝えた。
さらに、最近では、「外国人労働者が日本で不当な扱いを受けているのではないか」と人々が関心を寄せるようになっていると記事は紹介。2018年に失踪した外国人技能実習生が、全体の約2%に当たる9052人に達したことも伝えた。
最後に記事は、ロボットと人工知能の進歩で日本の労働力不足はゆくゆくは解消に向かうとの試算が出ていると指摘。そして、ウォール・ストリート・ジャーナルが「これは一種の実験のようなものだ。日本がポピュリズムの反発を引き起こさずに外国人労働者を受け入れることができるかどうか、見てみる必要がある」と評論していると伝えた。(翻訳・編集/山中)
【 所 感 】
『労働者不足』を解消するために、① 外国からの移民政策がよいのか 、それとも、② ロボットと人工知能の進歩などの最先端テクノロジー化政策がよいのか 、といった風潮が蔓延しはじめたわが国において、まずは、シナメディアが指摘する、"社会実験" が実施されていることを認識しなければなりません。
第2次安倍政権の下、急激に進んだ①の政策と、それに今後進められようとしている②の政策というのは、まさに、『政策』の美名の下に実施されている "社会実験" という下劣なものでしかなく、どれだけ、現在の日本人がそれらを上手く使いこなすことができるのか、といった、ある種の "民度の高さ" みたいなものを図られているように思うのです。
このことからしても、本来の "政策" というのは、「これなら間違いがない」とする、ある種の "責任義務" が生じて然るはずが、「これでいかがですか」といった、ある種の "責任転嫁" にすり替えられており、つまりは、天皇や国民の信託を受けた政治家や役人などが、本来負うべき "責任義務" を放棄してしまい、将来世代をも含めた国民全体が、それら一切を背負わされている、という状態にすり替えられているわけです。
とはいえ、これこそがまさに、欧米型民主主義制度の真髄ともいえましょう。
しかしながら、わが国本来の民主主義制度に従えば、天皇や国民の信託を受けた政治家や役人にとっては、"すべての責任を負う" は当然の責務とされており〔=公の精神〕、欧米型民主主義制度が導入された明治期以降においても、国柄を守る〔=国體〕精神とともに、さらに磨きのかかった民主主義制度(日本型民主主義)の下に政治運営が実施されてきました。
ところが、こうした日本型民主主義は、昭和20年の敗戦とともに一気に衰退しはじめ、平成の世には完全に喪失してしまい、現在の日本社会は、完全に欧米型民主主義制度の枠内に組み込まれていると考えられ、さらには、国柄を軽視した戦後教育の施しや、マスメディアの情報操作によって、多くの国民的思考が欧米化(公を無視した個人主義)されてしまったのです。
このように、無責任な政策ばかりを掲げようとする政界に対して、ポピュリズム化された市民がそれに反発するという構図は、これまで永く欧米諸国が辿ってきた歴史そのものといってよく、いよいよもってこの日本も、将来世代に対して本当の意味での、 "負の遺産" を築こうとしているようにしか思えません。また、今回のシナメディアの論評というのは、実に、日本を冷静に分析しているな、と思うところです。