少々旧聞ですが、5月号の『俳句』を開いていたら、「狐火」という文字が目に留まりました。それも2句・・・
一つはこの号で発表されていた、星野立子賞を受賞した井上弘美さんの句集『夜須礼』から自薦30句の内の一つ。
狐火を見にゆく足袋をあたらしく
狐火を見に・・・とはどういうことなのでしょう?多分、夜須礼の祭りへ出かけようとしているのでしょうか?「足袋をあたらしく」とは、新しい白い足袋をおろして履いて出かけよう・・・ということでしょうか?白足袋を履くというどこか艶めかしい雰囲気は女性の句でしか見ることがないように思います。はるか以前、現代詩の雑誌『詩学』を立ち読みしている時に、ブランコの詩で「・・・私の伸びやかな足を見せてあげよう・・・」というようなフレーズを見た記憶がありますが、これは男性には決して作れない詩文です。俳句でも全く同じ。女性は自分の身体の生々しさを詠むのが上手ですね。男は自分の身体を惨めな物質であるかのように捉えたり、少なくとも突き放して見ることが多いと思いますがどうでしょうか?
もう一つは、作品12句で、『温点』と題した堀田季何さんの冒頭の句
狐火ゑがく鉛筆の点るまで
「鉛筆に点るまで」という措辞はとても気に入りました。というかゾクゾクするような感性の鋭さを感じます。私のような「普通人」にはなかなが発見出来ない言葉ですね。ここでは狐火は女性の情熱というか心の怪しげな炎なのかな?自分の心の怪しさをなぞっているのでしょうか?炎が点くまで・・・そう受け止めるとやはり女性ならではの句のように感じます。
そもそも「狐火」って女性名詞でしたっけ?????