雑記zaki

日々の雑記

マチウリカールという人の幸福の探求という本を手に取ってみた

2021-02-22 20:49:00 | 日記
なぜかずーーっと押し入れのよく目に入るところに置いて放置していた。もう何年前に買った本かわからない
何度も何度も目に入るので最近気になり始め、読み進めてみることにした。

パストゥール研究所というそれはもう名前からして権威のあるところでノーベル賞受賞者と一緒に研究してた人がそこをやめてチベット仏教で修行するという話。

仏教を学んだ西洋人の限界なのだろうか、この人に限らず、我々は物事を歪んで見ていてその色眼鏡を外すとありのままの実体が見える的な話はよく出てくる。チベット仏教に明るくないのでそもそもチベット仏教がそうなのかもしれないが。
とにかく最近のビジネス仏教は、マインドフルネスとありのままの自己とか仏教は科学的だとか(とりわけ量子力学と結びつける)いう話が大好きみたいである。
無常無我なのになんでありのままの固定的なものが出てくるのかちょっとよくわからない。
しかし、おそらくそういう切り口の方がわかりやすくてウケるのかもしれないが…。
翻訳版なので結局のところ訳者が仏教に明るくなく、本人はありのままなんて言葉使ってない可能性も高いわけですが。

まぁそれは置いておくにしても、そこそこ良い本であることは間違いない。
実際に修行を積んでいるのだから言う権利はある。
修行も何もしてないどこぞの人が語るマインドフルネスなんぞ彼らのTwitterの罵詈雑言とくだらない呟きを見れば彼らがマインドフルネスでもなければ単なる拝金主義者であることは火を見るより明らかである。
マインドフルネスでない人の語るマインドフルネスなど単なる金儲けだ。

話を戻すが、この本の中で

世界観を変えると言うことは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることではない。

というポジティブ教に対する強烈な文言を浴びせるところはやはり仏教者だなと思う。
そう、仏教は全くもって人に優しくない。そのままでいいんだよ、何もしなくてもあなたは最高なんだよと思い込ませるような優しさを教えの中に持っていない。
むしろ何もしなければ苦の中を永遠に彷徨うだけだ。その中で陶酔しているか苦しんでいるかの違いはあっても結局夢の中で生きてるみたいなもんだ。

本に線を引いたり場合によっては書き出してみたり、大人になったら実はあまりしなくなるように思う。
受験生とかだったら参考書に印つけたりするかもしれないが。
でも線を引いたり書き出したりするってのはいいと思う。
その時々で何が自分の琴線に触れるかわからないし、線を引くという意識が読み飛ばさないぞという気にさせることもある。
昔はここに線引いたけど今は全然重要と思わないなという変化を楽しむのもアリ。
逆に頭がごちゃごちゃしている時は本を読んでも頭に入らないなぁという時があり、そんな時に線を引いた部分を手がかりにして、読書に入っていけることもある。

まぁでもこの本に限らずリアル仏教本というのは実はすでに日本人にもなかなか理解できにくくなってると思う。一神教的世界観で育った人が仏教を理解するのはやはり難しく、日本人ももはや欧米人と頭の中身はそんなには変わらないので、こういう本の方が自分もやっぱりわかりやすく思ってしまう。

そもそもの話として、仏教を現代にそのまま適用するのは難しいという問題もある。
どういうことかというと、やはり煩悩が当時に比べれば格段に多いと言うことである。
昔になればなるほど頭の中には周りのことだけしかない。
ところが現在の我々は地球の裏側で起きてることから、全く興味のない人の呟き、ニュース、など昔に比べたら煩悩を消すスピードよりも煩悩が入ってくるスピードの方が遥かに上回ってしまっている。
この著者みたくチベットの秘境で何も情報が入らないようなところで30年修行したらそれは素晴らしいですよ。でも僕らはそうはいかない。
だから僕たちがこの人みたいなのを真似して瞑想みたいなことをしても生きている上で入ってくる煩悩の量が段違いであることをまず注意しないと、何でこんなにマインドフルネスやってるのにダメなんだということになりかねない。

わかりませんけど、チベットの秘境で出てくる煩悩なんてお腹すいた美味しいもん食べたい、修行なんかやめて快適な都市生活に帰りたいとかそんくらいだと思う。
僕たちなんか生きてるだけで、あーあの女の子エッチだな、今日はラーメン食っちゃおう、夜通しゲームするぞとか、あいつの呟きムカつく!何だこのニュースは!そういえばあれしないとな、仕事は、お金は…etc無限に湧いてくるわけで。

相当難しいですよ。自分の観測範囲だけでなくそれ以外の情報が多すぎる。
マインドフルネスを実践する土俵に立てていないというのがまぁ現実なのかなと。
起きる修行するご飯食べる寝る、これくらい生活がシンプルでないと、瞑想で煩悩-10、日常生活で入ってくる煩悩+10000くらいで正に焼け石に水と言ったところ。
しかしまさに焼け石に水をやってる人がほとんどだと思う。
1日のうち5分呼吸に集中すればそれでオールオッケーみたいな。

現代に通用するように仏教を持ってくるには相当工夫が必要かなと思うわけです。

うーん、向かないな

2021-02-21 17:06:58 | 日記
せっかく生活スタイルを変えるつもりだったのだが、あまりfxには向かない時間帯だったので考え中。
でもまぁ投資というよりゼロサムゲームのギャンブルなんで、のめり込みすぎないよう注意します。小金持ちになったら早く株式投資に移りたい。
まぁ動画での勉強と実践ですわな。

他にもネットでできるビジネスを持ちたいと思う。だが有名にはなりたく無い。従っていくら金があろうと無かろうとYouTubeやSNSで顔出して活動は絶対に嫌だ。

大金持ちになりたいわけじゃないからね。
普通に働きつつ小金持ちになりたい。

しっかしブログを書き始めて良かったと思う。頭の中が整理されている気がする。
記録するのは後で読むためでもある。保存とは取り出す(見る/利用する)ことが前提になっている。だからこのブログも事あるごとに昔の記事を読み返したりしたいもんだな。人生の節目節目で。

記録を取ってみると帰ってからが勝負だということがわかってきた。
帰ってからテレビを見ながら夕食を食べ、ソファーでゴロゴロとテレビを見ながらスマホをいじり皿洗い、明日の準備をして風呂に入るのは2時頃、3時に寝て8時に起きる。こんなんではダメだ。
帰ってからテレビを付けず、夕食を速やかに終えて、風呂に入る。片付けをしてすぐ寝る準備に入る。夕食と風呂を片付け含めて1時間くらいで終えるのが生活改善の鍵のような気がしてきた。
それができれば寝る時間や起きる時間は自然と早まる。
記録してみると、自分の生活のどこがダメで根詰まりして生活のバランスが崩れているのかわかる。
タスクシュートはそれを教えてくれる。
それまでは帰宅を可能な限り早くしてみようとか、いろんなことを試すんだけど、結局早く帰っても夕食からのダラダラが伸びるだけで何の意味もなかった。
記録しないと永遠に続けてしまうのが俺のようなダメ人間というもの。生活を変えるには記録しかないんだな、結局。


早く寝る&fx

2021-02-20 20:14:00 | 日記
8時に寝て2時に起きる生活にしようと画策中
2時に起きてご飯を食べて風呂に入って3時
それからゆっくり体操などを行い、朝から活動。夜の7時には全てを終えて、寝る準備に入る。

夜は誘惑が多い。スマホもテレビも見てしまう。成功するまではこのスタイルでいこうかと思う。

投資を勉強しようと思って手始めにFXなんぞ始めてみようと思いマエストロfxという教材を購入していたのだった。
ただ実際には結局ほとんどFXをやることなく、何となく過ぎてしまった。
講師の佐野さんという方はとても有名ではあるが表舞台に立ったりはあまりしない。FXで勝てる手法を売って稼ぐ人ではなく(もちろんやらなくてもいいほどの金はあるはずだが)今でも週に1度リアルトレードをあげていらっしゃる仏のような方である。
それらの今まで蓄積された動画群を全て見ることができる。サブスクで金取っても許されるレベルのものである。
FXで一攫千金!億り人だぜ!みたいなチャラついた人ではなく、本当に語り口調も柔らかくて優しいおじいちゃんと言った感じ。
トレードの基礎の基礎から学ぶことができる。
最終的には株式投資にもいきたいところではあるが、どっちか検討してみてまずはFXをやってみようと思えた。
0.01とかの小ロットなら勝っても負けても数百円数十円レベルである。
まずは手始めに少額でやって掴めてきたら徐々に大きくする。
FXの不思議なことはやってることはみんな変わらないということ。
10円稼ぐのも100万稼ぐのもやってることは変わらないlot数が違うだけで。

とりあえずは手法を試すことと自分に合ったスタイルを見つけたい。
トレードルールは何となくだができつつある。
メインの時間足は4時間足にしようと思ってる。
トレードにはりつくのも厳しいものがあり、目の前でローソク足がぴこぴこ動くのをみているとなんだかすぐ利確または損切りしたくなってしまう。
トレードの回数は極力減らす。躊躇なく損切りする。

デモトレードも考えたがリアル資金でチマチマやった方が実際メンタルに及ぼす影響も測れていい。どうせ失うのは大した金じゃないんだし。

FXは全員が全員楽しめるもんではないと思う。苦しんでまでやるもんでもない。
また、片手間にやって一攫千金なんてそんな甘いものではない。やるからには死ぬ気でやる。
勉強は欠かさない。
投資に対する知識と目を養うことは一生物である。
純粋に佐野さんのトレードを見て面白そうだと思えた。あんな穏やかなトレードを俺も目指したいなぁ。負けたからクソーとか勝ったからよっしゃーという一喜一憂の次元ではダメだろう。

そうこうしてるうちに8時過ぎてしまった。
トレードを開始したらトレード日記もつけたいな。

自殺しないための工夫、子どもの自殺が過去最多というニュースを見ました。

2021-02-19 22:03:00 | 日記
コロナと関係があるのかわかりませんが。

四つの約束という本の中の一つの約束に個人的に受け取らないというのがあります。

あらゆることの問題は自己そのものです。
ダイエットしてる人はデブが嫌なのではありません、私がデブなのが嫌なのです。
病気の人は病気が嫌なのではありません。
私が病気であるのが嫌なのです。
他人が太っていようと、病気にかかっていようとそれが嫌になることはありません。それが身内であったとしても悲しくはなるでしょうが、自分に起きるほどのリアルさはない。

それをまず自覚すべきなのだと思う。
この私という自意識が問題なのだと。
しかしそう簡単にはいかない。現に苦しいし、辛いし死にたいという人にとってはそれは本当にリアルなことである。

行動よりも思考を変えることの方が難しいと書きましたが、自殺においてはまさにそうなんですよね。飛び降りればそれで終わってしまいます。逆に何があっても絶対に死なないぞと考え方を変えるのは容易ではない。

ポジティブに生きようよ〜とか生きていればいいことあるよとか
もっと辛い人もいるんだよとかそんな文言クソほども役に立たない。

一つには人生を有意義にしようという圧もあると思うんで、人生なんか無駄にするくらいで思っとくべき。利益生産性効率、そんなもん全部捨てる。
何かに失敗、親が糞、学校でいじめられる等子どもの悩みと言ったら大抵これくらいだが、然るべき対応を取るべきだ。耐えてはいけない。
これも自分にこだわるから耐えるわけだ。自分はこの扱いでいいと思うから耐えてしまう。
これが他人ならきっとそうは思わないだろう。
警察に通報するなりなんなりするはず。
でも自分ごとだと耐えてしまう。

徹底的に無駄で何の役にも立たない人生大いに結構。図太く生きてみませんか。

ちなみに今日すでに2つほど記事を書いて納得がいかず下書きです。
概念的な話は難しい。

自己肯定感という病

2021-02-19 01:48:00 | 日記
そういえば玄侑宗久というお坊さんの方が書いた本、なぜか途中で読むのを中断していたことを思い出した。
まわりみち極楽論という本。

この人のないがままで生きるとい本も気になっていた。

あるがままではなくないがままである。

努力型の自己啓発と対置されるのがあるがまま系の自己啓発だと思う。
努力が強調されればされるほど疲れてあるがまま系の本に走りがちである。
ただし、あるがままもまた役に立たない。
生まれてからあるがままの状態であったことなんて誰もないからだ。どれをあるがままの自分と呼ぶかは結局その人次第の思い込みに過ぎない。

自己肯定感という話にもつながる。昨今自己肯定感が大事だと言われるが、それもやはり無理があるのではないか。無論自分に価値はないとかそんなこと思う必要もない。だからといって自分が大好き自分が大切だと無理に思い込もうというのも違う。
別に思い込んでそれで幸せなら構わんけど。
でもどっいにしろ思い込みに過ぎないからどっちに振り切っても無駄で。
自己になんか肯定させてないで、他人に肯定されるような生き方をした方がよっぽどいい。
自己肯定感なんていうものは他人に受容されればされるほど上がるのだから、他人抜きで自己肯定感だけを求めてるのは病的である。

ただ仏教的なものを学んだときに思ったのがそれ自体ではあまり楽しく生きられないなぁとも思ったんです。社会的成功と仏教はやはり相反すると思う。
昨今では前にも書いたが生産性や利益のためにマインドフルネスをするという煩悩丸出し仏教も流行っているが。そういう偽物を除くと理論と合わせた上で、社会的な成功に繋がるように教えを活用できるものは無いと思う。
やはり現世利益の部分を考えるには密教も必要なってくると思う。どこまでそれを受け入れるかというのはかなり難しい。
煩悩を煩悩と認識した上で煩悩を楽しむというのはかなり高度。
かといって煩悩丸出しで金!暴力!SEX!などと言って生きることもできないのが俺という人間。
それで生きられる人はそりゃ経済長者になる。金とか女とか地位に本当に価値を感じてそれのために突っ走ることが出来る人は金持ちになれる。残念ながら俺はそうは思えない。普通の人は思えないですよ。そりゃあればみんな欲しいに決まってる。でも絶対になきゃいけないものだまでは思えないと思うんですよね。
なきゃないで別にそこそこ生きていけるわけだし。それが正常なんですよ。

なのでバランスとりながら広げていくのがよく生きるのには必要なのかな。
煩悩に乗りつつそれに乗っていることを意識する。煩悩ばかり追いかけて見失うとそれが手に入らないことに辛くなる。手に入っても入らなくてもどっちも同じだという意識をもってその上で求める。
それが唯一理論と実践を成り立たせるものだ。