雑記zaki

日々の雑記

進撃の巨人+その他SNS話

2021-02-08 01:12:00 | 日記
アニメ派なので原作のことは知らないですが、進撃の巨人、いやーすごい。
最近は本当に週一の楽しみみたいな感じになっています。
なぜか鬼滅は見ていないので、ブームに乗ることができていない。

漫画を読まない人間なのでアニメしか知らないけど、毎週ドキドキして見ている唯一のアニメ。
思春期リアルタイムでコードギアスを見ていた時以上のワクワク感。
コードギアスの場合原作がないので誰も展開を知らないから毎週ものすごく楽しめた。
進撃の巨人は原作あるんでちらほらネタバレも見てしまっているがそれでも、やっぱ面白い。
今まで見た中で一番面白いアニメだと思う。
全く中身のない記事だがそれくらい面白いとしか言いようがない。
巨人というファンタジーを通して、そこにある世界とか人間とか歴史とか全てが興味深い。
進撃の巨人が終わったら進撃ロスになるだろうなぁ…
今思春期の人たちは多分今後進撃以上のアニメに出会うことはないだろう。

全く関係ない話だが、僕のスマホはスクリーンタイムでSNSが3時間までしか使えない。
しかもバグでスクリーンタイムの設定を変えられなくなってしまった。パスワードは忘れてしまって、パスワードもバグで変えられない。YouTubeの公式動画を見ると同じ症状の人はたくさんいるのに、全く改善されない。
しかも、この設定はスマートフォンを新しくしても引き継がれるらしく、もう永遠に3時間しかSNSが使えないスマホになってしまった。
Twitter、LINE、YouTube、その他諸々合計3時間となると相当慎重にしないとすぐ終わる。
開きっぱなしとかは死への道。
YouTubeで関連動画次々と見たらすぐ終わる。
幸いブログを書く時間は関係ないようなのでありがたいが。
それで、少しずつTwitterを見る時間を減らしていきたい。Twitterはやっぱり見てしまう。
5chはやめられたのであとはTwitterとYouTubeが強敵である。
これさえ辞められれば自分の人生にゆとりが生まれる。
gooブログは居心地がいいのでできれば死ぬまで書きたい。それまでサービスが続いていることを願う。
gooブログはブログ界のオアシスだ。


まず記録より始めよと言ったがあれは嘘だ

2021-02-07 01:35:00 | 日記
記録を取るのは現実の把握であり、よりよい生活を実現するためだった。
それで、実際のところどういう生活がしたいのか明確でない限り記録を取ったところでただそれだけで終わる。
欧米型のタスク管理なんてものは元来なんでもかんでもコントロールしたいという欲望から始まっていると思うが、僕は全く逆でむしろコントロールできるところは少ないのだから、コントロールなんかできないんだよという前提で始めている。
こっちの方がたぶん日本人にはしっくりくるのだと思う。

で、実際記録してみると仕事トイレ睡眠食事、これらの時間を差し引いたものが実際に使える時間である。24時間まるまる使える人はいない。
しかし理想がない限り毎日毎日同じことが同じだけ記録されるだけである。
理想とのギャップを少しずつ埋めていく必要がある。
何年後になるかわからないが、例えばもう何もかも満たされた場合自分は朝どういうことから始めて、どういう1日を送るのかということについて想像をめぐらす必要がある。
もちろん今すぐ完全にはその1日を始めることはできなくても、その中ですこしそれに近しい行動を取ることは可能である。
それを積極的に生活に取り込む。
例えば、僕は体がとても硬い。将来的には朝ホットヨガでもやりながら優雅に1日をスタートさせたいという理想がある。
もちろんそんなすぐにそれを実現はできない。毎日朝からどこかの教室に通う時間が今はないわけだから。
しかし、それに関する行動が全く不可能かと言われるとそうではない。例えばYouTubeで動画見ながら朝5分だけやってみるとかはできる。
そうやって最終的な理想の断片を毎日の中に無理なく取り込んでそれを増やしていく必要がある。
これは単なるボトムアップとは違う。あれをやってこれをやってと目の前のことをただこなすこととは違う。
僕が朝たった5分だけYouTubeを流しながらヨガをするのは、僕が将来送っているであろう理想的な毎日と同じなのである。
即ち理想即現実、現実即理想である。
もちろん、将来はもっと長い時間どっかの教室でやっているのだろうと思う。

さてこの場合な理想とは現実的な理想ではない。
もっと果てしなく遠い理想でなければ意味がない。
これが難しい。たいてい現実に思考が縛られる。
できることを探そうとする。それはただのtodoである。
todoリストを作って結局やらなかったって人は多いんじゃないだろうか。
やらなきゃいけないことを書き出したからといってじゃあそれができることとは別だ。
todoリストとはそもそもやりたくないけどやらなきゃいけないものの総体であることが多い。
理想的な日常はやらなきゃいけないことではないはずだ。
だからもし僕に理想がなく、毎日5分ヨガというtodoを登録したならば苦痛でしかないだろう。
それは健康のためにやらなければならないことであり、できればやりたくないことだからだ。
故に現在によって自分を縛るのではなく未来によって自分を縛らねばなるまい。

常に基準は未来の自分である。
未来の自分即現在の自分であるように生活を作り替えていく。
そうやって少しずつ未来から現実をぶっ叩いて小さなヒビを入れていく。

ちょっと脱線するが最近ストレス発散のために何かしようと思っていたが、やめた。
酒もタバコもやらないので趣味と言ったら読書と自転車くらいなもんで、なんかないかなーと思って探していた。
でも、はたと気が付いた。なぜ我々はこんなにも時間をなにかで満たそうとするんだろうかと。ストレスの発散でさえ、「何かをする」ことによって解消しようとする。
何もしないことができない。
最近ではマインドフルネスなんかも流行ってはいるが、あれも結局「生産性」だの「集中力」だののためにやっている欺瞞である。
釈迦は、道元禅師は生産性を求めたか、集中力のために坐ったのか、違うだろう。
ただすわることが只管打坐だったはずだ。お金を稼ぐためにストレス解消のために坐ったわけではない。
そう考えてみるととてつもなく遠くの理想を描くと同時に何かするのではなく、何かしないことも大事になってくる。
僕自身の生活を考えてみると自分のことについて考える時間が昔よりもはるかに少ない。
他人の呟きを見て(Twitterは見るだけ)他人の作った動画を見てコメントをし、次から次へと関連動画に飛んでいく。
一体1日に自分についてどれくらいあるだろうか考える時間はあるだろうか?
そういうTwitterだの動画閲覧だのの時間をどれだけ減らせるか、最高0にし自分についてもっと考えなきゃ生きている意味がない。

そんなんで死ぬ時自分の人生を生きたなんて言えないような気がするのだ僕は。

若者のネットリテラシーが高いは本当か?

2021-02-06 00:44:00 | 日記
陰謀論にハマりかけたという高知東生さんの記事が話題になっているのを見た。

おじさんよりも若者の方がリテラシーが高いと言われているが本当にそうだろうか。

これは半分正しくて半分は間違っているように思う。

年齢というよりもスマホ以前以降で分けたほうがはっきりとわかると思う
僕くらいの20後半の人はパソコンからスマホへとインターネットの成長と共に自身も育ってきた。
だからネットの怖さもネットの楽しさもわかる。
一方でパソコンに触れてこなかった人には2種類いる。
一つはおじさんである思春期にパソコンもなかったひとたち。
もう一つは最初からスマホがあって、パソコンに触れなかった若者たち。
この2世代はおそらくネットリテラシーが高くないと思っている。
若い世代はネット上に顔写真を上げることになんら躊躇もないし、真偽を確認せずリツイート、個人に直接暴言リプなど彼らにとってネット上と現実は地続き、現実の拡張みたいなイメージがあって独立したネットという概念はないように思う。
もう少し詳しく言ってみる。
今の若い世代は我々とはネットの捉え方が異なるということである。
彼らにとってインスタはインスタ、Twitterは Twitter、tiktokはtiktokと独立した概念であってそれらが全てネット上のことであると思っているようには見えない。
僕らの世代はネットに繋いで、あのサイトにいく、このサイトを見る、何かダウンロードするなど、ネットがあって全てが繋がっているイメージがあった。
僕がこう考えるようになったのは数年前に起きたTwitter上で吉野家コピペ改変が炎上した時である。
その時Twitter上では釣られたであろう人たちがそんなものは知らない、2chのネタをTwitterでやるなみたいな逆ギレが多かったのである。
これは反応としては僕ら世代とは異なる。
なぜなら僕らが経験してきたインターネットは知らないでは済まないからである。知らない奴は痛い目を見るからである。
どっか知らないサイトにアクセスして面白FLASHだと思ったらブラクラ踏んだり、その時にこんなの仕掛ける奴が悪いと言ったってインターネットは容赦ないのである。
インターネットは繋がっているのだからどこかで使われたネタが別のどこかで使われることは当たり前のことだったからだ。
仮に釣られたとしても自分を恥じたものだった。やっちまったな〜と思って次からは調べようと思って反省した。
今のスマホ以降のデジタルネイティブ世代はそのような反省をしないように思う。先程の例であげたとおり彼らはネット上を恐れない。だから人が死ぬまで叩いたりするのである。
悪い奴が悪いというのである。それはそうだが悪い奴はいるのである。


僕はTwitterとは最悪のSNSであると思っている。ずっとリツイート機能の廃止をすべきだと思っている。
炎上やらデマやら最近では死ぬ人もいるけど誰もリツイート機能の廃止を訴えないのは結局のところそれでメシを食ってる奴がいるからである。
バズることと炎上することは起きている現象という点で見れば同じである。
炎上も場合によっては単なるバズりになるかもしれない。
現象が同じなのだからどっちも批判する以外にはないのである。
バズらないネットはつまらないという人もいるかも知れない。
ただバズることで一体感をプラスしなければネタを楽しめないようならそもそも大したネタではないんじゃないか。

話は変わりオリンピック。
僕はオリンピック廃止(休止)がよいと思っている。
中止ではなく一旦組織全体を解散。営利目的を禁止した上でもう一度開催したければやればよいと思う。
もはやお金儲けのために開催されるにすぎない大会に成り下がっているわけで、平和の祭典でもなければ伝統でもなんでもない。



デジタル上に第二の脳を作る

2021-02-05 01:25:00 | 日記
世の中には多くのタスク管理ツール、方法がありますがなかなか上手くいきませんでした。
GTDとかもそうだし。

今やっているのは「たすくま」というアプリで1日の記録を取ること、upnoteというアプリに第二の脳を構築している途中。

昔はever noteが第二の脳という触れ込みで使っている人も多かったがプレミアムサービスにしないとまともに使いづらいこともあってかいろんなアプリに分散してしまったように思う。
すごい人のever noteなんかみるとどうやったらそんな綺麗に整理整頓できるのかなと不思議に思っていたが、これは違った。
とりあえず何でもかんでも放り込んで、後でどう整理したら引き出しやすいか考えてるうちにだんだん整理されていくのだなと思った。
そう思って以来とにかく放り込むことだけを目標にして、あとでこれはなんだろう?と考えた分類してる。
GTDのフォーマットに従うよりも、自分にとってどういう分類をするといいかで考える方がいいかなぁ
そんなこんなで、今は感情とか行動とか考えとかいくつかの分類をしている
考えのさらに下の階層で2択かそれ以上の選択肢があるかで分類してみている。
するかしないか、買うか買わないかみたいな単純な考え事からあれにするかこれにするかそれともそれにするかみたいな選択肢が多いようなものは僕の中では分けた方が整理しやすいと思ったからだ。これらは単なる考え事を超えて答えが最終的に決まるものではある。だから今すぐ行動にはならないものの行動の一歩手前である。
一方で上位概念の考え事には当然答えがないし行動にも繋がらないものもある。それもとにかくupnoteに突っ込む。
ツールはなんでもよいと思うが、最初から箱を作るGTDはその箱の形に綺麗に収まるならいいと思うが往々にしてそうもいかないので突っ込むのが先、箱は後の方が汎用性はあると思う。もちろん一般性はないのでその人にとってしか役に立たない。まぁ誰かに披露するものでもないからそれでいい。
ブログもその記録の中の一環ではある。ブログは精神の健全性に役に立つ。
人生を変えたいと思ったら自分の人生を記録して自覚的になるしかない。
まず記録より始めよというわけだ。

ところで僕はtodoアプリはあまり役に立たないなぁと思っている。todoistのプレミアム登録して使ってはいたけど、結局todoが管理できるのは人生のごくごく一部である。そもそもタスクにならないようなものや行動でないものは管理の埒外になっている。そこまでしてtodoだけに焦点をあてる意味が僕には見つからなかった。
todoを使わないわけではない。upnoteにもチェックマークつけられるしそれで十分。
ツールは少ない方がいい。todoはこれ、スケジュール管理はこれ、みたいな何個も持つと途端に面倒になる。したがって当面はたくすまとupnoteだけにするつもり。あとはplannerというアプリをたすくまの補助として使っているのみ。

昼夜逆転してるのでまぁまずそれをなんとかしたいよねという。


gooブログを選んだ理由、個人がただブログを書くとは。

2021-02-04 01:01:00 | 日記
ちゃんとブログを始めようと思って、さまざまな無料ブログサービスを探した。

あまりにもアクセスが無いと寂しい。それならメモ帳にでも書いておけばいいし。かといってバズるとかそういうのは嫌だ。誰かが見ている、でもそんなに目立ちたくも無い。そんなことを思いながら色々と無料のところを探してとりあえずgooブログに落ち着いた。

初めてブログをやったのはfc2ブログだった。それはたぶん中1〜高校卒業までほぼ毎日書いていた気がする。卒業と同時になんとなくやめてしまった。ログは取っておいたのだが、取っておいたパソコンをなんとなく初期化した時に消えてしまった。
それで、そのあと何度かブログをやってみようとは思い色々なサイトでやってみるもののなんか違うなぁと思って続けることが難しくなっていった(それでも1年とかは毎日書けるくらいには好きなのだが)
それは僕自身の変化(成長するにつれて単に書くことがなくなっていった)が理由だと思っていたのだがブログというものの性質、あるいはブログというものを取り巻くネット環境そのものの変化だったんだなぁと今になって納得している。

どういうことか?

それは、ブログが個人の単なる日記から役に立つとかあるいはお金が稼げるものへと変化していったからだと思う。
いや、昔からブログで稼いでた人はいたかもしれない。でも、そういうものとしてだけではなかったように思う。
TwitterやInstagramなどSNS全盛の今本当に単に記録としての、weblogとしてのブログを始めようと思う人はどれだけいるんだろうかと考えるとおそらく相当なマイノリティではないだろうか。
ブログを始めるにあたってたくさん検索をした。どのサービスがおすすめかというサイトはたくさん出てくる。でも、おすすめの理由は結局のところSEOだったりアクセスが多いとかそういう理由しかない。
それは自分にとってはどうでもよいことだった。

最初にやろうと思ったのは、何度か書いていたはてなブログだった。しかし思い返してみると雰囲気が合わなかった。
みんなバズるために稼ぐために必死というかタイトルもなかなか狙っているなぁと言う感じもしてとにかくなんだか競い合ってる感が嫌だった。こちとら誰かが見てくれる程度で良いのだ。
必要としてるのは金でもアクセスでも無い。

fc2ブログやライブドアブログはまとめブログのイメージが強い…
しかし、一般人を探すと今度は強い個人(何かしら有名)がぽつんぽつんとまばらにいるだけで難しい。
時々見ていた本当にただの一般人のブログがあることを思い出してamebaブログでアカウントを取った。
だけども、amebaはやはり芸能人のものというイメージがあって結局ブログを書くことなく終えた。
noteというブログみたいなサービスも使ってみたのだが、はてなと同じような感じを抱いた(はてなよりはいいかもしれないが)

それで今日よく読んでいる南直哉さんというお坊さんのブログを訪れた際にgooブログでやってみるかと思い始めた。

ところで、ブログを書くのはパソコンがいい。今はスマホで売っているのだが、ずっとパソコンで書いていたからかスマホで書こうとしてもあまり頭が回らないような気もする(変な文章や繋がりがわかりにくかったらすみません)
しかし話があっちこっちにいっていいのだと思う。
最初に目次があって、理路整然としていて、何かの役に立つことを目的にしているわけでも特定の誰かに向けて書いてるわけでもないのだから。

それで、ブログに限らず何で書くかについて最近は結構こだわっている。
今はビクーニャというボールペン(🦙ビクーニャという動物の絵文字があるんだな)が気に入って使っているのと、鉛筆に回帰しつつある。
えんぴつを久々に使ってみるとこれが存外気持ちがいい。手に馴染むというか、使うにつれてだんだんと太くなっていく線といつ削るかというせめぎ合いと。なんだかそれが好きになってきて最近は鉛筆を使うことも多い。
作業もデバイスに依存するよなと思う。
Apple PencilとiPad Proも便利で使うけど、note shelf2なんかは鉛筆っぽいペンが用意されていて好きだがUIはnotabilityの方がシンプルでよい。

というわけで少し張り切りすぎて長くなってしまったが、適当に書いていこうと思う。