災害多発の極貧の地を豊穣の地へと変えた品井沼干拓。
沼の水を松島湾に流下させるという300年間にわたる苦闘の歴史を、元禄潜穴、明治潜穴、わらじ村長鎌田三之助を中心に紹介したいと考えこれまで準備を進めてきました。
やっと、一区切りがついたので公開することにしました。
野蒜築港の整備に関わったセ・イ・ファン・ドールンは、明治12年(1879年)から明治15年(1882年)の4年間、この品井沼の調査測量に就いています。
鎌田家三代にわたる不撓不屈の歴史は、“スゴすぎ”ます。
今回まとめた中から鎌田三之助翁が書き記した『父の訓戒』を、とりあえずここに掲載します。
詳しくは、内容をご覧ください。 ⇒ こちら
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品井沼排水事業は祖父様、死を以て決行を誓い、神仏に祈願をこめて成功せずんば一命を召されと堅い決心で企てたので、これが出来なければ御互が此の地は勿論此の世に居ることも出来ない。武士は二君に仕えずと、御祖父様も戒めてござるから自決するより外に途はないのである。
命の続く限り、財産のある限り、尽力しなければならない。決して他より旅費を貰うの、日当を払うのと言う事に耳を傾けてはならぬ。裸一貫まで橋の下に住むようになっても他力を乞うてはならぬ。命が無くなったら止めろと戒しめられたので、他力は三代一文も乞いません。組合事業に移っても旅費日当を受けたことは一文もございません。
(鎌田三之助翁傳「父の訓戒」)
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