旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

東北陶磁文化館で出会った驚き~三浦乾也

2009-06-01 23:48:43 | 水の道逍遥
先日、とても興味をかき立てられる話に出会った。それは、切込焼(きりごめやき)の作品見たさに加美町中新田にある芹沢長介記念東北陶磁文化館に立ち寄ったときのこと。


ズーッと一人で展示品を見て回り(ほかにお客さんは誰もいなかった)、2階の端のケースの中を覗き込んだ。そこには手の込んだ、それでいて華麗で瀟洒な湯飲み椀。

作者の名を見てびっくり。“三浦乾也”とある。

この名は、仙台藩から招聘(しょうへい)を受けて、塩釜湾の浦戸諸島“寒風沢(さぶさわ)”でわが国最初の西洋式軍艦“開成丸”の建造を指揮した人物。
(注)「わが国最初」は誤り。詳細は ⇒ こちら

驚きをかいつまんで言えば、

・ 若かりしころ陶工であったこと。
・ 浦賀に入港したペリー率いる黒船を見て一念発起し、長崎で造船技術を学び、そしてついにはここ塩釜の港で現実に成し遂げたこと。
・ さらには、我が県の焼き物の2大伝統工芸品の一つ“堤焼”の祖である針生乾馬さんの“乾”の字の贈り人であったこと。
・ 時が明治に移ってからは東京に在し、江戸焼物界最後の陶工としてその名を馳せたこと。

  開成丸建造に関しては、貞山運河事典を参照ください。 ⇒ こちら


『幕末の鬼才 三浦乾也』は、益井邦夫さんの著作物。つい、インターネットで購入してしまった。読むのがとても楽しみ。

また、三浦乾也の作品が、多数仙台市博物館に寄贈されているらしい。これまた見ないではいられない。

  仙台市政だより市政トピックス「幕末の陶工三浦乾也の資料が寄贈されました」
          ⇒ こちら

ちなみに、東北陶磁文化館の展示解説には、次のように記されていた。以下は、私が筆記してきた内容。

「三浦乾也(1820~1889)
江戸の陶工で乾山風の焼きものを作り、破笠(はりつ)風の細工が巧みであった。34才のとき勝安芳と共に長崎に行き、オランダ人に洋船製造技術を学んだ。1856年、仙台藩から造船棟梁として招かれ、松島寒風沢に工場を建て、開成丸を建造した。仙台堤焼の陶工庄司源七郎は乾也に陶工を学び、のちに乾の一字を許されて乾馬と名のった。」


いずれ機会を見てもっと掘り下げ、ぜひ貞山運河事典に掲載していきたいものである。





(切込焼:購入した絵葉書から編集。もとは作品一つにつき一枚もの。)

(切込焼:購入した絵葉書から編集。もとは作品一つにつき一枚もの。)



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
東北陶磁館閉鎖に (rei hitachi)
2021-07-03 17:19:04
加美町宮崎に在住です。18年前Uターンしました。
地域の文化芸術に関わる施設や作品を大切に感じております。
東北陶磁館を取り上げてくださる方がいらっしゃって感謝と感激です。
非常に残念なことですが、この施設閉館になります。
建物の老朽化と保持するための寄贈者の建造物条件を満たす予算がないという行政の判断らしいですが、工夫次第では方法があると個人的にはおもいます。
基本的に美術工芸・歴史的な財産に対しての行政の認識の薄さだと私はとらえてます。
切りごめ焼きは宮崎の切りごめ焼き記念館に移動しその他の焼き物は寄贈者関係の施設に返却するということです。
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東北陶磁館閉鎖に (やまぼうし)
2021-07-05 18:37:08
rei hitachiさん、拙ブログをご覧いただきありがとうございます。
”閉館”ですか! 
地域の歴史や文化資源に対する認識が薄らいでいくのは、とても残念なことですね。
宮城県の慶長遣欧使節船(サンファン・バウティスタ号)への取扱いにも同様に思っています。
「価値があっても値段のつけられないもの」=歴史、伝統、文化などこそが、観光振興などにとって一層重要になると言うのに・・・。
三浦乾也・開成丸などは、こちらにありますので、ご覧いただければ嬉しく思います。
https://blog.goo.ne.jp/zas_001/s/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E4%B9%BE%E4%B9%9F
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