昨日は石巻市内に泊り。
ホテルのある蛇田地区は、大型店が集積し、近郊からの来店者で活況を呈していた。
東日本大震災による大被災地が同じ市内とは想像できないほどだ。
しかし、こうしたにぎわいの中に、津波被害という厳しい現実があった。
真新しい家並み、大型店、高層ホテルが立ち並ぶ一角に、仮設住宅がおかれている。
「日常」と「被災という非日常」が併存している。
この「非日常」が風化され、いつしか「日常」に混和されることのないよう、大変な苦労を負わされた方々に思いを重ねていたいものだ。
▲住宅街の仮設住宅
仙台まで戻る途中、野蒜築港跡に行ってみた。
※ 野蒜築港跡の詳細 ⇒ こちら
浜市の新市街地跡は、夏草が生い茂り、土砂等の堆積地ともなって、荒れた状態になっていた。
あの風格のあった夫婦松は、痛々しい姿のまま枯れて立っている。
一方、津波で運ばれ倒されていた『黒澤敬徳碑』は、元の位置に建て直され、その脇には石ローラーも置かれていた。
鳴瀬川堤防の嵩上げに伴う土のうの手前には、『野蒜築港跡』の大きな碑が横倒しに置かれている。
”工事が進めば、きっと元の場所に設置されるのだろう”
そう強く願う。
この石碑のある北上運河と鳴瀬川の合流点は、大きく様相を変えている。
運河と石巻湾(太平洋)とを分ける矢本海浜緑地の黒松林も、まばらでかつ枯死。
かろうじて浜市漁港の護岸と舟がかつての姿を思い出させてくれる。
新鳴瀬川の「上の橋台」は、やや南に傾いている。
「中の橋」は、消失とか?
「下の橋」は、どうなっているのだろう?
今日は時間がなく、確認できなかった。
※ 昨年行った時の記事 ⇒ こちら
▲レンガ造りの「上の橋台」
▲黒澤敬徳碑と松
▲野蒜築港跡碑
▲北上運河(浜市漁港前)
ホテルのある蛇田地区は、大型店が集積し、近郊からの来店者で活況を呈していた。
東日本大震災による大被災地が同じ市内とは想像できないほどだ。
しかし、こうしたにぎわいの中に、津波被害という厳しい現実があった。
真新しい家並み、大型店、高層ホテルが立ち並ぶ一角に、仮設住宅がおかれている。
「日常」と「被災という非日常」が併存している。
この「非日常」が風化され、いつしか「日常」に混和されることのないよう、大変な苦労を負わされた方々に思いを重ねていたいものだ。
▲住宅街の仮設住宅
仙台まで戻る途中、野蒜築港跡に行ってみた。
※ 野蒜築港跡の詳細 ⇒ こちら
浜市の新市街地跡は、夏草が生い茂り、土砂等の堆積地ともなって、荒れた状態になっていた。
あの風格のあった夫婦松は、痛々しい姿のまま枯れて立っている。
一方、津波で運ばれ倒されていた『黒澤敬徳碑』は、元の位置に建て直され、その脇には石ローラーも置かれていた。
鳴瀬川堤防の嵩上げに伴う土のうの手前には、『野蒜築港跡』の大きな碑が横倒しに置かれている。
”工事が進めば、きっと元の場所に設置されるのだろう”
そう強く願う。
この石碑のある北上運河と鳴瀬川の合流点は、大きく様相を変えている。
運河と石巻湾(太平洋)とを分ける矢本海浜緑地の黒松林も、まばらでかつ枯死。
かろうじて浜市漁港の護岸と舟がかつての姿を思い出させてくれる。
新鳴瀬川の「上の橋台」は、やや南に傾いている。
「中の橋」は、消失とか?
「下の橋」は、どうなっているのだろう?
今日は時間がなく、確認できなかった。
※ 昨年行った時の記事 ⇒ こちら
▲レンガ造りの「上の橋台」
▲黒澤敬徳碑と松
▲野蒜築港跡碑
▲北上運河(浜市漁港前)
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