旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

栗駒ー鶴丸城址など

2018-09-26 22:09:15 | 地域魅力
2018.09.24(月・祝)は久しぶりに栗駒の町へ。

お墓詣りの帰りに『山の駅くりこま』に寄って弁当を購入。
それを持ってこれまた久しぶりの蛭子公園と鶴丸城跡へ行き、歩いてみた。

「アレッ、こんなに広く良いところだっけ?!」 

文字富士の大土ヶ森や母校を眺めながら、美味いコメのオニギリ弁当を頬張った。

サクラ(13種)やアジサイの季節、10月中旬以降の紅葉の時期には、これまた美しい風景を見せてくれるに違いない・・・。



(旧栗駒町役場の跡地に開設された『山の駅くりこま』)




(公園駐車場。トイレもある。)


(園内には13種のサクラが植えられているという。)


(アジサイロード)


(シダレザクラ、アジサイと岩ヶ崎の町並み)


(蛭子公園の東屋。脇にはテーブル、椅子も設置されている。ここで、のんびりと買ってきた弁当を味わった。)


(同上)


(鶴丸城址)


(同上)


(蛭子公園側から眺める文字富士「大土ヶ森」)


(わが母校(高校)は右上の方角にある。)


(公園内の端)


(松の巨木の後ろには恵比寿像)


(同上)


(恵比寿像の脇の石碑。由来は未確認。)


(巨木松の旺盛さがわかる幹からの芽吹き)


(鶴丸城址のサクラと大土ヶ森)


そして、鶴丸城址に移動。







(広い草地の本丸跡)





    鶴丸城
 鶴丸城は はじめ富沢氏の居城であった
富沢氏の祖右馬之助は葛西氏の出で 南北朝時代の岩切城合戦に吉良方に味方して戦功あり
三迫の地に とみ沢の郷をもらい この地に築城した
以来 代々日向守を名乗り 勢大いに振ったが 五代直景の代に至り 
豊臣秀吉の小田原征伐に不参の故を以て 天正十八年(一五九〇年)主家葛西氏と共に滅んだ
伊達氏の時代になり 政宗公の五男宗綱 六男宗信の居館となり 
茂庭周防の補佐により五万石の城下町を築こうとしたが いずれも夭折して成らず 
その後 石母田 田村 古内 茂庭 中村と移封された
中村氏は元新田氏と称し 伊達家の累世一家の重臣で 勲功により伊達公の旧姓を賜り 
中村日向の名を以て聞え 岩ヶ崎邑主として元禄七年より明治維新まで百七十年に及んだ
当館は 東西六百五十メートル 南北四百メートルの壮大な連郭式山城で 
西に黒岩館を控え 本丸から東方に二の丸 三の丸 東館と続き 
規模の壮大 近隣に比べるものがない
城跡に立っての眺望また絶佳 当時の勢威がしのばれる
      中村家十三代宗三郎 孫
             中村貞夫 撰文
   
                                                                                                         


(奥にある東屋)


(周囲と異なる白アジサイ)


この後は、六日町に移動し、”鶴ヶ飴”で有名な『岡本老舗』でこれまた美味しい”ゆべし”などを購入し、仙台に戻ってきた。 



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