天気が良さそうなので、福島県の山に登ってきた。
これまた久しぶりの山歩き。
この山は、富士山が見える山だという。
■日山(天王山) ひやま 1054.6m
***日山の由来(石碑文から概略を紹介)
坂上田村麻呂東征の折、日山頂上に社を築き蝦夷征服の祈願をなしたと伝えられる。
源義家がこの社にて東征祈願して檜一千本を奉納植樹した。それから「檜山」と称した。康平5年(1062)尾張津島神社 天王山より牛頭天王を分霊して頂上銭櫃石の側に勧請安置し、戦勝と民生安定、厄災と疫病を除去、田の生産、水の順調の守護神として信仰を集めた。
慶安2年(1649)6月の大洪水に丹羽二本松藩主が日祭の大祈祷を行って以後、「日山」と改められた。
明治2年(1869)山は旭岳に、田沢、茂原の社は旭神社に、葛尾の社は日山神社とされ、祭神は建速須佐之男命を祀ることになった。
のち再び日山(天王山)と称することになった。
***
「今日は晴天。ひょっとしたら見ることができるかも」などと淡い期待を持って登山口に到着。
まずは公共牧場機能強化事業管理棟わきの日山案内図を確認。
(ここの脇には、トイレ、駐車場、パークゴルフ場などがある。)
そしてさらに舗装林道を奥まで移動すると田沢登山口に着いた。
道幅は広くなっているので駐車する。
(田沢登山口は、向かって左側)
牧場へと続く氷結した舗装坂を転ばないように注意して上る。
振り返れば、安達太良連峰が美しい。
すぐに「水速女大神 鳴雷神」と彫られた石碑前に出た。
ここは水場のようだが、そんな感じはしない。
道はやや傾斜を増し、雪の量も多くなってきた。
(このコース最大のミズナラの木)
日山(天王山)山頂は、かなり広い。
本来ならまずはお詣りすべきなのだろうが、富士山が気になり、展望台に上がってみた。
案内銘板とを見比べながら富士の方向に目をこらしてみる。
設置された双眼鏡も覗いて見た。
もちろん、見えない。
(富士山が見えるという方角)
大滝根山、那須岳、燧岳、磐梯山、安達太良山、箕輪山、東吾妻山、一切経山、蔵王などが一望できた。
(磐梯山~蔵王については、下部に掲載。)
(左が大滝根山)
(那須岳)
(燧ケ岳)
この後、日山神社、旭神社にお詣りして、下山。
(日山神社:石祠を覆う社殿には扉がない。)
(旭神社:こちらも社殿に扉なし。)
(トイレ棟)
せっかくなので、胎内岩を覗いて見ることにした。
こちらの茂原登山口にいたるコースでは、下りたところから田沢登山口まで舗装路を歩いて戻らなければならない。
しかし、田沢登山口ピストンでは面白くない。
それに今日は、十分時間に余裕がある。
胎内岩は、ザックを置いてまで通り抜けてみる気がわかず、脇を素通り。
下方に回って、覗くだけはしてみた。
(胎内岩)
(胎内岩のツララ)
(胎内岩の下側を通る山頂への道)
後は、明るい雑木林の道をたどって茂原登山口に向かう。
(移分岐点)
(イノシシが掘り返している登山道)
(木立の向こうに日山山頂)
今日は上りでも山頂でも誰にも逢わないできた。
胎内岩から下ってからは、ソロの男性、2組のご夫婦とすれ違う。
平日でも登る方がいるのは、県立自然公園でもあるやはり人気の山だからなのだろう。
牧場の上部に出てすぐに、休憩所(東屋)に着いた。
眼前に広がる雪をいただいた山々を眺めて、ゆっくり休憩。
(牧場上部から安達太良連峰を望む。)
(休憩所)
(歩いてきた日山)
(左から磐梯山、和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山)
(磐梯山)
(安達太良山山頂:通称”乳首”)
(中央左から東吾妻山、一切経山。右手前は羽山。)
(蔵王)
(茂原登山口:旭神社への参道になっている。)
(日山キャンプ場のバンガロー)
茂原登山口からの舗装道路歩きは、前述の管理棟のあるところまでは下りだが、その先の車を置いた田沢登山口までは上りとなる。
「少々、面倒だなあ~」などと思いながら、戻ってきた。
※ この機会にでもと思っていた、高太石山(川俣町)、懸の森山・毘沙目木・五台山・国見山(南相馬市)などには、原発災害避難指示区域になっているため、行くことができなかった。
※ 仙台に戻る途中、岩沼市内の貞山運河の現況を見るため、岩沼海浜緑地公園南ブロックに立ち寄ってきた。
歩いたコース
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