小野寺鳳谷(おのでらほうこく)は、江戸末期に仙台藩が西洋式軍艦「開成丸」を、三浦乾也を江戸から招き、塩竈の浦戸諸島“寒風沢島”で建造する際に監督を務めていた。※この開成丸をわが国最初の洋式軍艦とする説があるが、それは誤り。
(開成丸造艦については、『貞山・北上・東名運河事典』をご覧ください。)
そして鎌田三之助の祖父玄光は、小野寺鳳谷からしばしば師事を受けたという。
ここに紹介する小野寺鳳谷の碑は、鳳谷翁の名声の不朽を計るため、鎌田三之助が主唱し、建立したもの。
なお、篆額は内閣総理大臣伊藤博文による。
また、鎌田三之助の祖父玄光は、田園に起臥、月夜に灌漑にでれば必ず除草するといったほど農事に精励し、また品井沼の氾濫を憂えて終生その救治につとめた。郷の人々は、そうした氏を農神と崇敬し、その徳を後世に伝えるために不朽の碑を建立したのだという。
品井沼干拓と造艦という大事業の要(かなめ)には、やはり素晴らしい人物がいた。
詳しい内容は → 下記へ(PDF版)
1 小野寺鳳谷
2 農神となった鎌田玄光
▲小野寺鳳谷碑
▲農神碑
▲現在の品井沼(2010.9.4撮影)
(開成丸造艦については、『貞山・北上・東名運河事典』をご覧ください。)
そして鎌田三之助の祖父玄光は、小野寺鳳谷からしばしば師事を受けたという。
ここに紹介する小野寺鳳谷の碑は、鳳谷翁の名声の不朽を計るため、鎌田三之助が主唱し、建立したもの。
なお、篆額は内閣総理大臣伊藤博文による。
また、鎌田三之助の祖父玄光は、田園に起臥、月夜に灌漑にでれば必ず除草するといったほど農事に精励し、また品井沼の氾濫を憂えて終生その救治につとめた。郷の人々は、そうした氏を農神と崇敬し、その徳を後世に伝えるために不朽の碑を建立したのだという。
品井沼干拓と造艦という大事業の要(かなめ)には、やはり素晴らしい人物がいた。
詳しい内容は → 下記へ(PDF版)
1 小野寺鳳谷
2 農神となった鎌田玄光
▲小野寺鳳谷碑
▲農神碑
▲現在の品井沼(2010.9.4撮影)
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