未だに縛られてる。
反感が多い記事になりそうだけど。。。
感情移入しそうな事・物があると、
考え込んで・・・・・・・・・・・、
見入ってしまう。
感情が止まってしまう。
今でもそうだ。
自分で認める病気です。
これを自分で病気って言えるようになったのも、
ここ一年くらいかなぁ。
それまでの自分は、
言いたくなくて認めたくなくて、
こっそりのつぶやきだけ。
どうしても、
3.11から動けません。
普段どんなに馬鹿やってても、
ボクシングで闘った後でも、
美味しいものに感動してても、
また帰って来てしまうところ。
津波の悪夢は、
一生背負っていくしかないと理解してるけど、
最近は、
考わないようにしてるほうが「酷い」悪夢にうなされる事、
気付いた。
内容が一層と酷くなってるは?
なぜ。
そう痛感するようになった。
脳が壊れているのか?
っと思うくらい半錯乱する寝起き
絶体絶命の瞬間から(あの津波から)逃げられません。
だから敢えて避けない。
向かい合おうと思って、
色々な人の考え方や捉え方、
進んでは・・・・・・・・・・・・聞かないけど、
耳に残すようになった。
人それぞれだ。
ほぼ、
ほぼ、
異常かな?と痛感するのは、
ほとんどの人の気持ちとの温度差。
それと、
未だにそんな夢を見る自分自身。
ほんとう。
そのものだよ。
全部が当たり前のことだったから。
全部が全部。
当たり前の生活だったんだよね。
そこに積まれている物、
数十台の「車」だったもの。
その山があちこちで沢山あって、
どこにでもあった。
車だったものが山になって、
ピラミッド。
冷蔵庫。の山。
調理用の鍋。
洋服。泥だらけ。
靴。
どろんこの洋服。
髪の毛が乱れたままの人形。
ヒビの入った額縁と、
どろだらけの家族写真。
海水に浸ってカビカビになってる写真。
3.11の起こった秋ですら、
そんな光景がどこでも当たり前だった。
夜明けを待って、
初めて現地入りした時、、、、、、、
陽が射して来ると同時に、
眼に映ったのは・・・・・・・・・・・・・・、
そこは。
映画のセットか、
CGか、
ひょっとしたらここは日本じゃないのか?
異国?
じつは、、、、
本当の地獄だった。
地獄に間違いないだろう・・・・・・・ここって。
そのどれかだった事に間違いないとさえ思えた。
だから。
ホントの現地を見た人か、
見て来た人しか、
わかる術がないのも当然だ。
本物の津波。
本当の「被災地」。
そう呼ばれる場所は知らないんだと思うし、
TVじゃ伝わらないのがほんとの部分。
何かを買うことで応援することも大切、
それで応援してます。
って一つの手段だしね。
可能なら現地を見て、
心と体で何かをリアルに感じることを僕は選びたい。
泥をすすってね。
もう時間が経ち過ぎていて、
当時の現地は見れないけど。
ここ数年間の僕は、
行く頻度が超・激減。
増して「キャンセル待ち」で宮城県ボラ・バスに、
乗れなかった奴が言うと説得力0だけどね。
病気と指されれば?
それも良いかなと思う。
もうね。
何言われても良いのだ。
自前で行ってたし、
バラ・バスを知ってから数年間の間、
毎月最低1回は、
宮城県に行けたし。
お陰で見て来た仙石線、
沈没した電車車両。
特にホームのコンクリートしか残っていない東名駅。
残った線路後、
勝手に思い入れが強くなったよ。
わかって欲しいと言うほうが、
無理だって温度差、
身を以て覚えた。
だから会社や知人へのお土産も、
買わなくなった。
言わなくしたよ。行った事も。
疲れてるだろう?
って言われたくなかったし。
被災地で暮らしてきた人達や、
最愛の人を失った女性の、
あの「声」が、
今も脳裏にずっと残ったまま。
このことばも、
何年間言い続けて来ただろう。
無題で更新です。