昨日の書き綴っていた下書きです。
MSNのニュースから・・・・・・・・・・・・・、
僕の胸に改めて刺さった事。
6月4日。
長崎県の雲仙・普賢岳で43人が犠牲となった大火砕流から3日、
31年となり、
麓の島原市では発生時刻の午後4時8分に合わせ、
遺族らが黙とうした。
当時を知らない世代が増え、記憶の風化が懸念されている。
住民らによる自主防災の取り組みにつなげるため、
災害の教訓をいかに継承していくかが課題だ。
市内では、気温が30度に迫る中、
防災無線のサイレンが鳴り響いた。
消防団の詰め所だった同市北上木場町の、
農業研修所跡地では遺族らが慰霊碑の前に花を手向けた。
団員だった父親を失った福祉施設職員大町亮介さん(37)がサイレンに合わせ、
娘2人とともに追悼の鐘を打った。
TVニュースと新聞だけの世界でした。
何もしてあげれなくて、
こんな思いの繰り返しです。
防災無線と聞くだけで、
僕は3.11で染まったままです。
あの日の当日に聴いた海の音や、
その後の、
宮城県東松島市の海岸で随時聴いた音が、
怒った海の音が、
今でも、
聴こえるよ。
海の声、
どどどどどぉって。
見上げると?
響かせて立ち上がったその上から来るんだよ。
怒ったように。
昨日の4日
雲仙・普賢岳大火砕流31年
僕なんかには言葉に成らないです・・・・・・・・・・・・・