以下、
2019-04-13 10:37:53に下書き保存したままの記事です。
思いだして、
と言うか、
見つけ出して「公開」しました。
併せて3.11についての話にも触れてます、
不快な方は読まないで下さい。
いつまで経っても、
僕の中での3.11は地獄でしかなかったので。
今日(4/13)の新聞。
眼が釘付け。
東日本に住む人間として、
熊本県ってイメージ持っていなくて。
熊本地震から3年間になるんだ?
御悔やみ申し上げます。
震災発生当時、
馬鹿な僕は茨城県との距離を全く顧みず、、、、
宮城県へのボランティアバスでお世話になっている石塚観光さんへ、
『行かないんですか?』って大馬鹿な問い合わせの電話しちゃった。
真面目に。
独りじゃ行けないから、
他力本願の塊。
乗せてってもらって、
現地でボランティア作業に没頭したい。何かさせてくれ。
と言う大きな勘違いだった。
ボランティアって言葉自体、
僕は余り好きじゃ無くて。
だって上から目線っぽいんだもん。
そんな事ないんだろうけど、
人に(自分の経験談)話す時があれば?
だから?
伝える言葉に苦労する。
ボランティアって認識のされかた?
まだまだ日本だからか?
世界共通なのか?
ボランティア後進国の日本だからか?
わからないけど。
一歩間違うと?
偉そうな事だって。
って言われる。言われた。生意気だって。
陰口ばっか。言われて来た。
偉そうな自慢話だって、
陰口ささやかれたり。
調子に乗るな、とかね。
時々このブログ宛にも、
カッコつけてんじゃねーよ。
ってコメント来たけど(この件もブログに何度かコメント来たよ)
無視です。
完璧に無視。
そんなことで、
どうのこうの言う前に。
言ってる人も頑張れば良いのに。頑張ってくれれば良いのに。
例えば3.11の宮城県。
現地に来てさ、
全てを見て、
汗水垂らしてから言えば良いのに。
と思うよ。
一緒に掃除したり、
涙こぼしたり一生懸命頑張ってみれば良いのに。
何度もブログでも話したけど。吐き出してる。
僕は(宮城県ボランティアバスに参加してる事)全く気にしない。
どんなこと言われたって。
参加頻度と、
ボラバス自体の運行頻度が激減してるけれどね。
これだけ年数が経ってるし。
さてここから本題です。
熊本の建設業を営む井出さん。
パワーショベルで被災家屋の解体作業、
頑張ってる様子が記事になっていた。
自分のいきかた180度変わった。
っとおっしゃってるらしい。
凄いな。
ボランティア団体まで作っちゃったって。
支援の為に車両20台。
メンバー7人に増えたようです。
当然、
ボランティアだから1日どれだけ働いたって、
収入は0。
維持費もかかるし。
全て持ち出しのお金。
場所も違うし、
全く知らない人の事。
だけど、
勝手に尊敬です。
やってみて、
理想と現実のギャップってあるし。
何より、
時間とお金の問題。
これはとてつもなく大きいこと。
労力もね。
気持ちが先走るから、
ついつい感情的に頑張っちゃうんだ。
やっぱお金だ。現実は。
何を行っても掛かるしね。
また新聞等でも、
今後に起こり得る震災。
南海トラフ。
その時は?
どうするって今聞かれても答えようが無い。
本当は今のうちから、
全てを考えておかないとダメだって事もわかってるんだけど。
普段の街は(自分の住む
街の灯りがどこかで点いているのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
3.11の年の東北は、
一面の街が全て真っ暗だった。
停電とかじゃなくて、
街「単位」が全て流されていたから。
夜明けと同時にうっすらと眼に飛び込んで来た景観は、
映画のセットなのか、
地獄の最果てなのか、
今でも忘れられない。
広大な荒れ地になっていたんだ。視界の全てが。
建物なんて無かった。
あ、
正確に言うと?
辛うじて残っていた、
ほぼ骨組みしか残っていない廃墟。
住宅も、
コンビニも、
小学校も。
全部。
全部。
あの時の東北はどれだけ時間は経ったって、
今でも悪夢を見るくらいだから。
当時からすれば?
今の今でもそんな夢見てるなんて想像も出来なかった。
願うことは唯々一つ。
家族の命と引き換えに僕の心臓。
交換。
等価交換。
僕が好んで使う表現だ。
それで十分。
毎日毎日、
自分の意思も確認済。
一番目。
子供ちゃんの命。
二番目。
ごめんね。奥様の命。
もし?
子供ちゃんは嫁いでしまったら?
その時は旦那さんに任せよう。
その時でごめんっ
その時で初めて奥様が一番。
これが僕の等価交換のルールです。
何があっても僕より先に逝かないで。
今でも夢を見続けること。
決心は揺るがない。