ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

神に従いなさい へりくだりさない

2021-09-27 09:10:11 | ヤコブの手紙

神はみことばを通してたくさんの命令をなさっているが
今日は受動態の命令形について、考えました。

神は、高ぶる者を避け、へりぐたる者に恵みをお授けになる。ですから神に従いなさい

この従いなさいが受動態でした。神の権威と力をもってすべてを支配しておられることを認めて、その下に身を委ねます。神の恵みの中を喜び感謝しています。
自分はやがて消える霧のような存在であるのにもかかわらず、何かをなすことができる者かのような思い違いをして高ぶった思いでいたことを悔い改めます。

神のみことばにより、取り扱われて、謙遜になって神の前に出て、神に受動態で従います。神の側に立たせていただくことによって、サタン、悪霊からの誘惑、惑わしを追い出して、勝利することができます。

 

主の前でへりくださりなさいとも命令しておられます。これも受動態の命令形です。

神は、神の存在を知った人を謙遜にさせます。神は、人をへり下らせる力、権威をお持ちです。

その神に聞き従うことによって、謙遜にさせられ、へり下るようにさせられるようにと言われています。

 

今日、インヌマヌエル、ともにしてくださる主に、従い、へりくだって、恵みの一日を過ごすことができますように。そうすればと続く約束に信頼いたします

ヤコブ
4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上からの知恵で生きる

2021-05-18 17:26:01 | ヤコブの手紙

平和をつくる人になっていくためにどうすればよいのでしょうか。
続けて、与えられたみことばヤコブの手紙 3:13-14から学びます

13節から  あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
コロナ禍の中、家庭で過ごす時間が多く与えられています。伝道集会はなくても小グループでの弟子訓練の学びは続けています。それぞれの生き方・生活上の行動を示すことになります。ヤコブ 3:1 私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。私達は子供には教師に、弟子訓練でも教える人になっています。よく注意をしましょう

 

14節  しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
神の栄光を現わす生き方に変えられていますか?  熱心のような顔をした辛辣なねたみを持っていませんか。競争心や反抗心を持っているのに、救いの中にいると自慢したり、嘘を言っていませんか。真理に逆らう偽預言者、偽教師となってはいけません

 

15節16節  そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
生活の中に無秩序・混乱・不安定なことはあるなら、またちょっとしたくだらないように見えることで悪い出来事・事柄は起こっていませんか。上から下って来た知恵ではないものに頼っていませんか。それは、地に属し、肉・魂・プシュケーに属し、属しているものです。

 

17節  しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。

上からの知恵が7つ書かれています。
まず純真、聖なるものと分けられているもの。アブラハムがウルからもハランも後にしてスタートしました。
その次には、三つのグループに分かれて、
・平和、寛容、温順、ーーー寛容はいい加減になるのではなく公正 / 温順はよく説得されて喜んで納得して従う
・あわれみと良い実とに満ちているもの 
・えこひいきがないもの 見せかけのないもの(俳優が演技しているみたい) 

聖霊の実もガラテヤ書に7つ書かれていました。私自身は、上からの知恵によって考え方が整えられ続け、それらの実を家族や伝道するべき人、弟子達に体現しているかを、この行ないの源である信仰を点検する時とします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義の実は蒔かれます

2021-05-18 15:43:36 | ヤコブの手紙

私の知っている限りですが、種は果実の中に含まれている。

鳥に食べられて、遠くに運ばれて蒔かれる種は、鳥の消化器の中を通る間に果肉がなくなり、種に傷がついて、糞に包まれて蒔かれる

海岸のヤシの実や、はまなすの実は、嵐の日に波によって海に運ばれて、長い期間漂う間に、コルク上の果肉が溶けて、ある日どこかの海岸に打ち上げられることによって、種は蒔かれる。

ユウカリとブラシの木についているカチカチの固い実は、山火事などの熱いところを通ることによって、発芽することのできる種になる。

ヤコブの手紙3:18節
義の実は、平和をつくる人によって、平和のうちに蒔かれます。
                           (原文には実を結ばせる種はという部分はない)

主語は、実は 単数   種だけが裸で蒔かれるではない。
義の実について、アブラハムの信仰から、聖め分けられることを考えます
・2:23 神を信じている、その信仰を源とした行いによって、神によって義と認められた。
・アブラハムと神の友と呼ばれた。神との平安な関係の中に入れられている
・聖別する生活から始めた。生まれ故郷と親族から離れ、父テラをハランの地に残して前進した
・神に従うことを優先順位の一番にした

動詞は 蒔かれます。現在形・受動態・三人称・単数 実が蒔かれるところに神の摂理があります

平和のうちに 前置詞エンキ リストによる救いがあり神と和解をしているので、平和がある。その平和の中で
迫害や戦い、混乱がないという意味ではない。ルカ 12:53 父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうと めは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」

平和をつくる人によって 前置詞はなくて与格・複数 
平和をつくる・もたらす人々複数形の冠詞 分詞・現在形・能動態・複数形
自ら進んで、イエス・キリストによって与えられる平和をもたろそうとすることを続けている人々による。その積極性と熱心は大切です。マタイ 5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから

イエス・キリストは、神の御子であり、父なる神のみこころを、ことばと行ない・みわざによって、平和の道を示し、招いてくださいました。私達も、ことばと行ないによって、神の義を実現する・作り出す・生じさせる働きに用いられるまで、成長させていただけるように祈ります。
義の実を蒔くのは神に委ねられた私達のお仕事です。神が蒔かれた種を、神の時に発芽させ、成長させ、さらに実を結ぶまで成長させてくださることを信頼し、委ねて、一歩一歩つかえましょう。

ヤコブの手紙は、最初から最後まで、各地に散らされて、困難の中にいるユダヤ人クリスチャンを励まそうとしています。
「兄弟たちよ」と、他の書簡よりも格別に多くの回数で、しかも「私の」「愛する」と形容詞をつけています。
最後には、 5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。と、信仰を失い迷っている人たちが立ち帰るようにと祈り願っています。

コロナ禍で、ペンテコステの祈りをする中で、とくに信仰から離れた人のいるクリスチャンのご家庭で、信徒が生活の中で証し人として用いられることを祈ります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤコブの手紙 励ましで始まり、励ましで終る

2021-05-07 22:32:02 | ヤコブの手紙

ヤコブの手紙を読むと、「兄弟たちよ」と呼び掛けている回数が多い。

「私の兄弟たちよ」  8回
「愛する兄弟たちよ」 3回
「兄弟たちよ」    4回
たった5章のヤコブの手紙の中で、15回も呼びかけている。

他の書を数えてみたら、Ⅰコリントが多くて、20回。そのうち、私の兄弟たちよ 1回  私の愛する兄弟たちよ 1回

著者が違うし、手紙の内容や長さが違うから、単純に比較できるものではないけれど、ヤコブが、国外に散っている12部族の兄弟たちの苦労を、ひしひしと感じ取っていて、愛をもって語りかけ励まそうとしていことが感じ取れる。

私は、自分の国を捨てて、無国籍となって他の人の国に紛れ込んで住むのがどれほど大変なことであるのか、理解できないのですから、謙遜な姿勢になって、この手紙を読み返します。


ユダヤ人であるヤコブは、出エジプトの後、40年の放浪生活も、カナンの地に入った後、千住民たちとの戦いが続いたこともよく知っているので、国外に散った同胞には、どんなに試練があり、忍耐を必要としていめか、貧しくて生き抜くためには様々な知恵が必要なことも、知っていた。だから、信仰を全うするようにと心から切に励ましている。

 

それが、ヤコブの手紙の始まりと、終わりの部分から、特に見ることができます。究極的には、終わりの日、主が来られる時に希望を持つように励ましている。最後には、信仰から離れたクリスチャンを引き戻すようにも励まして手紙を終えている。

 

以前、トルコのカッパドキヤの洞窟には紀元後に迫害から逃れてきたクリスチャンたちが、洞窟の中の地下に住まいを作っていたという記事を見たことがあったことを思い出しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しもべになる方向に

2021-05-04 08:39:55 | ヤコブの手紙

ヤコブの手紙の1章1節は、
この手紙の著者を、「神と主イエス・キリストのしもべヤコブ」とし
読者を「国外に散っている十二の部族へ」
迫害によって離散したへブル人クリスチャンを励ますための手紙てす

 

しもべを辞書で調べると二つの意味が書かれていた
①ギリシヤ思想やヘレニズム思想において、ほとんど例外なく侮蔑的な意味を帯びている。隷属する。
②旧約やユダヤ教におては全く異なった理解。人間は神に全面的依存していると知っている。
神によって選ばれ、神に仕えるとは栄誉なことである。
神に対する人間の従属・依存関係、およひ奉仕・職務関係を表示する。

 

私は、①てはなく、②のしもべとなって、教会で仕えて行きたいと思います。
牧師や先輩クリスチャンから言われたことだけをやる姿勢
不承不承、嫌々だけど、行動だけは従えばそれでいいのでしょう
という姿勢があった部分を悔い改めます。

 

私も神のしもべとなって行きたい
天地創造主であり、これまで人間の歴史を積み上げて来た方、これからも永遠に支配し治めるお方、日常生活のすべてを支えてくださっているお方に、そのみこころを聞いてお仕えできることは光栄なことです。

 

私も主イエス・キリストのしもべとなって行きたい
神の存在も知らず、自己中心的で神に敵対していた罪人である私を、神との和解を与えてくださり、神のみもとで、執り成しをしていてくださるイエス・キリストを主として、仕えることは嬉しいことです。教会はキリストのからだです。教会の伝道や弟子づくりのための一人一人や働きに、聖霊からの知恵をいただいて、心から熱心に仕えたいと願います。

ヤコブのような、自発的な奴隷、権威を受けて派遣される者として行動する方向に成長して行きたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする