ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

主にみまゆる朝 手の傷あと

2020-02-21 20:44:24 | 讃美
今日の祈祷会では「さかえのかむりを」を讃美した

栄えの冠 ささげまつらん かつてはいばらを冠し主に
―私がこの世で何か誉れあるものと勘違いしているものを、主にささげます。主はそんな勘違いをしていた自己中心な私のために、十字架上で茨で編んだ冠をかぶらされ、苦しみを受けて死なれました。それは、私の受ける罰の身代わりでした。

主にまみゆる朝 手の傷あと 仰ぎ見てしのばん 主のカルバリ
ーイエス様が手と足を十字架に釘で打たれて死んで、三日目によみがえって天にあげられた。今は父なる神の右に座しておられます。しかし時至って、この世にくだって来られる。その時には救われている者はキリストとお会いすることになります。
その時のイエス・キリストのお姿はどんな様子でしょうか。まだ手には傷あとが残っているのでしょうか。


第一テサロニケ4章
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

何年か前にこの箇所のメッセージを聞いた時、私は、いざとなったら、私は夫の手を引っ張って行こうなどと思ったものでした。
しかし、それは不可能なことだと知った。 「たちまち」とは、ものすごく短い時間で瞬時、まばたきをする間よりも短いのだと教えられたから。

今は夫は先に召されて眠っている。号令、御使いのかしらの声、神のラッパの響きを待っている。
私自身が、その時には、あとに残されることなく、主に引き上げれる信仰をしっかりも持ち続けなくてはならない。
世の終わりのラッパ鳴り渡るときその時には、あとに残されることなく、主に引き上げれるように。その時、我が名も呼ばれなば必ずあらんことを!



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2 コメント

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Unknown (ムベ)
2020-02-21 22:46:03
その時、我が名も呼ばれなば必ずあらん

このフレーズを繰り返し歌っていることが・・
大好きなのです。無条件でうれしくなります。
なんなのでしょうね。この確信
Unknown (ハレルヤ)
2020-02-21 23:15:27
ムベさま 私もこの讃美が大好きです。
夫の告別式の時、精一杯、大声で歌いました
歌うほどに、力が与えられます

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