ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

恵みによって祈る その2 頌栄と祝祷

2020-11-30 07:19:16 | へブル人への手紙
ヘブル
13:24 すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
13:25 恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。



一つ前の段落を見ると、アーメンとあって、希求法での祈りが書かれています。
Ⅱ頌栄と祝祷 
13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、
13:21 イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなく(ありますように)。アーメン。
21節でアーメンと祈った後、5節文章が続いて、アーメンと言ったらもうおしまいではなかったのです。

アーメンで締めくくる祈りについて考えます

1個人的にアーメンと祈る時はどんな時でしょう。
賛美、感謝、告白、とりなし、自分の必要と祈り、神様にみんな聞いてもらえたと満足をして、最後に「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」と、はい、これでお祈りは! という定番の言葉のようであったことを悔い改めました。神との霊的交わりはずっと続くのですから。

2主日礼拝でアーメンと、どんな時に祈りますか?
途中で  最後に3回祈っています
1---礼拝の途中でのアーメン
招詞を聞いたり、他の人のお祈りを聞いたりして、ああその通りだなと思える時
2-A頌栄のアーメン
これは、礼拝讃美で、神に栄光と感謝と賛美を主に帰して、献身の思いを込めて高らかに歌う歌詞の最後はアーメンです。
  • 父・御子・御霊の大御神に とこしえ変わらず御栄えあれ 御栄えあれ アーメン
  • 栄えあれや 父と御子と御霊の 昔も今も変わらぬ神に ときわにアーメンアーメン
  • すべての恵みのもとなる神を 造られし者いざたたえまつれ アーメン

書簡の最後がアーメンという祈りで終っている書は多くあり、その内容が讃美の歌詞になっているようです。へブル書だけは特別に20、21と二節に渡って長いですが、それも頌栄にあたります。

2-Bb祝祷の後のアーメン
祝祷では、派遣の意味を込めてなされる祝福の祈りがなされます。それは、教会から、この世に三位一体の神とともに派遣されて行く祝福の約束に「アーメン」と言って祈っているのです。へブル書でいうなら、最後の25節の
「恵みが、あなたがたすべてとともにありますように」にあたります。
  • 「仰ぎこい願わくは、我らの主イエス・キリストの恵み、父なる神のご愛、聖霊の親しき御交わり 御前に集う一同とともに、今もとこしえまでも、豊かにあらんことを アーメン」
ただ恵みがあるだけではなく、その恵みをあかしし、伝道しに遣わされ、拡大していく意味を持っていると言えます。

3-C オルガンの後奏のあと
祝祷で終わらず、オルガンによる短い演奏を聞いて礼拝は終わることになります。牧師はオルガンの後もアーメンと言われます。
いっさいを神に委ねて、神の恵みと祝福を感じ、献身して遣わされることを自覚する大切な時だと言えます。

★祈って、アーメンと言ったら、すっと立ち上がって自分のことを考えていたことを悔い改めました。祈りの後の余韻も大切にしたいと思いました。

★聖書をone sittingで読んだ後も、デボーションの後も、読めた!、終わり! と立ち上がらずに、恵みによって与えられた内容を深く理解し、生活に適用し、献身して仕えよう。三位一体の神がともなって派遣してくださる恵みをかみしめる。そんな余韻をもって神のことばである聖書を綴じるようにと示されました。

★ このように、祈りは礼拝と同じであると、体験的に気付かせてくださったのは牧師でした。久しぶりに祈祷会で牧師と祈りのペアになった時、私が「イエスの御名によつて祈ります。アーメン」と言い終わってから頭を上げたら、牧師はその後少しの間をおいてから頭を上げられたので、あれっと感じたので、気になっていたのですが、その意味が今回の学びで解けました。霊性が浅い自分を自覚しました。
 

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恵みのよって祈る その3指導者たちと聖徒たち

2020-11-28 07:24:21 | へブル人への手紙
Ⅲ 指導者と聖徒たち

指導者達
13:24 すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
どうしても挨拶をするように命じた対象が、指導者と聖徒と二種類に分かれて書かれているのでしょうか。考えてみました。指導者という言葉は、13章には2回出ています。

 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
 尊敬し見習うべき指導者とは、権威や地位で指導するのではなく、みことばを語って、納得説得して聖徒たちを指導する者。当座の、またその場限りの信仰ではなく、いつもどんな場所でもその信仰を貫いている指導者。そんな指導者を敬って、見習おうとしている聖徒たちは、一致して神の働きをして行くべきもものですから、よろしくと挨拶をする。

 聖徒たちはもちろん、指導者たちもその信仰・働きを全うしなくてはならないのは同じです。私達の教会の指導者が、働きの途中で嫌になってどこかに行ってしまうことなく、現在もこれからも、この言葉どおりであることを信じ、感謝します

 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
★聖徒たちの中には指導者聞き従わず、迫害を恐れて信仰につまずき教会を去った人がいた。ヨハネ16章に書かれているとおりであった。
★指導者は信徒以上の迫害や村八分を受けていたはずです。「しもべはその主人にまさらない」
指導者の役割は、
  • 将来神に弁明をする
  • 現在はたましいの見張りをしている 羊飼いのように寝ずの番
  • それを喜んでする場合と、嘆いている場合とがある。
  • 聖徒たちに益となることを願っている
益となることを調べる
1)みことばが、それを聞いた人たちに信仰によって結びつけられるように4:2
2)霊の父がご自分の聖さにあずからせようとして与える懲らしめを恵みとして受け取るように10:10
3)べ物やその他この世にことに気を取られることなく、主イエス・キリストから目を離さないように13:9


聖徒たち
 聖なる者、聖め分かたれた者、クリスチャン、兄弟と同義語。キリストの贖いによって世、罪と死の律法から分離され聖別された者。イエス・キリストの血によってきよめられ、その血に免じて罪がないとみなされ、神の御用に用いられるために世から選び出された者です。

 何人がユダヤ教に戻ろうと教会を去った後も、残って指導者達と一緒にこの手紙を聞いている人たち。 聖められ続けている人たちのこと。
このような人達に挨拶を送っています。
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恵みによって祈るその4 まとめ

2020-11-27 07:31:53 | へブル人への手紙
Ⅳ応答め・まとめ
★ヘブル書の中心聖句をもう一度、思い起こしましょう。
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
★イエス・キリストのご降誕とその御生涯を思い起こして、神の恵みを喜び感謝します。

★神の恵みを理解させるのは聖霊の働きです。もっと大胆に聖霊の満たしを求めましょう。

★恵みを侮ったり、恵みから落ちることのないように、自らの霊の状態を注意することを怠ってはなりません。

★祈りは聖徒たちにとって礼拝であり、奉仕です。18節では私達のために祈ってくださいと命令されています。19節ではもっと祈るようにパラカレオーしています。私達は今週は、祈祷冊子には指導者たちの祈り課題が与えらて聖徒たちは心を一つにして祈ります。

★祈祷会の時だけでなく、つづく一日をまたその後も、祈り心で過ごしましょう。一人で祈るだけでなく、二人、三人と集まった時には互いに祈り合い、一日中、あちらこちらで神の恵みを感謝して、アーメン、アーメンと御名をたたえる讃美のいけにえが響き渡ることを祈り求めます。
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ヨハネの福音書から、へブル書の読み方を教えられる

2020-11-26 23:23:32 | 喜び
へブル書の最後13章24-25節を学んでいる時、教会ではヨハネ16章1-4節の説教が語られ、へブル書についてもリンクして教えられました。先週は第一コリントからも、へブル書に重ねて教えられました。
神様は聖書を読んだり、注解書を開いたり、また奉仕をしている中でも、全体的に導いてくださっているので、あっちこっちとリンクして、教えてくださり
矯正もしてくださいます。
でも、その都度メモを残していないと、しばらくすると忘れてしまいます。
今回、学んだことなどをブログに文章化して残すことで、後で全体を見直すことで、また、神様がメッセージをくださることと信じます。

★へブル人の教会の指導者達は、迫害に苦しんでいた。多くの人々が村八分になったり、迫害されたりして、耐えられずに信仰につまずいて、足がひっかけられて前にすすめなくなって、教会を去ってしまたった。
「しもべは主人にまさる者ではない。」指導者たちは、去って行った信徒以上に、世の人々に憎まれ迫害を受けて殺されそうになっていたことでしょう。また教会から去った人々から教会が悪影響を受けていることにも、苦しんでいたことだろう。

★しかし、彼らは、イエスが父のみもとから遣わしてくださった聖霊の励ましによって、苦しみの後には御国に入れられて報いを得ることができることを、知って希望を持っていた。

★去った人たちは、恵みによって与えられた福音の読み方が間違っていて、律法的にとらえていた。指導者たちは、もっとしっかりし教え諭して離れていくことを防止することができなかったことを残念に思い、今残っている人たちが去って行って行った人にならって滅びるのではなく、救い主であるイエス・キリストにならって、永遠のいのちを生きる者となるように願ったことだろう。

★残っている者たちは、つまずくのではなく、伝道に進まなくてはならなかった。指導者たちも、聖徒たちも、ともにこのへブル人への手紙に書かれている内容を正しく理解して、迷っている人々を教え励まし、さらに伝道して弟子づくりをする責任があった。

★★★私達は、迫害があることも、つまずく人が出て来ることも、みことばからあらかじめ教えられている。自分が正しくみことばを理解し、他の人々に律法的ではなく、恵みの約束として伝えていくべきです。
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私が交わした「契約」

2020-11-26 09:20:43 | へブル人への手紙
これまで、私がした大きな契約は何だったかを思い出す

夫が2件目のマンションを購入して以来、25年間住んでいたマンションを売ることになった時、仕事で忙しい夫に代わって私が不動産屋さんと会って、契約書に印を押した覚えがある。

夫が召された後、建てて10年の家を売った時は、実印やその他重要書類を持参することになったので教会の兄弟に同行してもらったが、銀行で買主の方と契約書に押印して契約書を交わしたのは私だった。

しかし、もっと大きな契約をしたことがある。
22年前に、イエス・キリストが十字架上で流した血によって判子を押してくだった契約に、私は罪を告白し救い主としてキリストを受け入れますと告白したとき、救いと平和をもたらす契約が完了しました。印鑑も書面もお金も必要ありませんでした



永遠に効力のある契約の中に入れられて救われた私は、その日からずっと、変わりなく主はともにいてくださり、様々な試練・訓練を通して、やがて天国に入れていただけるにふさわしく、心の内側から整えられ、きよめられ続けています。
 


田舎を家を人に貸すという方法もあったが、すっきり売却して。本当に良かった。たとい、災害によって家が壊れても、後をふり向く必要が全くないから。

神の一方的な恵みによって与えられた救いの契約を、どんなことがあっても自分から破棄することなく、ひたすら前へと導かれて行きたい。


旧約の時代には、至聖所の中に置かれている契約の箱に、大祭司が動物犠牲の血をふりかけて、一時的に赦される約束がなされました。

新約の時代には、イエス・キリストが大祭司となり、自らの血を流し、至聖所の前の天幕を裂いて、たった一度の贖いで、信じる人すべての罪を赦してくださいました。

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