マルコ1章40-45節からのメッセージにより
霊的ツァラート-----痛みを感じず、感覚が麻痺したままの信仰生活をしている
心の扉をノックしておられる音も聞こえない。無視していても平気。
罪を悔い改めず、そのくらいは大丈夫と自分に言い聞かせて、神に御前に出て祈ろうとしない
奉仕を熱心にしたりして、頼りにならない自分の行動に頼っている
このような、霊的なツァラートの生活を続けていると
足の感覚も失って転落してしまう。
イエス様に深く触れていただいて、癒され、聖霊の満たしを受けて立ち上がりたい。
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最近、旧約聖書の概略の講座が始まって、課題の通読を熱心にしている。
大河ドラマを見ているような見方をしてしまっていたことを悔い改めた。
ただ、聖書を読むことに時間を費やしたことは、デボーションにならない。
ヘリ下って、偉大なご計画を進めておられる神の御前に出て、祈りつつ読むべき。
旧約の時代の人々の罪、失敗を、私自身に当てはめて、適応することを求めます。