ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

主は良いお方 益としてくださる

2021-07-30 19:04:37 | 讃美

Rom8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせてとしてくださることを、私たちは知っています。

神が益とするとはどう意味なのか。私の希望するように、私の困っていることが解決するように、損していることが得となるように、どれだけの時を待つのだろうか・・・・・。どんな意味なのか。

そこで原典から調べたら、一般的によく使われる 良い 善い という意味で新改訳聖書の中では、「良い」「尊い」「気前がいい」などと訳されていました。

Mat19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」

Mar10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」

Mar10:18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません」

Luk18:19 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。

Mat20:15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』 (ブドウ園の主人)

 

私達は自分勝手に善悪を判断するべきではない。
神が与えて下さるものは、すべて良いもの、これが最善なのだと、その時、その時、感謝して受けとめることにします。

先日から問題だな~~と思っていたことも、不思議な展開があって、事の善悪を問題とすることなく、おさまりました。そのプロセスの一つ一つが神の支配の中であり良いものであったのでした。

「主は良いお方 : 長沢崇史」 日本語 賛美 Music Video 歌詞付き Worship Song ワーシップソング 日本語 賛美歌 Japanese Christian Music

 

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見えないものから造られ支えられている

2021-07-29 21:26:53 | へブル人への手紙

へブル書11章を読んだ。

 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

信仰とは1--待ち望まれている事がらの 保証、実質、実体、本質   である。
信仰とは2--目で見られない   事がらの  確信、明るみに出す、証拠、である。


私達もへブル人たちと同じように、困難や問題の中でも、後に来るすばらしいもの、再臨を待ち望んでいます。主の約束は必ず成就することを確信しています。今、目に見えて起こっているコロナやこれに関連する事実だけに目を向注いで平安と喜びを失いかけていたことに気付き、悔い改めました。

 11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

昔の人々・旧約時代の聖徒たちは、キリストの贖いのひな型を見て、来臨と再臨を旧約の時代の聖徒たちは、贖い主のひな型だけを見て、本体を知らずに初臨を信じ、再臨を信じ待ち望んでいた。そんな信仰が神に称賛されたのです。

私達は聖書のみことばの、半分ほどの事がらがに成就したことを知っている。残りの半分ほどの事がらも、これから必ず成就するのだと信じるなら、昔の人々と同じようにその信仰が称賛されることになります。
私自身、これから神の約束の内容を細かく学んで希望を持つなら、神を喜び、神に喜ばれる人生となっていくことができることを感謝します。

 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

私達は悟ります
世が、理路整然と造られ完了していることを、神のことばレーマによって
見えるものが、生じたこと、        現れていないものから

天地の創造主は、無から有を生じさせた。それも見えない神のことばによって。私の回りに置かれているものすべてが、時間も空間も超えた創造主によって造られたものです。それらによって私は支えられ生きています。起こっていること、これから起こることのすべてが、神の大きなご計画の中のことであることです。その神を讃美し礼拝します。

♪♬♪♬♪♬
主の前にひざまずき 心から讃美ささげる
あなたはとこしえに わたしの神

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31.32 本当にこれで良かったのか??

2021-07-29 08:11:25 | 民数記

31章でモーセは死の直前のミデヤン人との戦いで勝利した後、分捕った家畜や金、戦利品、そして人に至るまで、どのように分けてどれだけみつぎものとするか等、細かく主はモーセに命じた。モーセに命じられたと5回も書かれています。

ところが、

32章では、ルベン族とガド族は、ヨルダン川の手前の地区に住むことを申し出た。非常に多くの家畜を持っているし、その土地が放牧に適しているからという理由だった。

もともと、主は民をカナンの地に導き入れるようにとモーセを用いて導いて来たはずなのに、モーにも、セルベン族、ガド族にも主は語っておらず、彼らも主にお伺いを立てる場面があません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

この世の商談のような手順で、土地の分割という大きな問題の解決を進めていることが気になります。

黙って見ていて、「なすがままにさせる」という種類の裁きもあります。すでにカナンの地に入れずに召されることになっているモーセには、最後の大仕事をこれが主のみこころであるという確信をもっていて欲しかった気がします。

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現在、教会の中で、コロナ感染対策のことで、教会を二分するような問題があります。小さいことなのですが、主のみこころに聞き従って、それを計画し進めているのか。それとも個人的人間的な思いからのものであるのか、微妙だと思われます。

どちらも宣教の思いへの熱心からの発想であることは事実です。牧師も役員たちも黙って見ています。

私自身も、教会は主のものであり、主が臨在して導いておられるので、主にお任せして、はっきりしないまま発言をして無用な波風を立てないように、このことに関しては沈黙していようと思いました。

すでに一度は彼に疑問を投げかけましたが、彼は反対意見があるのも承知の上で、暖かく見守って欲しいと言って、姿勢は変わりません。神が暖かく見守り導いてくださっているのか、私が心配なのはそこなのですが・・・彼には通じていません。

 

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30 「はい」は「はい」 「知りません」

2021-07-28 09:14:45 | 民数記

モーセの時代は、神に誓いをする時や、約束をする時、判子やサインではなく、口頭で誓ったらそれで効力があって、必ず言ったことは実行しなくては裁かれたようです。

人間は、たといその時は熱心に誓っても、しばらく後にはそれを否定したり、取り消そうとしたりする罪性があります。
しかし、神は言われたことは必ずそのとおりになり、神の約束は成就します。

新約聖書では誓わないようにと言っています。

マタイ 5:37 だから、あなたがたは、はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。
ヤコブ 5:12 私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。

 

ところが、ペテロが「のろうをかけることと誓うことを始めた」という言葉は、「誓わないようにしなさい」と言われたのと同じ言葉でした。マタ 26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた

ペテロがのろいをかけて誓ってさばかれることのないように、イエス様は鶏の鳴き声でペテロを引き戻された。その経験は、ペテロにとって、また同じ性質を持つ私達にも、必要なまた重要なものだったのだと気づいた。

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ここで朝のデボーションは時間切れで教会に行った。
ある姉妹が「ここで言ってもいいかどうかわからないけど」と、何人かいる中で、私の顔を見ながら、他の姉妹の微妙な問題を話し出そうとされたので、私はすかさずはっきり言った。「私は知りません
すると彼女は「この問題を知らないの?」と言われたので、もう一度短く言いました。「今ここで話していいのか、話さない方がいいのか私にはわかりません」すると彼女は口を閉ざしてくださいました。

朝のデボーションで、神の約束は必ずなる。神が教会を守り導く」と確信を得ていた私に、神様が短い言葉を私の口に置いてくださって、知っている人も知らない人もいる何人かの中に走った動揺を神様は解いてくださいました。

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28・29 私が神にささげるものは

2021-07-20 15:36:23 | 民数記

民数記28章29章には、定められた時に様々なささげ物をささげるようにとたくさんの命令が書かれています。

定められた時とは、毎日、安息日、第一の月の14日・過越しの祭りの日、その他、カレンダーがささげ物をする日でいっぱいになるくらいです。

新約聖書のギリシャ語で「ささげる」ということばを検索したところ、προσ・φέρω が、47回出てきました。①連れて来る・持って来る・差し出す ②(賜物・献物を、また祈祷・礼拝を)捧げる・備える

Heb10:11 また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。Heb10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、
 10:13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。
 10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。

 民数記28章、29章に書かれているすべてのささげ物を、今や私達は全くやる必要はなくなりました。イエス・キリストがご自身を永遠の完全ないけにえとしてささげて十字架にかかって死なれて、復活し昇天されたからです。
 旧約時代の歴史の中で、どれほどの牛や羊がいけにえになったことか。その数は数え切れないほどに多いことを思うと、イエス・キリストの一度の死の意味の重みがひしひしと感じられます。
 イエス・キリストは一度で成し遂げてくだり、それを信じた私達は罪が赦され、神との関係が和解して、聖霊が内に住んで満ちてくだるようになりました。

💓💚💛私達は、神と主イエス・キリストに讃美と感謝をささげます。
神が一番喜ばれる私達のささげ物は何だろうかと、προσφέρω が出て来る個所を調べたところ、悪霊につかれた者、病気の者、目の見えない者、また子供達を、イエス様の身元に連れて来た時に、同じこの言葉 προσφέρω が使われていました。

 そこで私が神様にささげる一番のものは
サタンの支配の中で苦しんでいる人を、イエス様のもとに連れて来ること。、神の救いのみわざのために自分自身をささげることだと思いました。

 そのためには、まず自らの救いを喜び感謝し讃美の声を神にささげて、人々に証しをすること。
与えられている賜物、時間、持ち物やお金をささげて委ねて、用いていただくように明け渡すこと。

★主日の午後に伝道イベントで会った女性から、ライン連絡が次々と入って来て、返事をするの疲れるな。大変だなと、避けたくなるような気持ちになっていたことを悔い改めました。

次の主日に初めて礼拝に出席されるので、まずはその日まで丁寧にフォローをして、主日に会ったらまた、それからどう進めて行けばよいのか祈り聞き、従います。

★夏休みの子供のための特別イベントに、お孫さんを連れて来るおばあちゃまがおられるからと、出席を求められた。イエスのみもとにお連れする思いで仕えます。

 

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