ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

10ラッパは出発のしるし

2021-05-30 09:36:07 | 民数記

イスラエルの民が、宿営から旅立つ時、出発する時、ラッパが吹き鳴らされた。
それは幕屋の上の雲が上がるのを確信した後の、出発の印であった。
軍団ごとに秩序正しく出発した。

 

私達もいつか、主のラッパの音を聞く時が来る。終りのラッパ。
イエス様の来られている雲の中に一挙に引き上げられます。
混乱はなく、すでに救わている者は、神の秩序の中で速やかに上げられる。

その時、すでに死んでいる人々が、眠りから目覚めて主とともに上げられる。
次に、この世に生きている人々が、雲の中に引き上げられる。

私の夫が召されて、あと一ヶ月で7年になる。
この日が楽しみです。
ラッパの音は聞くことが赦されている者は、はっきりと響いて、聞き取ることができることでしょう。
それまでは、ラッパとして響いては来ないけれども
聖霊が与えてくださる促しと喜びをもって

救われた者の集会に集まり
遣わされる場所に付き従い
霊的な戦いに挑みます。

 

Ⅰコリント人への手紙
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。


Ⅰテサロニケ人への手紙
4:16 主は、号令と御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

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9 とどまる時と、動き始める時

2021-05-28 07:33:39 | 民数記

荒野を旅するイスラエルの民は、雲が幕屋の上にとどまっているなら、天幕から離れて上るのを見るまで宿営していた。
宿営することを続けるのか、旅立つべき時が来たのか、雲の動きを主の命令として受け止めていた。

旅立つ命令は、「雲が上ったときだけ旅立った」と、「上がる」という言葉を用いている。
宿営を続ける命令は、「幕屋をおおった」「雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」と、「おおう」「とどまる」 という言葉を多く用いていて

全体的には、旅立つことよりも、宿営する、とどまることを強調しているように感じた。

おおう、とどまる という言葉から、連想するのは

  • イエスの降誕について御使いが「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」と言ったこと
  • イエス・キリストのバプテスマを受けた時に、聖霊が下ってイエスの上にとどまったこと。その時にの中から、「これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」と言う声がしたこと。
  • 山上の変容の時も、が人々をおおった。すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がしたこと。
  • ペンテコステの時、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまったこと。

★デボーション、通読、聖書研究、その他、霊的なことに集中していると、時々時間を忘れていて、約束の時間が迫って来ていることがあります。

★あるいは、これは神様からメッセージだと、思っていた以上に早く答えが与えられる場合もあります。

★面白いテレビやユーチューブを見ていて、時間を忘れることもあります。

 

この世の時ではなくて、神の時に従って、永遠につながる時を大切にしたい。
行動を始める前には祈って、動き始めるべきであることの確信を得てから動けるように、時間の管理に気をつけようと思う

 

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9 負けず嫌いで会をリードしてしまった

2021-05-27 21:24:04 | 民数記

今日は、忙しい一日でした。
午前中は、少人数で密を避けての、学び&分かち合い会に参加
午後には、少人数で映画観賞会 「祈りのちから」
その後、小グループでの弟子訓練会。こちらは、私がリードした。
また、昨日までの三日間は、家に引きこもって、それぞれの学び会のための準備に集中していた

それで、最後の学び会では、ちょっと興奮状態で、声の調子も上ずっていたことを、帰宅をしばらくして反省した。

民数記9章を読んでいたら、8節でモーセが民から質問を受けて、自分なりの答を伝えないで、待たせて主がどう命じられるかを聞きに行ったことが書かれていた。

★そこで、私は弟子づくりをしている信仰3年目の姉妹に、質問はありますか? と聞くゆとりがなかったことをまたまた反省した。
★ただテキストと、準備してきたことを、そのまま伝えただけで、学びの場に臨在してくださっている主に聞くことを意識していなかったことは、霊的なリーダーとして大きな失敗であったと気づきました。


★今日の失敗の根本的な原因は、ただ興奮状態だっただけではなく、自我・欲・負けず嫌い・良く見せたい・・・自己中心であったのです。
というのは、私の弟子づくりのグループは、一人は牧師夫人、一人は信仰は3年目だけど、ずっとキャリアウーマンで、学生達に教えていたこともある専門家。一方私はずっと専業主婦でした。
実は、悔しい思いを私は隠し持っていたことに気づき、悔い改めました。

 

この弟子づくりの学び会の目的、弟子づくりをした人が学びを終了た後、次の人に同じ教材を使って弟子づくりができるようになることです。
この弟子訓練が終了したら、今学んでいる姉妹は、きっと、私よりもしっかりと弟子訓練の学び会をリードできる人に成長して行ける人です。自分のことよりも、彼女の成長を期待し喜んで、教材の学びへの準備と課題を丁寧にして、来月の学び会に備えます。

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8レビ人は50歳定年 私達の定年は

2021-05-26 06:21:17 | 民数記

幕屋の中は真っ暗なので、燭台の前を照らす光がないと、他の机やパン皿、香壇、垂れ幕さえも見えなかった。

中で働く祭司自身の足元にまでは光は届いていなかったのではないかな~。

手さぐりというか、燭台の光さぐりで、なすべきことを行なって、垂れ幕から出たのでしょう。

聖所の燭台は   キリストの象徴
ともしび皿の油は 聖霊の象徴

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パウロは天からの光を受けて倒れた。
主イエスが遣わしたアナニヤによって、見えるようになり、使命が与えられた。

教会でも、はっきり信じて聖霊に満たされた人による奉仕によって、礼拝がなされ、弟子訓練がなされ、伝道がなされています。

 

 8:24 「これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。
 8:25 しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。
 8:26 その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務を果たすのを助けることはできるが、自分で奉仕をしてはならない。

レビ人の働きには定年制があったと知って、ずいぶん若いなと思った。戦いに出ることができる男子の数を数えた時も50歳までの人だった。レビ人の働きも戦いと同じ程に、体力・集中力が必要だったのでしょう。


日本の教会では多くの牧師が数年もすると他の教会に移ったり、牧会することを辞める人がいるとのことです。諸事情があるのでしょうが、長期牧会ができるようにと、祈り願います。
また、他の人を信仰に導かれたに、ご自身が途中で信仰を失う方もおられることは悲しいです。

一方、「牧師の本当の働きは50歳から」という言葉も聞きます。次世代の牧師たちを教え、支えながら、召されるその日まで、聖霊に満たされた牧会の働きがなされることを祈り願います。
私自身も、意識がある間はずっと、主を讃美し礼拝しつつ、召されるように願います



パウロはダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。使徒9:4

 そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」使徒9:17

わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』使徒26:17-18

 

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8燭台は金の打ち物

2021-05-26 06:07:43 | 民数記

聖所の中の燭台は、金の打ち物で

聖所の外で打ちたたかれて形作られて

聖所の中に運ばれた

 

これは、イエス・キリストが父のみこころのとおりに

宿営の外で十字架にかかって死なれた後

天のまことの聖所に引き上げられたことの型なのでしょうか

 



 8:4 燭台の作り方は次のとおりであった。それは金の打ち物で、その台座から花弁に至るまで打ち物であった。【主】がモーセに示された型のとおりに、この燭台は作られていた。

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