ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

計画が妨げられても、落ち込まずに

2020-12-30 23:08:38 | 喜び
自分でこうしよう、こうしたいということがあっても、妨げられることがある。
コロナ禍の中なので、特に色々ありますが、そうでなくても、思い通りにならないことがあります。
 
そんな時、私達は原因を探る。誰のせいなのかとか、自分に罪がり動機が自己中心だったからなのか、などと考えて落ち込んでしまいがちです。誰かを恨んだりもします。
 
しかしその妨げも、偉大な神様の摂理導きの中で起こることだと考えるなら、自分のちっぽけな思いや計画は神に委ねることになり、悩む必要がなくなり、すっきりする。
 
神による妨げには、神の意志、意味、目的がある。私が自分で計画していた以上の素晴らしい計画を神様は持っておられるのだ。
だから、それは何なのかを考えると良い。待つと良い。
また、今、目の前に与えられている使命に専念するのが良い。
 
妨げられたと思える計画も、神の時に神の方法で開かれることもあるだろう。機会が与えられるかも知れない。お任せして導きを待てばよい。

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兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの
国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
ローマ人への手紙1章13節

それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
使徒16章6節
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やもめとしての生き方を

2020-12-29 15:26:38 | 喜び
わたしはやもめ
夫は7年前に他界して、一人暮らし
 
 
子供も孫もいるけれど、遠くにいる。連絡もあまりしていない。
これまで、私は子供に、親の恩に報いるように教えて来なかった。
それは神に喜ばれることではないで
ごれから、自分の子供や孫にどうしたら良いのか、わからない。
 
私の老後はきっと教会が面倒をみてくれるはず
教会の若い人が自分の母親に対するように親切にしてくれるはず
私はこれだけ教会に貢献したのだから、
 
と思っていた考えは間違っていました。考えを変えました。
 
 
 
私は、身寄りのないほんとうのやもめではない。
望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげつづけます
 
 
 
良い働きをするやもめだと、人々に証言される人に、変えられて行きたい。
  • 親に反発する子供であっても、よく顧みて世話をするように・・・・
  • 孫を、教会の子供を育てる・・・・・
  • 教会を訪問する人たちをもてなす・・・・・
  • 教会の兄弟姉妹に謙遜に仕える・・・・・
  • 困っている人を助ける・・・・
よくよく考えて、没頭して、道を切り開いて行こう
 
 
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 ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も絶えず神に願いと祈りをささげていますが、
 テモテへの手紙第一 五章五節
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迫害から逃げて来た

2020-12-29 15:23:42 | 喜び
法事を主催するのをやめた
仏壇も位牌も捨てた
墓も中の遺骨も捨てた
夫の葬式では、大胆に天国と地獄の話をした
 
それで、長男から、親戚から、いくらか迫害を受けた
 
迫害の中でも踏みとどまって伝道するべきだっだろうか
しかし、私は葬式の4カ月もたたないうちに、逃げた。
家の中の多くの物を捨てて
田舎の家(私の実家)も捨てて
わずかな物をもって逃げた
3か月後には、家は売られた
親戚関係からも逃げた
 
 
私にはこの世には故郷はなく、憧れる地は天国だけと
あまりにも早く逃げることを決心したので
実際にののしりを聞く機会も
悪口を浴びる機会もなかった
だから、本当に迫害されたとは言えないかも知れない
 
でも、その報いは今、十分に与えられている
コロナ禍にあっても不安、恐れ、心配に押し潰されることはなく
喜び、喜びおどるような思いです。
苦しんでいる人々には申し訳ないが、感謝な日々です
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
マタイの福音書5章11節
 
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試練とともに脱出の道

2020-12-28 12:15:39 | コリント人への手紙
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 第一コリント10:13
 
教えられた真理
神様は私の環境も信仰も賜物もすべてご存知の上で、手加減をして、ギリギリ何とか耐えられる試練を与えておられる。
訓練は苦しいので避けたいと私は思ってしまうが、神様は、救いを全うして御国に導き入れるために整えるという目的を持って与えておられる。
ですから、脱出の道というのは、それから離れるのではなく、試練と脱出の道はセットになっている。知恵や助け手などを与えられつつ忍耐・試練は続くのです。
 
不要なものは削り落とし、必要なものを持って、この世的なものに目を受けて力を抜くことなくしっかり耐えて、神に祈って格別の守りと導きを求めていると前進できる。
 
 
明かされた自分の霊的状態
退職して療養していた夫に10年間仕えて、天国に送って、家を売り払って教会の近くに引っ越して来たことで、偶像崇拝の巣窟であった田舎から脱出できたと、気を抜いていたところがあります。また高慢になっていました。
 
立っていると思うものは倒れないように気をつける必要があります。謙遜に低くなっていたら、倒れる心配がないし、低いところに聖霊は下るから、謙遜になることが大切です。
 
入力や学び、奉仕があって、疲れた時には、この世的な楽しみを見つけて横道に外れていました。特に私はユーチューブを長時間見てしまっていました。
 
 
神様への応答、実践
神は真実な方であることに信頼します。
1500年前の預言をことこどく成就してイエス・キリストがご降誕されたのですから。
神様は、言ったこと、約束されたことを、必ず果たされる方です。
年末年始は、この一年使ったノートやシートを振り返って、ザルのような私の頭の中にひっかかっているものを、見直して、「ザルさらい」をしようと思います。
その中で、祈りが聞かれたことや、約束がそのとおりであったこと等を見つけられたら嬉しいと思います
 
 
恵みとあかし
独り暮らしの年末年始。今年は冷凍のお弁当をたくさん注文しました。
買物にもあまり出ないで良いように、配達を頼みました。
肉の食べ物より、みことばをたくさん食べて過ごせる環境が整ったことを感謝します
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ゴスペルコンサート

2020-12-26 21:58:29 | 讃美
教会の姉妹が属しているゴスペルを歌う会のコンサートがあって、スカーフマスク、手袋、眼鏡、帽子の完全防備で、行ってきました。
 
歌声、音楽として楽しめましたが、歌詞は英語で意味がよくわからなかった。
リーダーがクリスチャンではないので、マイクを持って話をすると、その内容がズレているのは、悲しいが日本ではこういうのが一般的なので仕方がない。
 
それでも、クリスマスにサンタクロースなどを話題にしないで、イエス・キリストのご降誕について話がなされたことは、感謝なことだと思うことにしました。モーセによる出エジプトの話も、面白がっているような口調ではあったが、話がなされました。申命記という言葉も出て来ました。
 
帰りの電車の中で、この聖句はどこだったかな、キリストが正しく宣べ伝えられていたわけではないけれどな・・・・と思っていました。
 
ピリピ人への手紙
1:17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。



神も、キリストも、救いも、福音の意味も知らないにも関わらず、あんなにも熱心に、絶叫するように神をほめたたえている姿を見て、
 
神の支配の中で、イエス・キリストを贖い主とし、聖霊がうちに住んでいて下さっている私自身の讃美の姿勢が、彼らに比べてお粗末?だなと思いました。
 
私は、日常生活の中で、一人で讃美することが少なく、歌詞に気を取られていて歌っても声が小さいことを悔い改める機会が与えられて感謝しました。
 
教会で、礼拝で、兄弟姉妹とともに大声で讃美できることがとても貴重な時間だと再確認。
また、同じ2時間だったら、歌を聞くよりも説教を聴く方がはるかに価値があると私は思うということも、再確認しました。
 
明日、礼拝に行くのが楽しみです。分散礼拝なので、明日は会堂には入れないけれど、大型テレビの同時配信の画像を見ながら、ともに礼拝ができるので、幸いです。
 
万が一、体調が悪くなったら、教会に行かずに、同時配信を見て家庭礼拝をします。讃美は一緒に大きな声で歌います。
 
独り暮らしなのだから、誰にも遠慮することなく、大声で讃美できます。
 
教会の彼女は一番後ろの高いところに立って歌っていました。一番輝いて見えました。受洗して2年程の彼女は、これからゴスペルのメンバーに伝道するようになることでしょう。期待して応援して祈ります。
 
 
Now behold the Lamb
Grateful
There remaineth a Rest
We’re Blessed
I hear the sound of victory
Give me more of you
Lean on me
See the light
Joy to the world
Lord you are good
You’re all I need
 Total Praise 
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