紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

30 アオバズク

2021-12-05 08:01:13 | 夢幻(イワタロコ)


「絶対内緒よ。可愛いいんだから」
「うん、分かった。誰にも言わないよ」
「ホントよ。アオバズクが逃げ出すからね」
 彼女は車のドアを開けながら念を押す。

クレーンを動かして石材屋が神社の塀工事をしていた。彼女の顔見知りらしい。
「あ、こんにちわ。精が出ますね」
「夕方までに此処を終わらせたいのでね」
「彼に見せたくって、今日も来ちゃいました」
 石材屋が重機を止めた。
「中国産の御影石ですか?」
「国内産は高くてね、仕事になりませんよ」
「あら、リモコンで操作しているの」
「ほら、今日はあの木にいますよ」石材屋が指さした。

 大イチョウの近く。高さ十二メートルくらいの横枝に留まっている。
 彼女が望遠鏡を設置。体長三十センチほどのフクロウ科のアオバズク。瞼を閉じたり開けたりしている。
「雄が見張り役。こっちの木のウロに雌が卵を抱いているよ。ほら、目が見えるでしょ」
 探鳥歴五年の彼女が背伸びをして言う。
 雄のいる木から離れた桜の木。地上三メートルくらいにあるウロ。薄暗くて見えない。双眼鏡で覗く。黒い瞳を黄色で縁取りした大きな丸い目がこちらを見ている。
「人間の生活音は気にならないみたいだね。何か燃やしている煙も大丈夫なんだな」
「誰かがインターネットで流したらしいの。夜見に来てストロボ焚いたりしたんですって。神主さんが注意したみたいよ。マナーの悪い人がいるから」

 石材屋が重機のエンジンを掛けた。雄は目を開けた。一度真後ろまで回した頭をゆっくりと前に戻し、そのまま瞼を閉じた。


著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
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29 疑問

2021-11-27 08:27:47 | 夢幻(イワタロコ)


 女が足首辺りを気にしている。俺と二人だけのエレベーターの中。
 眼だけ動かして見た。黒のスカートは踝辺りまである。肌より濃い色のストッキングが、細い足首を包んでいた。
 音を立てないように唾を飲み込んだ。
 俺より七、八歳年上だろうか。三十代半ばに見える。女が短く咳払いをした。
 階を示す明かりへ眼を移動させた。ジュエリー販売部の俺の行く十一階と、ダンスホールがある八階を示している。
 筋肉が固くなったように苦しい。首を左右に動かした。骨の擦れる音がする。
 女はもう一度咳払いをした。
 いつもなら、瞬く間に着いてしまうエレベーターのスピードが遅く感じる。
 八階に着いた。女がもう一度咳払いをして降りていった。
 俺の視線は、自分の足元から離れ、女の足首辺りを追いかけた。ストッキングの後ろ側に直径一、五センチくらいの穴が開いている。
「なんで丸い穴が開いているんだろう」

 その疑問は、顧客の老婦人と対話していても頭から離れない。兎に角、注文のブレスレットの代金をカバンに納めてから、その疑問を老婦人に聞いてみた。
「丸い小さなストッキングの穴?」
 老婦人は少し考えてから笑った。
「穴のところ内出血はしていなかった?」
 俺は手を左右に勢いよく振った。
「きっと踊っていて、他の人のヒールで踏まれたのよ。それよりその方に、警戒されたんじゃない」
「ただ、見ただけですよ。決して、触ってみたいなんて思ったりは……」
『猥褻罪』の文字が目の奥を横切った。



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28 東京ホタル

2021-11-21 08:02:59 | 夢幻(イワタロコ)


 北方から複数降ってきた爆弾は、東京を瓦礫の街にした。そして二年。どうにか復旧された電車を乗り継ぎ、俺は初めて上京した。

 瓦礫の残った街に雑草が芽生えていた。
「水とビルと樹木の織りなす風景では、お茶の水駅の橋から神田川を眺めるのが一番」
 そう言ったのは水彩画家の友人。その彼もあの日から帰らなかった。
 彼がお茶の水駅から神田川を渡ったところでスケッチしていた。そこを衝撃が襲ったに違いない。
 体を見つけることは出来なかったと、俺と同町に住む彼の母親が見せてくれた数枚の絵。好んで描いていたと言う。そのどれもが、神田川に架かる橋、それを写した水面と樹木と建ち並ぶビルが描かれていた。

 瓦礫は所々に放置されている。その中に建ち始めたビル。何事も無かったかのように忙しげに歩く人々。
 会う度に涙を浮かべていた友人の母親は、二度目の冬を迎えた頃、体を動かす楽しみを見つけようと思うと言った。

 俺は真新しい橋に寄りかかった。
 神田川の水は澄んでいる。樹木は無くなっているが、左右の川岸に草が伸び、柳か萩か定かではない細い枝がしなって伸びていた。
 あんなにネオンで明るかった東京。時間が経ち午後七時を回っても、俺の住んでいる町と同様に静かで暗い。
 電車音の合間に虫の音が聞こえた。夏の最中にも秋がそこまで来ているのを感じる。
 神田川の水面を小さな明かりが飛んだ。ホタルだ。点滅しながらそこかしこに飛ぶ。いつしか数え切れないほど飛び交う。
 俺は友人の名を呼んだ。



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27 蒼の線

2021-11-14 09:26:24 | 夢幻(イワタロコ)


 駅からの遊歩道を過ぎた所に、白いボディーに一本の蒼い線を描いたポストがある。俺は前々からそのポストに興味があった。
 定年間近に見える男がポストの前で立ち止まった。背広やズボンのポケットに手を入れ丁寧に探っている。
 名刺のような物を取り出した。街灯の明かりでそれを眺めるとポストの口に投げ入れた。そして、埃でも払うように音を立てて全身を叩いた。

 俺は男が立ち去るのを待ってポストに近づいた。ポストの口は直径十センチ前後だろうか。中の物は見えない。
 終電の去った街は静まりかえっている。辺りに誰もいないことを確認してジャケットを脱いだ。ワイシャツの袖をたくし上げる。
 ポストの口に腕を差し込んだ。中にはいろいろの物が入っていた。
 一枚の名刺らしい物を掴んだ。腕を引き上げるがスムーズに手首から先が出ない。人差し指と中指で名刺のような物を挟み直してやっと手を出す。明かりに照らして見ると、カフェの女性の名刺だ。
 俺は再びポストに腕を差し込む。今度は真新しい水玉模様のネクタイ。次は香水の匂いがついた花柄のハンカチ。裂けた写真の男の顔。それに片割れの女の顔。飲食店名入りのライター。ホテルのタオル。

 車のエンジン音が近づいて来た。慌ててワイシャツの袖を下ろす。急いでポストから五メートルほど離れた。スピードを上げて車が通過していく。男の視線と合った。
 手の甲に痛みを感じた。ポストの口で擦った傷から一筋血が流れている。
 俺はきっと、このポストを、いずれ利用することになるだろう。


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26 「ギョウギョウシ」

2021-11-07 08:09:04 | 夢幻(イワタロコ)


「それで?」
 彼女の目に力がこもった。
 宙を見つめたまま俺は話す。
「たった一回だけ? そのコを抱いたのは」
 彼女の声が少し震えていた。
 俺は答えずに視線を川向こうのサッカー場へ移す。ひまわりが数本咲いている。子供達が走り回っていた。喚声は照りつける太陽を反射するようにこちらまで響いてくる。
「今までのことは、何だったの?」
 彼女は声を絞り出した。
 俺は自分の心を覗いた。よくもしゃあしゃあと、こんな嘘をつけるものだ。一度だって彼女以外の女性とキスをしたことはないし、ましてや抱いたなんて。
「どうしてほしいの? 許すと言ってほしいの? それとも」
 そこまで言うと、彼女の目が見る間に充血していった。

 俺は、ごめん嘘だよ。って、言いたいところを我慢した。まだ自分の心の中と彼女の気持ちが見極められていない。
 彼女はハンカチを取り出すと俺に背を向けた。数秒して、振り返った。
「実は、あたしも言わなければならないことがあるわ」
 彼女は俺の顔を凝視した。俺は自分の頬が強ばっていくのがわかった。
 彼女が遠くに目をやった。俺はその視線を辿る。対岸のゲームではシュートが決まり歓声が上がった。
 心中に、後悔と疑念が入り交じって渦巻いた。早く謝れよ。もう一人の俺が急かす。
 彼女は一息つくと言い出そうとした。
「ギョウギョウシ ギョギチ ギョギギ」
 葭原でオオヨシキリが囀った。


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