紫陽花記

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素甕の水

2019-08-22 07:55:02 | 野榛(ぬはり)エッセー集
素甕の水

            1996/10 ぬはり短歌会誌上掲載

「そんな時どうやって泣くの? こんなふう」って、私は片手を額に当て肩を震わせて見せた。「いや、ワーワーッってよ」と、両手を広げて見せる。御年三十九歳の彼。
「両刀使いだ」と言っていた彼がこの春恋をし、そして失恋したと言う。相手の十九歳の男性とは一度だけの交わりだったそうが、猛烈に好きになったと言う。その若者は、新たな男性と共に去り、そして泣いたそうだ「ワーッ」と。

「あなたの役はどんな役?」と聞く私も私だが、「わたしは攻める方よ。どんどん攻めちゃう」と答える彼も彼。想像逞しい私でもついに理解出来ないでいた。

 ごく当たり前の恋愛をし、結婚をし、子供を産み育てた私。変わっていたのは、長男が身障者だったことくらいだから、ノーマルな人生を送っている。だが常々、同性同士の愛があってもちっとも不思議ではないと思っていた。だから、この彼のように同性を愛し、身を揉みながら泣いたことを聞いてもちっとも変な気はしない。だいたい誰でも人を恋しがる。対象が親や兄弟姉妹であり、友人知人である。それがたまたま異性であったり同性であったりしたまでだ。

 わたくしの絶対とするかなしみも素甕に満たす水のごときか
                     築地正子

 この短歌に出会ったとき「うん、うん」と頷いてしまった。〈素甕に満たす水のごときか〉と表現した作者の本当のところは解らない。けれど、なんとなく理解出来た気にもなった。そして、前述の彼を思い出してしまったのだ。
〈わたくしの絶対とするかなしみ〉は、人それぞれであるのだが、この短歌には澄み切った内面が伺える。

 私は大人になってから子供のように泣いたことがあっただろうか。「ワーッ」と泣いた時があっただろうか。いつも、眉を上げ深い息を吐きながら、自分を騙して堪えた気がする。
 辺りを憚らず大声で泣けたなら、どんなにすっきりと出来ただろう。

 私の思い出した彼は「この頃本当に子供が欲しいと思うようになった」と言った。「それには、お相手は女性でないと駄目でしょ」という私に「そうね。よっぽど好きでないと駄目だし。でも男の子が欲しい」と言った。

 父親でもなく兄でもなく先生でもない。それでいてその子を自分の能力の限り指導し、一緒に旅をし、遊び慈しみ育みたい。そのような対象が欲しいと言った。
 聞きようによっては危うげな気もしないでもないが、彼は真剣な目をしていた。低く柔らかな声で話す彼の内面に、炎が燃え盛っている。ノーマルな人には受け入れがたいかもしれない炎だ。

 私の無責任で興味本位にも取れる質問に、気を悪くしたふうでもなく、彼は自分の吐いた煙草の煙に瞼をしばたかせた。

 百七十五センチ以上もあるだろう体で、髭の剃り跡も青い男盛りの彼が、北欧風一戸建での独り暮らしをしている。そのどの部屋のどんな椅子に掛けて、声を上げて泣いたのだろうか。去って行った若者を恋しがり、その対極に自分の息子を抱くことを望み、どうにも整理のつかない気持ちの中で暮らしている。

 いつか実現するときが来るのだろうか。

 一人の友人として、私は彼の息子を抱く姿を見てみたいと思う。
 そんな時、彼は嬉し涙を流すかもしれない。私は貰い泣きをするだろうが、きっと微笑みながら涙を流すのだろう。