紫陽花記

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小説
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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

2 契約遂行

2022-01-30 08:51:58 | 夢幻(ステタイルーム)23作


「家族の一員として可愛がっていたそうです」
『平成生前契約等決済団体』の増田は、棺に寄り添うチーちゃんを見やって言った。
「一生涯の食費と世話代を含め、全財産の土地百坪に四十三坪の家と、二DK六室のアパートを持参金にするそうです。本当に可愛がってくれる人を厳選してお渡しするのが、私どもとの契約事項になっております。ですから、契約者の希望に合う人をお捜ししなければなりません」
 八十歳で逝った那智沢明の親族を前にして、増田は那智沢の遺言書を広げた。

「うちには子供がいますから、良い遊び相手になりますよ」
 那智沢の、亡き妻の従兄弟の息子と名乗った男が愛想笑いをした。
「子供に手の掛かる人はよく面倒はみられませんよ。うちなら夫婦二人だから大丈夫」
 那智沢の甥という男が言った。
「お宅夫婦が先に死んだりしたら、また同じじゃないですか。犬だけが残りますよ。その点、うちは、子供が我々の後を継ぎますから。どんなことしても、犬はそう長くは生きられませんからね」
「そんな、私らを年寄り呼ばわりするんですか? あんた」
 那智沢の甥が立ち上がった。葬儀会場の九人の親族は、互いに盗み見た。

 増田は、本当に可愛がってくれて、チーちゃんがなつく人を見分けるには時間が掛かると思った。とりあえず、那智沢明の葬儀を済ませなければならない。
 読経が始まると、チーちゃんがそれに合わせるように遠吠えを続けた。


著書「夢幻」収録済みの「ステタイルーム」シリーズです。
主人公はそれぞれの作品で変わります。
楽しんで頂けたら嬉しいです。


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1 レスキューロープ

2022-01-25 08:22:44 | 夢幻(ステタイルーム)23作


「新聞の取材っておもしろいですかぁ」
 サチオが人なつっこい笑顔で、中津萌子の取材ノートを覗いた。左頬の瞼にかけて打ち身のような黒ずみがある。
 萌子は、宮野小学校六年生の三十六人と保護者、教師たちと一緒に、里見川のキャンプ場に来ていた。西川先生が注意した。
「急に深くなる場所もあります。川には入らないように」
 キャンプ場の広範囲に皆が散らばった。

「大変だぁ、滑り落ちたっ」誰かが叫んだ。
 サチオの養父、憲雄の体が急流の中で浮き沈みしている。萌子は辺りを見回した。丸めたロープがあった。サチオが駆け寄りロープを掴むと憲雄より下流に走った。
「とうさん」サチオと憲雄の目が合った。サチオはたぐったロープを握り、岸から十五メートルほど先の、憲雄のすぐ上流めがけて四十五度の角度で力一杯投げた。
 もがいていた憲雄がロープを掴んだ。すごい力だ。サチオは草むらを引きずられた。
「危ないっ、サチオ」
 西川先生がサチオの腰に両手を絡めた。西川先生の足に誰かの父親がしがみつき、その体に萌子も抱きついた。
 ロープを握ったサチオの指に血が滲んだ。
「とうさん」
「サチオ、助けてくれるのか」
「……とうさん」
「ごめんな、殴ったりして」

 憲雄が深みから岸に引き寄せられた。
「養父が岸に引き上げられた時、助かったと思った時、『水辺安全講座』を受けていて良かったと思った。ぼくんち二人家族なんです」
 萌子のカメラに向かったサチオの笑顔が、飛沫で濡れていた。




著書「夢幻」収録済みの「ステタイルーム」シリーズです。
今回から23作続けさせていただきます。
主人公はそれぞれの作品で変わります。
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35 夢幻

2022-01-16 08:27:43 | 夢幻(イワタロコ)


 両足を広げ踏ん張るように叔母が立っていた。いつもの黒ずくめのスタイルとは違って、ジーンズにベージュのブルゾンを着て腕を組んでいた。道の反対側には叔母の経営する『カフェ・魔女』がある。
 俺は声を掛けるのを躊躇い立ち止まった。
 喫茶店の駐車場に、大型の重機が停まっていた。『大東解体』と記されたクレーンは、エンジン音を響かせている。
 長い首がゆっくり店の屋根に向かった。大きな口を広げ、三角屋根の右端に噛みついた。
 屋根全体を振るわせて手前に引く。堪え性もなく屋根は引きちぎられた。反動で細長い嵌め殺しのガラス窓は粉々に散り、レンガ壁は固まりのまま花壇に倒れた。
 作業員の一人が立ちこめる埃に向かって放水をする。もう一人が何やら叫んだ。
 見ている間に店の前部分が崩れた。奥に、カウンターを照らしていたライトや作り付けの食器棚、コーヒーミルのあった台が見える。
「叔母さん」
「ああ、来てくれたの」
「大丈夫?」
「あ、ははははぁ。あたしは大丈夫よ。借りた土地を元に戻して返すのが約束だから」目が潤んでいた。
「何年営業したの?」
「四半世紀」
「へぇー、俺が生まれた頃始めたんだ」
「カフェ・魔女はもう消えるわ」
 俺は何とも言えなかった。
 重機は容赦なく解体し続ける。
 叔母が溜息をついた。一気に年齢を重ねたように体の筋肉を緩めた。数センチ縮んだ体がよろめき、呟いた。
「これから何をしようかなぁ」




著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
今回が最終回です。楽しんで頂けましたでしょうか? 


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人生路華やぐ雪の日もありし

34 息子と母親

2022-01-09 08:23:38 | 夢幻(イワタロコ)


「惚けたようね」彼女が囁いた。
 暫く利用しなかったが、何度か入ったことのある喫茶店。息子と母親とで経営していると聞いたことがある。あの頃、母親は元気で客の接待をしていた。

 母親が四人連れの客に近づいた。テーブルを叩く。息子が厨房から出てくる。
「こっちで待っていて。お客さんだからね」
 と、カウンター前に連れ戻す。
 言葉にならない声を上げる。息子は客達の反応を気にするように店内を見渡した。
 母親が常連客らしい男のテーブルに近づく。
「ママさん、あっちへ行こうか」
 立ち上がった男客が両手を出した。その手を払い、男客の足をトレーニングパンツの裾をたくし上げ、キックする。
 チラリと母親がこちらを見た。笑っているような口元。目の光は澄んでいた。
「あっちに行こうか」
 もう一度男客が言って、母親の背に手を回した。それを拒むように声を上げた。
「すみません」息子がカウンター内で謝る。
「いいよ。大丈夫だよ」
 と、言ったのは、後から入店して、ランチを注文した二人連れの男客。

 俺と彼女は黙って下を向いた。

「あのお母さんにとっては、カウンター前は自分の居場所だったのよね」
 帰りの車内で彼女が言う。
「こんな田舎だからね。売り上げも少ないだろうし。預けるっていっても……」
 俺は心の中で、あの喫茶店のリホーム図面を描いては消した。


著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
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『歩数計』短編小説

2022-01-01 15:27:36 | 小説
歩数計

                
「いやぁ~まったく、ウチの社長には叶わないよ。営業中どれだけ働いたかを見るために歩数計を着けろってさ」
 ダンス友の井坂さんちの息子、満君が言った。
「え? 歩数計?」
「うん。お客とどれだけ踊ったかを歩数で割り出すつもりらしい」
 私は「なるほどねぇ」と言って爆笑してしまった。
「そっちがそっちなら、こっちもこっちで知恵を絞るしかない。ま、出来るだけ頑張るけどね」
 満君は大学生。アルバイトでダンスホールのアテンダントをし始めた。大学ではソシアルダンスサークルに所属していて、競技会へ出場する資金とプロの指導を受ける資金を稼ぐためのアルバイト。私は、少しでもその役に立ちたいと、週一程度「ダンスホール・ジャイブ」に通っている。井坂さんは、流石に息子の客になるのは嫌だと言って来ない。満君がちょっと不満顔をしながら、腰につけた歩数計を私に見せた。
「あはははは。どう知恵を絞るつもりなの」
「考えはあるんだ。社長の気づかない方法」
「ふぅ~ん。おもしろいわぁ」
 満君がしたり顔で頷いた。
 
 満君が勤務するダンスホールの開店時間は正午。開店と同時に女性客が次々と入る。私も良い席を確保するため、早めにいつも入店する。ビルの四階にあるホールは略真四角。それほど広い空間ではない。入口から左側に食器棚などの備わったカウンターがあって、バーテンダーが一人詰めている。そこからL字に客席が壁際に沿って設えていて、一方の壁面は全面鏡張り。一方は通りに面した窓。四階なので中の様子は外からは見えない。そして残りの一方にはトイレや更衣室、ダンスウエア展示コーナーなどが設けられている。
 
 正午きっかりにドアを開けると、ダンス曲が程よい音量で流れていた。私は、右から二卓目の椅子に腰を下ろした。数人いるダンサーが右側から順番に、また左側から順番に女性客に手を差し伸べる。満君も先輩ダンサーに習って女性客の手を取った。男性客も数人いた。ウエートレス兼ダンサーの女性目当てに来店するらしい。どのダンサーも、お客様の大切な時間をより楽しんでもらおうと、ダンスの相手をするという仕事を惜しむことなどないほどに、お客様のレベルに合わせてリードしているように見えた。
私は、ダンサーたちの腰を見た。皆同じ形の歩数計を着けている。踊れば一歩ずつ確実に数字が増えていくはずだ。音楽に疎い私なので、スタンダードA級選手のT氏に聞いたことがある。
「キツネの歩きというスローフォックストロットは、SQQで3歩。1分間に29小節116拍。チャチャは、234&1で5歩。1分間に31小節124拍。昔はスロー30小節、チャチャ33小節でした。ルンバの1拍休みも特徴ありますよね。ルンバ、チャチャの拍子が取れない人の多いこと。日本人は1234を1と3で取りますが、外国人は2と4で取りますよ」とのことだった。そのような説明も疎い私の頭には入って来ないし、ましてや、体が言うことを聞いてくれない。そんなことを考えているうちに私の番になった。満君が意味ありげに含み笑いをした。私はちらりと歩数計に目を移した。

 客が次々と入ってくる。十あるテーブルが略空きが無くなった。四人掛けだから四十人近い客。殆どが現役引退したような年頃と見える。男性はダークなスラックスに襟付きのシャツ。女性は皆華やかな衣装を着ている。とても外を歩けるような身なりではない。私も、満君に少しでも近づきたいと、目いっぱいの化粧をし、なるべく可愛く見える衣装を着ている。
「ね、いつもこんなに混むの?」
「うん。僕がいる土曜日はいつもこうだけど、他の曜日はどうか分からない」
「そっかぁ。きっと、若い子がいるわよ、という噂で、みんな満君に踊ってもらいたくてくるんじゃあない」
「そうかな」
 きっと、そうに決まっている。熟練したダンサーに踊ってもらうのは勿論夢心地だが、若い子には元気がもらえるもの。私もこの頃は腰の痛いことも無くなったし、背筋も伸びた気がする。

 曲は、スダンダード曲のワルツ・タンゴ・スローフォックストロットが流れ、そしてラテン曲のルンバ、チャチャチャやジルバが流れる。客の大半が高齢者ということもあって、皆がスタンダードとルンバなどを踊りたがる。早い曲に乗れないからか、それとも心臓や足腰に負担がかかるからか? チャチャチャやジルバは敬遠される。そのラテンのチャチャチャやジルバ曲の時は、踊りたがらないのを見越して、ダンサーたちの細やかな休憩タイムとなる。私は、もしかして不整脈の心臓が突然止まるかもしれないなんて頭を掠めるが、それも寿命なのかもと覚悟して、毎回踊っている。だから、なんでもござれの状態だ。
「オカのおばさん、ジルバの曲だけど踊る?」
 二度目の満君と踊る番になった。満君は、絶えず腰を左右に振っている。踊ろうよ。という意思表示なのかと思ったが、これが歩数を稼ぐ奥の手らしい。満君が私の苗字の半分を通称として使っていることを知っていて、私を「オカのおばさん」と呼ぶ。私は満君に手を取られて踊りだした。何といっても若い子のエネルギッシュな踊りは、おばさん世代には憧れであり、元気の源になる。私は、必死の形相を笑顔で隠し、満君のリードに従った。

 ホールのドアが開き、白髪の男性が入ってきた。ホール全体をぐるりと見廻した。素早く客数を数えている様子。そして、満君や他のダンサーの動きにも目を移していった。男性が二つあるカウンター席の奥側の椅子に腰を下ろした。バーテンダーがすかさず、緑色の飲み物のグラスをその前に提供する。たぶん常連客なのだろう。二言三言バーテンダーと話していたが、一番端に陣取っている女性客に近づいた。「踊っていただけますか」とでも言ったのだろう。女性客が立ち上がり、男性と踊りだした。男性がぎこちないリードを繰り返している。曲が終わると、女性がお礼を言って男性から離れて席に戻った。様子を見ている私と目が合った。両目を瞑ったのを見ると、不満足だったと伝わってきた。
 
「あの男性、よく来るの?」
「あれが社長さん」
「えっ、そうなの、まだあまり踊れないみたいね」
「うん。だけど、来てはお客さんに踊ってもらっているよ」
 満君がワルツのリードをしながら小声で言った。満君は、流石にまだダンス歴は短いが、シッカリとした基礎が出来ているらしく、ベーシックの足型でも十分に楽しめる踊り方をする。私は、今日もぐっすりと眠れそうだと思った。

 私は、社長さんが気になってきた。数種の商売をしているとのこと。その上、ダンスホールを経営し、自分もダンスの世界に踏み込んだこと。歩数計をダンサーに着けさせる抜け目のなさ。ぎこちなさもそうだが、びっしょりと汗をかいてリードしている真剣そのものの表情。情熱と言うか、幾つになっても忘れてはいけないモノを見たような気がした。
 また社長さんが先ほどの女性客に近づいた。女性客が私の目を見た。私は笑いたいが唇を強く結んで堪えた。女性がゆっくりと立ち上がった。社長さんが嬉しそうに手を取った。あの女性は断ることの出来ない優しい人らしい。きっと、社長さんも優しい人に勇気を貰いながら、ダンスが上達していくことだろう。

 社長さんがまた同じ女性にお相手を申し込んだ様子。だが、女性は立ち上がらない。社長さんは落胆したような表情を浮かべ、フロアーの別の女性客にお願いしようかと客席を見回した。私は、靴紐を直すような仕草をして、下を向いた。
「あの。お願いします」
 顔を上げると社長さんが優しい笑顔を作って手を差し伸べていた。私は一瞬、あの女性を見た。女性が両手を合わせた。やはり優しい女性なのね。分かったわ、では。私は立ち上がり社長さんの前に進んだ。やはり社長さんも歩数計を着けている。ん? 何のために? 従業員管理だけではない目的があるのかな?……。自分の健康管理かもしれない。社長さんは、一生懸命天井を睨み、習ったステップを間違えないようにしようとしている様子。フウフウと息遣いが聞こえてきた。余裕のなさが腕に力を必要以上に込めている。私は少しばかり優越感を味わいながら、まだまだ自分もレッスンを続けなければと思ったりした。

 私はソシアルダンスと歩数計が気になっていた。インターネットで調べてみた。沢山ある記事の中に「社交ダンスではあまり歩数計は役に立たない。 ワルツでは三歩に一歩しか反応しない」と。どこかのダンス教師の談話が載っていた。この記事が本当なら、満君たちの着けている歩数計は正確な歩数が出ないことになる。ダンスを習い始めたころ、同じサークルの男性が、「今日は七○○○歩だったよ」と歩数計を見せてくれたことがある。レッスン時だけの歩数なのか、それとも一日分の歩数なのか定かではない。確かあの時は、一時間の団体レッスンで、後の一時間がフリータイムで踊った記憶だ。喫茶店主として働いていた頃なので、レッスンの翌日は、半日足に疲労感があった。それでも週二回のレッスンを受けたおかげで、現在、こうして健康維持とボケ防止に役立っている。

 私は、今度満君に会ったなら、ダンサーとしての勤務時間内の歩数はどの位なのか聞いてみようと思った。