紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

★39 匂い音痴

2024-01-28 11:20:46 | 「と・ある日のこと」2024年度



以前も見かけたダンサーが居た。あの時は、コロナに罹って復帰したばかりの様子だった。
「治ったんだけど、まだ嗅覚が戻らないんですよ。何食べても匂いがしなくて」などと、チャーターグループのお客様に話しているのを、近くにいた私の耳にも聞こえていた。

あれから一カ月ほどの、とある土曜日のこと。

 どこかの企業に勤めながら、ダンサーとしても働いているという若者。以前より頬がこけている。身体も幾分痩せたようで、以前の力強さがちょっとばかり無いように見受けられた。
 今日は、このダンサーにトライアルを申し込もうと決めた。というのも、レッスンを止めてからの楽しみとして、まだ踊ったことのないダンサーに一曲踊ってもらおうと決めていたからだ。

 トライアル券はスローホックストロットだけが残っていた。ラテンが人気だとの噂であったが、私はどちらも踊るが、どちらかと言えば、スタンダードの方が優雅に踊れて良いと思っていたので、丁度良かった。

 しっかりとしたホールドと、ボディが付かず離れずに保てて、ちょっと細い身体ではあるが、下手な私でも確かな踊りが出来ているような気になっていた。

 私の知り合いにもコロナに罹った人がいる。その中で亡くなった人は二人。突然高熱が出て、日常生活もそうだが、仕事を休まざる人もいる。コロナの後遺症というのだろうか。けれど、ワクチン接種の副作用もあるようだ。コロナワクチン接種の善し悪しは今でも議論されている。本当のところ、どちらが正解なのかは分からない。私の知り合いの中では、副作用より、後遺症の方が多いような気がする。この先も、コロナは勿論だが、他の感染症には罹りたくないものだ。




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★38 果て? どうする

2024-01-20 09:02:00 | 「と・ある日のこと」2024年度
 

昨年十二月の半ばの、と、ある日のこと。
固定電話に8キロほど離れた駅近くの葬儀社からの電話があった。受話器を取った私の口から出たのは、「ワタシ、今にも死にそうなのよ」といういたずら言葉。電話の向こうのセールスレディは、「え? それにしては、お声が元気ですねぇ」との返答。

さぁ、それからが大変。葬儀用の積立金の誘いである。以前、喫茶店を経営していた時の客に、近くの葬儀社のセールスレディがいて、粘りに粘られて入った、もしもの時の積み立て。それは、息子の葬儀に使われてしまった。息子の死を予想して入った積み立てではなかったのだが、図らずもそのような結果となったのである。どうやら、それと同様の誘いらしい。セールスレディの話術は、あらゆる客の話題に対処できる豊富な知識に裏打ちされていた。

「私の場合、家族葬でいいと思っているのよ。でなければ、直葬で十分。菩提寺の住職に読経を頂き、菩提寺の墓所の我が家の墓の息子の隣へ納めてもらえば、それでいいわ」という私の言葉から、現代の葬儀事情に話題は盛り上がっていった。

 近年、エンディングノートというものに、自分の終末期と、葬儀などの希望を書いておくと言うことが話題になっている。私の場合、様々な希望などを書き残したなら、遺った家族は困らないかと心配になる。希望通りに出来る時間と予算が無い場合、遺族は心残りでもあるし、思い通りにしてやれなかった後悔さえ持ってしまうのではないか? そう思うと、遺族の都合に合せた見送り方で十分だと思う。だから、エンディングノートなどは絶対書かないつもりだ。

 そのような話までしたが、今更ながら、人生の終わり方まで考えなければならないお年頃になったのかなぁと、ため息が漏れた。




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★37 牛久沼

2024-01-13 09:37:08 | 「と・ある日のこと」2024年度


 
久しぶりに牛久沼へ行った。晴れて風も無い暖かい午前中。沼畔の公園の草原に50羽ほど群がっていたユリカモメが、一斉に飛び立ち、ぐるりと弧を描き駐車場に降り立った。何に反応したのかと見渡すと、大きなマイクを肩に担いだ男性と、カメラ機材を持った男性ら4、5名がユリカモメの群を割るように歩いて行った。

 何のための撮影なのだろうか? テレビ番組用か、それとも某市の広報用の撮影なのだろうか? いずれにしても、撮影は終わっていて帰るところだったらしい。

 久しぶりの水辺の風景は内陸に住む私にとっては好きな風景。ゆっくり草原を横切り沼畔のウッドデッキに近寄る。小さな水の流れの、夏には睡蓮と蓮の花が見られる場所は、雑草に覆われていた。令和五年の夏はあまりにも暑さが厳しく体調を崩しかけ、蓮の花を見に来る元気がなかった。そんなことを考えながら餌場の方へ。

大型の白鳥が東屋の方へ向かっていく。そこには、高齢者の男性が6,7人集っていた。少し離れたところにいた白鳥も近寄って行く。そして、餌場近くにいた白鳥もゆっくりと近づいていく。まるで男性たちの輪に入っていくようだ。男性たちは慣れているらしく、誰も当然のように迎え入れている。その光景を、先ほどの撮影隊が振り返り笑顔を向けた。

 餌場には、オオバンやカモ類、白鳥やユリカモメなど冬鳥の群。食事の時間は過ぎているらしく、それぞれの過ごし方を見せている。

 一回りして駐車場に戻ると、自転車の高齢の男性がユリカモメの群に向かっていった。一斉に50羽ほどのユリカモメが飛び立ち弧を描く。自転車を避けて、駐車場に戻って来たユリカモメ。自転車の老人はユリカモメに遊ばれているらしい。




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★36 シンボルツリー

2024-01-07 07:29:02 | 「と・ある日のこと」2024年度
 玄関ポーチの直ぐ側の花壇に植えてあるカルミアという花木。2mほどに育っていた。数年、見事に花を咲かせてくれた。桜のように美しい好きな花木である。

ところが、昨年夏ごろから徐々に一枝ずつ枯れてきて、最期は、半分ほどになった樹形も少しずつ枯れてきた。寿命は何ぐらいなのだろう? 我が庭に来て45年程だ。寿命となれば仕方がないが、根元近くから蘖が数本伸びてきているので、枯れた上部を切り落とし、蘖にバトンタッチさせようと思う。だが、我が庭のシンボルツリーともなっていたカルミア、それに代わる木が欲しい。候補にしたのが木斛である。

木斛はやはり以前あった木からの種から鉢植えにして育てていた。
木斛の花言葉などを調べてみると、「庭木の王様」「持つ・濃く」という「良縁にめぐまれるように」という願いが込められている。「人情家」とも言われ、縁起の良い樹木とのこと。

カルミヤは地上から30㎝程のところで切り落とした。やはり、半分以上水分が無くなっていて、蘖が育つかどうか分からない状態。それでも、期待を持って蘖の成長を見守ることにする。
玄関ポーチの煉瓦壁とカルミヤの切り株との間に、木斛の鉢をそのまま地中に三分の一程埋めた。大きく育つ木なので、育ち過ぎないようにするため鉢ごと埋めたのである。

木斛の艶々の葉が寂しかった空間に元気をくれる。木斛の鉢の周りには都忘れの苗を植え、植えてあるツツジなどはそのままにして、今日の作業は一応終わり。また、何度も見返して、雰囲気を確かめることにする。

庭仕事は大好きな作業。狭庭なりの楽しみ方しかできないが、憩いの空間ある。木斛をシンボルツリーにして良かったと思う。

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2024年度は波乱の幕開けです。
元旦の能登半島地震。
2日の羽田空港での事故。
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。合掌・・・・・
どちらも火の手があがり、多数の犠牲者がおります。
私の故郷は松島沖地震、夫の故郷は熊本地震で家屋倒壊という被害を受けています。
他人事ではなく胸が痛いです。
寒さに向かって被災された方々の心身が冷え切らないようにお祈りします。
どうぞ、力落としなく生き抜いてください。
遠くからお祈りしています。

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