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伊豆の旅

2019-05-31 09:26:08 | 野榛(ぬはり)エッセー集



   伊豆の旅       

1996/2 ぬはり短歌会誌上掲載

 俳句にも短歌にも興味のない時代のこと。
☆旅をしてリポートしよう☆などというキャッチフレーズの勉強会で伊豆に行った。『伊豆の踊子』の舞台になった所を歩き、その体験をリポートしようというものだ。講師一人に受講生二十名。東京駅から踊り子号で修善寺へ。そこからマイクロバスで湯ヶ島へ。

 マイクロバスに五十歳前後の男性が乗り込んでいた。ガイド役のその人は「宇田」と名乗った。宇田さんは、湯ヶ島の文学資料館々長でもあるが、白壁荘という旅館のご主人でもあり、井上靖の親戚筋の人間でもあるとの紹介を受けた。

 まずは、湯ヶ島という町はどんな町なのか、白壁荘の一階にあるホールで、三十分ほど宇田さんから説明を受けた後出かけた。

 白壁荘からほど近い場所でバスが停まった。有名な歌人の歌碑があるという。小高い丘の崖の淵に桜の古木があって、その奥に歌碑があった。

 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
                   若山牧水

 短歌なんて、読みもしないし詠むもしない時だから、何のことやら理解出来るはずもないのに、何故か胸がジーンとした。牧水の細やかな心と目。早春の桜の幼い葉に向けた思いが、人生にも通じる事のような気がして、短歌なんて何の事やら解らない者が感じ入ったみたいだ。バスで移動し始めた時にはすっかり忘れ去り、リポートを書く段になって思い出したほどだったが。

 天城隧道の入口に立った時、隧道の向こうから若者がやって来そうな気がした。履物の音が内耳で鳴り、大学帽の学生が現れる瞬間を待った。生活に疲れた中年女の脳裏は、しばしロマンの甘い香りで満たされた。

 杉木立のせせらぎを聞きながら歩いた。つづら折りの小道もいつか見た映像のままだ。二月という季節の天城は、限りなく淡い色調で包まれていた。雑木の枝先は、牧水の表現を借りれば「うすべにに萌えいでて」そのもの。なんとも柔らかな温かさであった。

 最期にはイノシシ村を覗き、湯ヶ島文学資料館に寄って、宇田館長のおごりでケーキとコーヒーを頂いた。資料館には、湯ヶ島に関わりのある文学者の資料が展示されていた。その数はかなりのものだ。

 宿は少し離れた場所の国民宿舎。
 夕食前にはリポートを提出しなければならない。一時間半の中、半分はリポートを書くにあたっての講義で、後の半分の時間で原稿用紙三枚に纏めた。牧水の詩をメモしてきたので書き入れることにした。理解の出来ないまま、それでも感じられるものとは一体なんなのだろう。僅か三十一文字の短い言葉の中に、自然の営みを詠みながら人生を語る。無知なる者の驚きと戸惑い。成人してから初めて、この時短歌というものに触れた。そしてすぐ忘れ去った。
 伊豆の旅は、勉強の名目での遊び一杯の旅だった。日頃の憂さを吹き飛ばすには大いに役立った。誘われるままに参加したリポートを書く旅は、ヨチヨチ歩きのリポートをなんとか纏めた旅でもあった。

 あれからずうと忘れていた短歌。なのに、作る側になった。技巧を凝らした難しい短歌より、素直なものがいいと最近思うようになった。短歌なんかに関係ない人にでも解るような、それでいて感動を与えられるようなもの。