紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

★ 42 マイナンバーカード

2024-02-18 07:38:07 | 「と・ある日のこと」2024年度

 
マイナンバーカードの受け取りに市役所へ行った。朝一番の窓口は空いていてすぐに案内された。
先ずは、本人確認。申請した時の写真と運転免許証と、マスクを外した現在の顔を見て、本人に間違いが無いか確認された。写真の素顔の自分に眼をそむけたくなるほどだったが、これも長年見慣れた自分なのだと、チョットバカリ慰めの気分。

仕切り板のある申請用パソコンの前にいくと係の職員が説明をするが、最初からこちらが何も分からないと思っているようで、パスワードの確認の画面でも覗き込んできた。パスワードの入力のカーソルの位置も説明なしである。たぶん、高齢者の大半は、職員のやり方に任せて入力し、時間を掛けないで済ませていたのだろう。そのように理解したのだが、それって違うでしょ? 不親切と言うか、もっと基本に則ったやり方で出来ないのだろうか? 怒りが沸いてくる。

 マイナンバーカードに保険証としての紐づけはセブン銀行が良いとのこと。セブン銀行にはそのアプリがあるとのことだ。又は、薬局にある場合があるとか。少しばかり怒りのマグマが残っていたので、そのうちに紐づけすることにした。

 マイナンバーカードの不具合のニュースはいろいろあったが、現在は大丈夫になっているのだろうか? 良い制度となるかどうかは疑問ではあるが、国の制度である。この先どこまで生きるか分からないが、マイナンバーカードと付き合っていくことになる。

 人間の汚さのニュースを毎日見るが、マイナンバーカード取得時の職員の対応から見ても、仕事とはいえ、同じことの繰り返しは飽き飽きするのだろう。つい省略したくなったのも解るが、あってはならないと思う。
後日、定期受診のおり、薬局でマイナンバーカートと保険証の紐づけをすることが出来た。





長い間お読みいただきありがとうございました。
今記事で一旦「と、ある日のこと」は休憩します。
次記事から「風に乗って」シリーズを17回続けたいと思います。
変わらずのお付き合いを宜しくお願いします。


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★41 吾子の歩き初め

2024-02-11 07:27:51 | 「と・ある日のこと」2024年度

 
生命保険会社の担当営業レディが年一のご機嫌伺に来た。生存確認と健康状態も陰ながら見ていくのかもしれない。三十代半ばの生保レディは、初対面にも関わらず、ちょっと高音のはっきりとした話し方である。

見直しする事柄は、一つは亡くなった息子が受取人になっている部分を、削除すると同時に、後の受取人の受け取る配分を決めなければならないらしい。その手続きにインターネット上で手続きするには、パスワード設定をしなければならないとか。少しばかりの保険金額であっても、後々の揉め事の原因になることの無いようにする必要があるようだ。

今回だけでは終わらず、次回に持ち越しとなったが、その他は、今の老後生活に必要なお金関係の雑談になって行った。我ら夫婦のように、地方から上京した者同士の結婚生活は、余程のチャンスに恵まれた人でないと、何の心配もない老後を送れそうもない。国の政策も、のんびりと暮らせない厳しさがある。孫子のために老後資金を使い切ったなら、自分の老後の資金が不足する危険もありそうだ。現役時代にせっせと身を粉にして働くのは、孫子のためは勿論だが、自分が安らかな死に際を迎えるためでもあるような気がする。

 生保レディには、息子と娘がいるが、生まれて間もなくから幼稚園や保育園を活用して、今に至っていると言った。息子が初めて歩き始めた時、保育園の先生と遊んでいた時だったそうだ。仕事帰りの夕方、息子を迎えに行った時、「今日、○○ちゃんは初めて歩いたんですよ」と報告を受けたそうだ。その時は、嬉しいよりも、自分の手の中から歩き出すのを見たかったという悲しみがあったそうだ。同僚の人の中にもそういう経験者が居て、共に切ない涙を零したそうだ。できれば、三歳位まで母の手で育てたかったと言う。




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★40 文字数を数える

2024-02-04 07:01:41 | 「と・ある日のこと」2024年度

 
昨年のクリスマスパーティーの帰りの電車内のこと。独りの行動は自分のリズムで出来るので、ゆっくりの足取りで電車内の椅子に座ることが出来た。乗り換えてから55分程度だが、遊び疲れているので座れたのが有り難い。さよならの意味を込めて、毎度窓から見えるスカイツリーを眺める。ところが今回はスカイツリーを見るのを忘れていた。気づいた時には、東京を離れ千葉県に入っていた。目を閉じ、今日のパーティーを振り返っていた。華やかな女性客が36名、スタッフ11名。大変な盛り上がりだった。大満足の一日であった。

 目を閉じていた。脳内はぼやけていて眠気が出ているようだ。ゆらゆらと心身が解ける。「カチカチカチ、カチカチカチカチ」
 なんの音だろう? そして、何処から聞こえてきているのか? ぼやけた脳は少しずつ覚醒する。
「カチカチカチカチカチ」

 右隣の人物が音を立てていた。ペンシュルのような形のカウンターペンというのだろうか? その右手の動きが目の端に見えた。新聞記事のようなものを張り付けたノートの、文字数をカウントしているらしい。

 長い時間音を立てていたのだから、仕事の一端かもしれない。どんな仕事なのだろう?
 新聞記者かもしれない。何かの研究者かしら? 私の数少ない経験からは得られない職業があって、とても大事なことを移動時間さえ惜しんでしているのかもしれない。

 横目で盗み見ると、黄や黄緑で塗りつぶした行を数えては黒い線を引いている。様々な記事は次の頁にもあって、次々と作業を続けていた。
「カチカチカチ、カチカチカチカチ」
そうしているうちに、降りる駅に着いた。




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★39 匂い音痴

2024-01-28 11:20:46 | 「と・ある日のこと」2024年度



以前も見かけたダンサーが居た。あの時は、コロナに罹って復帰したばかりの様子だった。
「治ったんだけど、まだ嗅覚が戻らないんですよ。何食べても匂いがしなくて」などと、チャーターグループのお客様に話しているのを、近くにいた私の耳にも聞こえていた。

あれから一カ月ほどの、とある土曜日のこと。

 どこかの企業に勤めながら、ダンサーとしても働いているという若者。以前より頬がこけている。身体も幾分痩せたようで、以前の力強さがちょっとばかり無いように見受けられた。
 今日は、このダンサーにトライアルを申し込もうと決めた。というのも、レッスンを止めてからの楽しみとして、まだ踊ったことのないダンサーに一曲踊ってもらおうと決めていたからだ。

 トライアル券はスローホックストロットだけが残っていた。ラテンが人気だとの噂であったが、私はどちらも踊るが、どちらかと言えば、スタンダードの方が優雅に踊れて良いと思っていたので、丁度良かった。

 しっかりとしたホールドと、ボディが付かず離れずに保てて、ちょっと細い身体ではあるが、下手な私でも確かな踊りが出来ているような気になっていた。

 私の知り合いにもコロナに罹った人がいる。その中で亡くなった人は二人。突然高熱が出て、日常生活もそうだが、仕事を休まざる人もいる。コロナの後遺症というのだろうか。けれど、ワクチン接種の副作用もあるようだ。コロナワクチン接種の善し悪しは今でも議論されている。本当のところ、どちらが正解なのかは分からない。私の知り合いの中では、副作用より、後遺症の方が多いような気がする。この先も、コロナは勿論だが、他の感染症には罹りたくないものだ。




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★38 果て? どうする

2024-01-20 09:02:00 | 「と・ある日のこと」2024年度
 

昨年十二月の半ばの、と、ある日のこと。
固定電話に8キロほど離れた駅近くの葬儀社からの電話があった。受話器を取った私の口から出たのは、「ワタシ、今にも死にそうなのよ」といういたずら言葉。電話の向こうのセールスレディは、「え? それにしては、お声が元気ですねぇ」との返答。

さぁ、それからが大変。葬儀用の積立金の誘いである。以前、喫茶店を経営していた時の客に、近くの葬儀社のセールスレディがいて、粘りに粘られて入った、もしもの時の積み立て。それは、息子の葬儀に使われてしまった。息子の死を予想して入った積み立てではなかったのだが、図らずもそのような結果となったのである。どうやら、それと同様の誘いらしい。セールスレディの話術は、あらゆる客の話題に対処できる豊富な知識に裏打ちされていた。

「私の場合、家族葬でいいと思っているのよ。でなければ、直葬で十分。菩提寺の住職に読経を頂き、菩提寺の墓所の我が家の墓の息子の隣へ納めてもらえば、それでいいわ」という私の言葉から、現代の葬儀事情に話題は盛り上がっていった。

 近年、エンディングノートというものに、自分の終末期と、葬儀などの希望を書いておくと言うことが話題になっている。私の場合、様々な希望などを書き残したなら、遺った家族は困らないかと心配になる。希望通りに出来る時間と予算が無い場合、遺族は心残りでもあるし、思い通りにしてやれなかった後悔さえ持ってしまうのではないか? そう思うと、遺族の都合に合せた見送り方で十分だと思う。だから、エンディングノートなどは絶対書かないつもりだ。

 そのような話までしたが、今更ながら、人生の終わり方まで考えなければならないお年頃になったのかなぁと、ため息が漏れた。




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