紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

8 千代の家

2023-01-29 08:32:06 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 玄関を挟んで右が千代の部屋で、反対側に風呂やトイレがあった。玄関から突き当たりにダイニングキッチンと、その隣に娘の部屋があるらしいが、扉が閉まっていた。掃き出しのガラス戸から小さな庭が見える。赤い花の植木鉢が三個並んでいた。
 ダイニングキッチンに二人用のテーブルとイスがあった。それに腰を下ろした千代は、少し息を弾ませている。すみれは、千代に歩調を合わせて歩いたつもりだが、もっと、ゆっくりした歩き方をするべきだったかもしれないと思った。
「すみれちゃん、おやつを食べようか。そこの戸棚に紺色の缶があるから取っておくれ」
 缶には固い煎餅類はなく、クッキーや個別にパックされたケーキなどが入っていた。
「娘が買って置いてあるんだ。私のボケが始まっていると思っているらしく、買い物もさせないのだよ。もっとも、大分前のことだけど、お金を払わずに物を持ってきてしまったことがあった。それ以来、娘はお金の管理をして、僅かな私の年金さえも時々チェックするんだ」
「千代おばぁさん、その時何を持って来ちゃったの、食べ物?」
「はて、何だったかね、忘れた。でも、娘にこっぴどく叱られたことは覚えている」
 お茶はポットの湯で千代が入れた。ダイニングキッチンは整然と片付けられ、高いところには落ちて危ない物は載せていない。留守の多い娘の心配は、千代の病気や怪我などに違いない。
 ガス台の端に『ガスは使わないこと』と書いた大文字の紙が貼ってある。そして、流し台の側には『水は出しっぱなしにしないこと』と書いた紙が貼ってあった。


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著書・夢幻に収録済み★連作20「すみれ五年生」が始まります。
作者自身の体験が入り混じっています。
悲しかったり、寂しかったり苦しかったり、そのどれもが貴重なものだったと思える今日この頃。
人生って素晴らしいものですねぇ。
楽しんでお読みいただけると嬉しいです。
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(とうれいやこひはくろくろただもくす)
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7 三人

2023-01-22 08:11:08 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 おじさんが公園に入ってきた。すみれは、何故か懐かしい感じがした。
「元気そうだね」
「おじさん、仕事、決まったの?」
「うん、タクシー会社だ。今までの仕事とまったく違うものだが、仕事しないでは暮らしていけないからね」
 山谷と名乗ったおじさんは、すみれに笑って見せてから、ベンチに腰を下ろしている千代に挨拶をした。
「すみれちゃんの一番目の友達ですって? 私は二番目の友達の千代おばぁさんです。嬉しいねぇ、私とも友達になってください」
 千代は山谷に手を差し出した。山谷は両手でその手を包み、少し揺すった。
「ね、おじさん、いつからお仕事するの」
「タクシーを運転するのだけど、これから二種免許を取得しなくちゃならない」
「ふぅーん、大変なの、おじさん」
「山谷さん、若いから大丈夫。私の子供と言ってもいいくらいの歳だろうから」
 千代が山谷を見あげて言った。
「ええ、頑張らなければ。すみれちゃん、学校はちゃんと行っているのかい」
「うん。行っている」
「この千代おばぁさんと約束したんだよね。学校だけは休まないって」
「そうか、よかったね、友達が増えて。おじさんは、しばらくはここへは来られない。何かあったら電話くれるといいよ」
 山谷は、会社の電話と自分の携帯電話の番号を手帳に書くと切り取り、すみれと、千代にそれぞれ渡した。
 山谷が帰ると、すみれは千代を自宅まで送ることにして一緒に歩き出した。千代はシルバーカーにもたれるようにして歩いた。



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(あしのほやじんせいろまでおおうほど)
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6 話し相手

2023-01-15 08:14:56 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 藤棚の下のベンチに、八十歳代に見える老女が腰を下ろしていた。日陰なので気づかなかったが、シルバーカーを前に止めてある。老女はすみれに横顔を見せ前方を向いたままだ。すぐ側まで近づくと、はじめて反応した。
「おや、お嬢ちゃん一人かい」
 無言で頷いたすみれに自分の隣を手で示し、座るように勧めた。
「この公園は子供の少ない所だ。今日も誰とも話をしないで過ごすのかと思っていたけど。お嬢ちゃんがきたからよかった。私は毎日のように誰とも話をしないで過ごすことが多いんだ。つまらない人生さ」
「おばぁさんは独り暮らしなの」
「いや、娘と二人。娘は勤めの関係で夜遅く帰ってくるし、朝は忙しく出かけてしまうし話なんてする暇がない。ガスは危ないから使うなって言うんだ。お湯はポットで沸かして、娘の用意したおかずをレンジでチンして、昼も夜も、そうやって独りで食べるんだ。娘がいつ帰って来たのか分からない。私は早く寝てしまうからさ。毎日毎日、独りで居るようなものだよ」
「寂しくないの?」
「だから公園まで頑張ってくるのさ。少しでも、誰でも良いから話したいと思ってね」
 すみれは、私もこのおばぁさんと同じだと、思った。
「足が痛いんだけど、歩かないと歩けなくなるって、娘が。心配はしてくれるけど、一緒に歩くことはない」
 老女は膝をさすり、遠くを見た。
「おばぁさん、私明日またここへ来るよ。私このポピー公園が好きなの」
「そうかい、そりゃあ嬉しいね。じゃ明日もお話が出来るね」




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(ゆくひとのあしをとらんとくずかずら)
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5 対策

2023-01-08 08:18:02 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 すみれは、ベッドに仰向けになって考えていた。前の学校でもそうだったが、転校した今の学校でも何故自分がいじめの対象になってしまうのか。
 パパが居ないせいだろうか? いや、自分以外のパパの居ない子だっている。その子はいじめには遭っていないようだ。自分は転校生だからか? だとすると、前の学校でのことはそれに当たらない。クラスで一番背が低いせいか? 同じような小柄な子でもみんなの仲間に入っている。無口のせいか?……千秋みたいに、スピードの有る話し方は出来ない。珠恵みたいに大人のような言い方は出来ないし、久美みたいに大きな声でもない。だから、いつも他の子より出遅れて黙ってしまう。だからだろうか?……。
 すみれはため息をついた。何とかいじめに遭わない対策を考えなければならない。悔しいと思っても、いつも言葉を飲み込むばかりの自分を変えなければ、いつまでもいじめの対象になっていなければならない。
 そうだ発声練習をしよう。はっきりした言い方で、早口で大人の女性のようになろう。
 すみれは起きあがりベッドに正座した。両手は後ろで組む。胸を張って声を出した。
「あ、あ、い、う、え、お、お」
 口を大きく開けた。腹式呼吸を音楽の時間に教わっていたのを思い出しながら声を出す。
 祖母の竜子は、日曜日だがパートに出かけた。自分一人のアパートの部屋に声が充満する。両隣の部屋には誰もいないのだろう。人の気配がしない。自分が黙ると、途端に近くの鉄橋を渡る電車の音が聞こえた。
「あ、か、さ、た、な、は、ま……」
 すみれは、何度も繰り返しているうち、鼻の奥がツンと痛くなって涙が湧いてきた。




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4 赤飯

2023-01-01 06:11:02 | 著書・夢幻★すみれ五年生


明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
引き続き「すみれ五年生」をお楽しみいただけると嬉しいです。




「すみれ、大人になったのよ。お祝いしようね。お赤飯を炊こう」
 祖母の竜子は、整理タンスの小引き出しを開けてビニール袋を取りだした。
「リュウちゃんの使った残りがまだ捨てずに有ったわ。これを使いなさい」
 すみれは、無言で受け取った。千秋たちが、休み時間に小声で話していたことが、やっと自分にも経験することが出来た。そう思うだけで、下腹の疼きが心地よいものに変わるような気がした。竜子の、使い方の説明は聞かなくても分かっていた。千秋たちの話は耳に入っていたから。ただ、その時は何のことか分からなかったが、今思えばこのことだったのだ。
「すみれ、体を大切にするのよ。大切にして、いいお嫁さんになるのよ。それまでリュウちゃんは頑張るからね」

 すみれは、母親のことを思い出していた。お嫁になることは、ママのようになることだ。ママは自分を置いてパパ以外の男の人と一緒に暮らしている。自分はもし自分のような娘がいたなら、絶対置いてなんかいかない。でも、もし自分がママと一緒に行ったとしたら、リュウちゃんは独りになってしまう。だから、自分だったら、パパ以外の男の人とは、絶対一緒に暮らさない。リュウちゃんとママと三人で暮らす。と思った。 
「さぁ、お赤飯ができたわ。ママが知ったら驚くでしょうね。すみれもとうとう大人の仲間入りをしたわって」
 すみれは聞こえないふりをした。ママのことは一番聞きたくないことだ。竜子はすみれの様子に気づき、それ以上は言葉を発しなかった。すみれの赤飯を食べる様子を見て自分も口に入れた。




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