紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

19 石の布団

2022-05-28 09:09:32 | 夢幻(ステタイルーム)23作



「ああ、石の布団を被って寝たいよ」
 男が呟いた。
 男の言葉が、掃除をしている女の右耳から入り左の内耳で止まった。男は五十代半ば。スーツを着ている。一回りも年下に見えた。駅に続く高架道の鉄製の柵にもたれて、下を通る車や人混みを目で追っている。

「ごめんよう」
 ホーキで、男の靴の前を掃く。
 男は無言で場所を移動した。
「あ、カバン。忘れてるわよ」
 男が頷くと、柵に立てかけていたカバンを小脇に抱えた。見るからに重そうなカバンだ。
「最近の若者はマナーが悪いんだから。掃除してもすぐ汚すんだものさ」
「ここ、毎日掃除しているのですか?」
「そう。生活がかかっているからね。なにせこの歳になると、なかなか雇ってもらえないんだわ。仕事があるだけ幸せってものよ」
「ご苦労様ですね」
 男は揃えた指先で口の周りを撫でると、駅前のビル群に視線を泳がせた。

「あ、そう言えば、さっき石がなんとかって聞こえたけど」
「聞こえましたか」
 男は前を向いたまま溜息をついた。
「ずいぶん疲れてるみたいだねぇ、お宅」
「ああ、寝る間もないっていうのかな。景気は回復したってお偉いさんは言うけど、まだまだ厳しいですからね」
「よっぽどなのね、石の布団を被って寝たいだなんて」
「ええ、疲れが取れなくてね。なにもかにも嫌に。あ、いや。なんか、話していたら元気が出てきました」
 男はカバンを持ち直して歩き出した。


著書「夢幻」収録済みの「ステタイルーム」シリーズです。
主人公はそれぞれの作品で変わります。
楽しんで頂けたら嬉しいです。




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健太が行く

2022-05-28 09:09:12 | 風に乗って「健太が行く」


 健太が旅に出てすぐのことだ。
「おい、チビ。ちょっと待てぇ」
 ひげ面の大男が両手を広げた。
「大荷物だな。何が入っているんだ」
 毛むくじゃらな腕を突き出し、背負っているリックに手を掛けた。
「なんだよ。食い物ばかりじゃないか」
「先のことが分からないから心配で」
「食パンに餃子、バナナにアンパン。それにハンバーグとおにぎり。まったく、まるで幼稚園児の遠足だな」
「……」
「十一歳だって? お前、甘ちゃんだろ。おっかさんか? 詰めたのは」
「いや。姉もです」
「姉ちゃんがいるのか。姉ちゃんはいくつだ」
「十六。すみません。ここを通して頂くにはどうすれば」
「リックごと置いて行け」
「食べ物がなくなったら困ります」
「大丈夫だ。先に行けば食い物には困らないよ。大抵、食い物なんか持って行かないぜ。とにかく通る挨拶はするものだ」
「よろしくお願いします」
「お前は道に迷うことはない。欲が無さそうだからスムーズに行ける。右の壁に何処までも沿って行け。後は行ってのお楽しみだ」
 健太は大男の言うように右に右にと行く。何があるか、先の期待で胸が膨らんでくる。
 母娘らしい二人に追いついた。やはり二人とも何も持っていない。さっきまで一緒に居たらしい家族の話をしながら歩いて行く。
「食い過ぎて腹が痛ぇー」
 さっきの大男の悲鳴が後ろからした。
 健太は急に不安になった。本当に右側に沿って行けばいいのだろうか。



 やっと一人通れるほどの道なのに、標識は右側通行と書いてある。両側は高い壁になっている。健太は右手で壁に触りながら進む。古いレンガの壁が、人の手垢で光っている。
 進むにつれ前方の光が増してきた。視界が開け目の前に雑木林が広がった。
 獣道を右に向かった。
「ぼうや、一人?」
 健太の母親と同じ年頃の女が微笑んだ。
 日が差しているのに雨が落ちてきた。
「あら、雨だわ。また泣いた人がいるのね」
 健太の答えも聞かずに女は天を仰ぎ、手のひらに雨粒を止めた。
 健太は雨具を用意しなかったなと思った。
「毎日のように雨が降るわ。ぼうや、濡れるわよ。いらっしゃい」
 女は長いコートの前を開け手招きをした。
「六年生? そう、小柄な方でしょ」
 女のコートに健太の体がすっぽりと包まれた。母の匂いと似ているが、やっぱり違う匂いだと思った。鼓動が間近に聞こえる。
「雨はすぐにやむわ。でもまたすぐ降り出す。いつものことよ」
 健太は密かに深く呼吸をした。めまいのように体が揺れ、不思議な感覚に捕らわれた。しばらくこのまま居たいと思った。
「雨がやんだわ。気をつけて行きなさいね」
「ありがとうございました」
「寂しいわね。さっきの人も一人だったわ」
「……」
 獣道にも右側通行と交通標識がある。
「もうちょっと大きくなってからにしたら」
 両親も姉も言ったけれど、今が旅に出るチャンスだったのさ。健太は少し大人になった気分になった。胸を張り大股で歩き出す。
 足元の水溜りに『右』の字が見えた。
 


 健太は海底に引き込まれながら、両親に連れられて行った運動公園を思い出していた。
 川の堤防に隣接していた運動公園には、大きな体育館とテニスコート。野球場とサッカー場。芝生の山があって、姉と二人でダンボールに尻を乗せて滑り下りたっけ。今自分の下りているスピードは、あんな勢いはない。
 ゆるゆるゆらゆらふわりと下りて行く。
 健太は右を見た。右は高い岩に遮られている。左は海草の林。色とりどりの魚が泳ぎまわっている。下りながら体が何回転かしてしまったらしい。頭がどっち方向を向いているのか分からない。
 健太の周りを魚たちが取り巻いた。白い泡を立てて冷やかす。小エビが健太の髪に入り込み「今夜の宿にするか」なんて言う。
「ねぇ、泳ぎ方知らないの?」
 柔らかな声がした。女の子だ。いや、女性って言った方がいいのかもしれない。超薄手の布が体にまとわり付いて、波に任せて揺らめいている。
「あの、僕、泳いだことはないのです」
「怖がらなくても泳げるはずよ。君はどっちへ行くつもり?」
「たぶん右。僕、行かなくちゃあならないんです。いつまでも子供でいる訳にはいかないから旅に出たんだ」
 海草の林を抜けると、健太の手を引いていた女性がマンタを呼んだ。
「この子を案内してね」
 マンタの背に乗った健太は、次々に移り行く風景に見とれた。テレビの画面で観た海の中が、今手の届くところに展開している。
 浅瀬に近づいてきた。
「この辺で俺は失礼するよ」
 マンタは体をくねらせて健太を振り離した。
 


 健太は海中に漂いながら、行き先はきっと空の上に違いないと思った。
 鳥たちが狩にやって来た。大群だ。
 目の前に大型の鳥が突っ込んできた。群れて移動している小魚をくわえると、海岸の岩の巣へ運んでいく。
 次に飛び込んできた鳥の足を捕まえた。
「僕、泳げない……」
「何すんだよ。おぼれちゃうじゃないか」
「僕だっておぼれちゃう」
「お前、おぼれない装置を身に着けているんじゃないか。気がつかないのかい」
「お願いだから連れていってよ」
「俺は子育てで忙しいんだ」
「頼みます。お願いします」
「分かった。ちょっとだけ便宜はかるよ」
 水中から飛び上がった鳥は、近くにあった低い雲に健太を降ろすと「忙しいんだ」と言って、また海に突っ込んで行った。
 雲の上から下を見ると、海岸線に沿った街からビートの効いた曲が流れていて、金髪や赤や紫の髪をした若者たちが踊っている。ガングロの少女たちも踊っている。健太は、見よう見真似で手足を動かし腰を振った。
 雲が湧き上がる。真っ白な雲。健太が飛び移ると次々に連なっていく。
 海は遠くなり、街の赤い屋根も見えなくなった。若者たちのざわめきも聞こえない。
「僕の行くところは何処だろう」
 健太は思わず呟いていた。
「こっちよ、こっち。健太無事に着いたね」
 母方の祖父母だ。ちっとも変わらない笑顔で迎えてくれた。父方の祖父もいる。伯父たちも従兄弟もいる。みんな元気な笑顔だ。 
 歓迎の音楽が鳴り出し、ご馳走が並び、虹色のライトが健太を照らし出した。



著書「風に乗って」収録作品★「健太が行く


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18 土よりうまれしものたち

2022-05-21 20:56:14 | 夢幻(ステタイルーム)23作


 肩幅ほどの木道は、ミヤコワスレや水引草の花群の中にある。太い幹の欅が数本、古民家を被うように枝を広げていた。入口に続く煤けた軒下を通ると、カラカランと陶器の風鈴が来客を告げた。
 アヤは十六歳。
 青いタンクトップに白い半パンを着て、キャンバス地の鞄を背負ってきたことに少し反省をした。なぜか場違いな感じがしたからだ。長い髪を手で梳き、身を正した。
「ごめんください」
 細めに引き戸を開ける。静寂が黒い柱と漆喰の壁と大矢石の床を支配していた。
「あのう……」
 奥に人の気配を感じて声を掛けた。つま先を擦るようにゆっくりと進んで行くと、床より少し高い位置の黒い台に女が横になっていた。薄いドレスの中に足先が見て取れた。もう一人は仰向けになって膝を抱いている。瞑想の中にいるようだ。

「母の代わりに来たのですけど」
 それに答えるように、壁際のバイオリンを構えていた少女が弾きだした。何の曲か思い出せないが聴いたことがある。その側にいた、白い古代の衣を着た一人の女が唄いだした。
「ひるがおのきのふに続くけふにあり」
「解くにとけない縁かなしや」
 もう一人が続けた。それは聞き取れないほどの声だ。
 木壁に勾玉の首飾りが何連も掛けてある。
 出口近くにいた女性が、皮の紐を通した灰紫色の勾玉を差し出した。
「来て下さったお礼よ。勾玉を……お忙しいお母様に宜しくお伝えしてね」
 芳名簿を開けた。常陸野、藤袴と記してある。次の行に住所を書き、母の名前の下に娘 アヤと書いた。


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17 ステタイルーム

2022-05-14 07:04:31 | 夢幻(ステタイルーム)23作


「あのう、ステタイルームってご存知」
 女性の声が私の耳の側でした。振り向くと、駅舎の明かりに照らされ、若い女性が微笑んでいる。ジャケットの襟を立て、パンツがピタリと股に添った長い足。
「詳しくはないですけど、堤防から下った道らしいですよ。宜しかったら、ご一緒にどうぞ」
 女性の問いに答えてから、二十五歳くらいに見えるけど、三十になる姪ぐらいかもと、観察をする。旅行用バッグは重そうだ。
 女性は決して横へは並ばず、数歩後ろを歩いて無言だ。
 私はインターネットで調べた道順を頭の中に描きながら歩く。堤防の右側は国道に続き、左側の坂を下ると地図にはあった。細い道を遠くの街灯を頼りに進む。
『ステタイルーム』の電光案内看板が見えた。
「あ、あそこですね。ありがとう」
 女性は私を追い越し、その先を歩いていた女高生らしい制服姿も追い越していく。

 私は看板の明かりで口紅を引き直した。
『異色旅行』の案内には「棄てたいものをご持参下さい」とあり、『ステタイルーム』は女性専用の宿泊施設で、最近人気急上昇中だとあった。
 入口のブザーを押す。応答はない。何度も押した。先ほどの女性と制服姿が入って行ったばかりだから、誰もいないはずはない。
 扉を引いてみた。鍵は掛かっていない。外から明かりが見えたのに中は真っ暗だ。
「あのう、予約してあった者です」
「いらっしゃい」
 しわがれた低い声が答えた。
 一歩入った途端何かに足を掬われた。体が回転しながら急速に闇の中を落ちていく。


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16 チャンバラ 下

2022-05-08 06:38:30 | 夢幻(ステタイルーム)23作



 骨董仲間の渡辺家へ呼ばれた。
 小沢を迎えたのは渡辺家の奥方。玄関の上がり框に三つ指を着く。還暦を過ぎたはずだが、春霞模様の着物姿だ。
「遠いところようこそ。どうぞ」
 通されたのは床の間付きの八畳間。渡辺が廊下を背に座っていた。紬の着物に羽織を着て、腰には小刀を差し、体の左側に刀を置いていた。
「今度、購入されたものを見せて下さいよ」
 スーツ姿の小沢が床の間を背に座るのを待って、渡辺が言った。
 小沢は桐の箱から刀を取り出した。
「いやぁ~、女房に怒られながら手に入れたんですよ。梅に鶯の鍔が気に入って。百万円したんですよ」
 渡辺が内心笑ったように見えた。
 渡辺は、小沢の日本刀を、鞘や鍔、柄はもとより、鐺(こじり)から柄頭(つかがしら)までをじっくり見ている。
「復刻刀でないのは良く分かりますよ」
 渡辺はそう言ってから、床の間の飾り棚から鎌倉彫の箱を取り出した。箱には三個の鍔が入っていた。
「どれも一個五十万円しました。これ二個で小沢さんの一刀分ですね」

 小沢は体の全部に怒りが充満していた。奥方の白い指も漂う香りも、注いでくれた酒の味も大トロの旨味も、なにもかもが悔しい。
 独り言は次第に大きくなっていった。
 小沢の前方に立ちはだかった男がいた。
「こんばんわ。酔っているんですか?」
 警官が小沢の持ち物に目を留めて聞いた。
 小沢はポケットに手をやった。『刀剣類所持許可証』は確かに持っている。


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