是枝裕和監督
「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」 (後略)
「海街diary」における立膝は相当集中砲火を浴びましたが、是枝監督いわく「お行儀の悪さの表現」だと。その事自体は解かるのです。姉が無作法を注意するシーンなので。
しかし、日本人がいかに行儀悪いからと言って、立膝をしますか?
ちゃぶ台の前で? 本能的に、ちゃぶ台の前で立て膝などしません。
海街diary予告篇
原作で、父親がよそに作った子 父親の愛人の連れ子が立膝として描かれているようですが、それは躾がひどく行き届いてない子の設定であり反抗的な態度の表現として「あぐら」「立膝」が必然性で描かれています。鎌倉にいた三姉妹は祖母に厳しく躾を受けたという設定のはず。
立膝は人物設定としてもあり得ません。
しかも予告編では、そういうキャラに設定していない次女が「姉に注意される」箇所は抜き去って、立膝を二度もしています。これが海外でも流れたのでしょうか?
こんな格好、昔の日本映画ではパンパンとか女郎とか、特殊な女たちしかしていません。
ツイッターでも指摘していますが、お椀と茶碗の位置も変です。箸の持ち方もきれいではありませんね。
これが正しい持ち方。
また原作で、立膝など突拍子もないことはさせていません。日本人の無作法として描くなら、箸で小鉢を引き寄せるとか、そのたぐいのことでしょう。立膝はまず日本人ならあり得ません。よほど、あばずれとして描いているならあり得るかもしれませんが、映画の設定では違いますね。
監督としての実力を云々しているわけではありません。
その思想発言と組み合わせると「何だかね・・・・」ということです。
是枝裕和監督いわく、
「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」
こんな妄言を、村上春樹よろしくカンヌあたりの外国で喋り散らされたら、また歪められた日本の歴史がながされてしまいます。
まず、共同体としての家族制度崩壊は敗戦後、GHQによる日本の家族システム否定が端緒でそれを持って、日本人を貶めるのは筋違い。
日本が認めない歴史というのは,GHQ由来の自虐史観のことですか?
不勉強にもほどがあります。
「多様性の受け入れ」とは、具体的に何でしょう? 大量移民を受け入れよ、という論なのでしょうか?
アジア近隣諸国は、白人による植民地支配から開放してくれたとして、日本に感謝してくれています。
韓国は長きにわたる李氏朝鮮からの開放には、日本という他力を借りねば出来なかったこと。中国の奴隷国家であったことからの開放も、日本の関与がありてこそです。
韓国近代化の礎は日本が作ってあげました。
またドイツと並べるのは無知です。ヒットラーは日本にはいません。ナチス・ドイツではありません。日本が何を謝るのですか? (ドイツやヒットラーを持ち出すのは、朝鮮人たちです)
あの戦争自体が、追い詰められやむなく立ち上がった戦争ですよ?
開戦に踏み切っていなくても、アメリカに隷属させられる道筋にありました。
また、同じ政権の存続など海外では珍しくもなく、日本が今まで異様に短かったのです。
「和魂洋才」が日本人の特色であり、多様性を峻拒してはいません。柔軟に取り入れながら自家薬籠中のものとして、昇華してきたのが古代からの日本です。
是枝監督は才能がある人のようですが、その思想は児戯です。
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
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