Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

イルマンジャーレ

2010年06月27日 | グルメ
このお店、婦人画報今月号の「夏野菜の美味しいレストラン」で取り上げられたり、
あの”伊藤章良とさとなおの「うまい店対談」”でも
ここのパスタは美味しい!と手放しの誉められようだったので
気になっていたのです。

前菜、パスタ、メイン、
それぞれ数種類ある中から私が選んだのは
夏野菜のバーニャカウダ
ウニとトマトの冷製パスタ、ワサビ風味(写真)
コトレット(ミラノ風カツレツ)
ドルチェ盛り合わせ

バーニャ・カウダが私は好きで、
評判のイタリアン・レストランに行くとつい頼んでみるのですが
お店によって微妙に味が異なる。
アンチョビ、ニンニク、オリーブオイル、牛乳などを混ぜ合わせたソースが
なんともまろやかで深く、夏野菜の甘味をとことん引き出してくれます。
冷製パスタも面白い。
ウニとトマトとワサビという、とんでもない三品の組み合わせ、
そしてそれらがまったり調和している味わいには
脱帽するしかありません。

しかしこちら、麻布十番駅から程近い、何の変哲もない
白いタイル張りビルの中の6階にあるのです。
ダークなこげ茶の色調の床、壁、籐の椅子、
ダーク・オレンジの半透明のカーテンが僅かに揺れるこじんまりした店内は
イタリアンというよりは、バリ島のリゾートホテルのような雰囲気。
蒸し暑い日の昼下がり、こんなところで冷たいスプマンテで乾杯すると
何かワクワクするような気持ちになる。
結局私は、旅行にしろ、映画にしろ、読書にしろ、グルメにしろ、
こうした出逢いの期待感を求めているのだという気がします。
ドア・ボーイが恭しく迎えてくれるような有名なグランメゾンなら
ある程度約束されているのでしょうが(期待に裏切られることもありますが)
こうした隠れ家のようで美味しいお店を見つけると
なんだか得したような気分です。

イル・マンジャーレ
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「あめのひ」

2010年06月23日 | 
朝からよく降りますねえ…
というか、スコールのような雨の音で起こされたような気がする。
今日は全国的に大雨なのだとか。

息子たちが小さい頃、
雨が降って外に遊びに行けず、家の中で散々暴れてケンカして…
なんとか気を紛らわそうと、よく絵本も読みました。

自分が小さい頃繰り返し読み、息子たちにも読み聞かせたという絵本が
私には何冊かあるのですが、これもその一冊です。
今は手元にないので、正確な題名も著者名も忘れていたのですが
「あめが ふりだした
 ほら きこえる」
という出だしのフレーズを覚えていたので
それで検索したら出て来ました。

「あめのひ」 ユリー・シュルヴィッツ

その名前の響きと、古びた石畳の街並みの絵から
私はてっきりドイツかチェコあたりの作家かと思っていたのですが
アメリカの絵本と出ていますね。

「あめが ふりだした
ほら きこえる
まどにぴしゃぴしゃ
やねに ぱらぱら」

雨は街にも野山にも降る。
水は流れとなってやがて川になり、よりあつまって海へそそぐ。
それだけの内容なのですが
リズム感のある詩のような文章が心地よく、
この表紙を彩っているみずみずしい青と黄色が
全体のグレーの色調のアクセントとなり、
なんとも美しいのです。
そしてやはり表紙になっている、雨上がりの絵。
女の子は、街の古い建物や空が映った水たまりを楽しげに跳び越すのです。
雨の日のなんとも憂鬱で寂しい気分と、雨上がりのちょっとわくわくする気分が
伝わってくるようです。

願わくば
大人になってもこんな気持ちを忘れたくないものです。
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縛りが解けたロールケーキ

2010年06月19日 | Weblog
友人が、最近のコンビニのロールケーキは美味しい!と激賞していたので
私もつい買ってしまいました。

セブンイレブンの「極上ロール」150円。
確かに美味しい。
生クリームになんともコクがあって、そのくせ軽くて飽きが来ない。
スポンジはあくまでふんわりしっとりなめらか。
これの特徴の一つとして、スポンジとクリームの間にカスタードクリームを
塗っているのだそうです。
だから味が単調じゃないのか…

こんな美味しいものが、こんな値段で近くのコンビニで買えるのだったら
あんなに並んで「D島ロール」を買う必要なんかないじゃない、と思うほど。
(二つ並べて食べ比べてみたらよっぽど違うのかもしれませんが)

ただ、あの不便さは、
良い意味での縛りだったのかもしれないとも思うのです。
D島ロールに限らず、美味しいケーキには目がないのですが
私のお気に入りのケーキ屋は、一個が小さくて4~500円する。
しかもケーキ屋で一個ケーキを買うというのは少々憚れるので
少なくとも2~3個は買うことになる。
となると、毎日のおやつに気軽に買うという訳にはいかないので
必然的に、何かの記念日とか、今日はあんまり疲れたからとか、
何かいいことがあったからとか何か嫌なことがあったからとか
(つまり何でもいい訳ですが)
とにかく一応理由をつけて買っていたわけです。

なのにコンビニでこんな値段で買えてしまったら
それこそ毎日でも買えてしまう。
小さくて軽いが、一個253kcal(パッケージに書いてあった)。
これは美容と健康にはかなり怖い。

しかも、商品のパッケージに添加物という言葉はありませんが
私はコンビニの食品というのは、基本的にあんまり信用していない。
以前、息子がコンビニのデザート(プリン・アラモードみたいなものだったと思う)
を冷蔵庫に入れたまま忘れてしまったことがあったのですが
一週間以上経っていたのに、見た目は何ら変化なかったのです。
自分で作ったデザートなら、2~3日でもうカビが生えたり果物が黒くなったり
プンと匂ったりするのに。
たまに食べる分には構わないと思うのですが
これを日常的に摂取するのはちょっと怖い。

だから…
やはり縛りは解けて欲しくないのです。
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よくがんばったね、はやぶさ

2010年06月16日 | 社会
ワールドカップの初白星といい、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還といい、
元気をくれるニュースが相次いでいて、本当に嬉しい。

日カメ戦にも狂喜しましたが、数々のピンチを切り抜け、
7年もの年月をかけて宇宙の果てから戻ってきた「はやぶさ」のニュースは
本当に一人ぼっちで働いていた「ウォーリー」みたいで涙なしでは読めない。
この成功のおかげで、予算削減により絶望的とみなされていた「はやぶさ2」の開発が
今、見直されかけているのですってね。

”文部科学省は麻生政権時の09年夏、10年度予算の概算要求に「はやぶさ2」の
開発費用約17億円を盛り込んだが、政権交代を受けた概算要求のやり直しで、
5000万円に激減。
さらに09秋の「事業仕分け」で3000万円にまで削られ、開発に着手できずにいた。
6月13日夜の「奇跡の帰還」を受け、「仕分け」関係者からは、手のひらを返したか
のような釈明の声が相次いでいる。”
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100615-00000003-jct-soci

手のひらを返してでも何でもいいから
私としては、是非見直して欲しい。
そりゃ借金にあえぐ今の日本に、小惑星「イトカワ」の砂が届こうが
何の助けにもならないのかもしれない。
でも、世界で初めてというこの計画の成功が、この遠大なロマンが
どれだけ私たちに夢と自信を与えてくれることか。
その精神的な効果を考えたら、17億円なんてたいした金額ではないと
私は思うのですが…

それでも
「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」
などと言うロマンのかけらも持ち合わせない輩には
是非これを見て欲しい。

よくがんばったね、はやぶさ

(私はどうしてこの台詞が許せないのか自分でもよく分からなかったのですが
この日記を書いてみてハッキリしました。)
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ブブゼラ

2010年06月12日 | 社会
昨夜、W杯第一戦(南アVSメキシコ)のライブをつけたら
テレビ画面から、ウワーンという大音響がとどろいていて驚きました。
応援ラッパの音にしてはあまりにも単調で切れ目がなく、
しかも解説も聞きにくいくらいうるさい。
まるで膨大な数の巨大なハチの羽音か、壊れたテレビの雑音のようです。
これ何?と思ったら
「ブブゼラ」という角笛のような民族楽器なのですってね。
いかにもアフリカっぽい名前ではありますが…

テレビを通してもこれだけうるさいのに
近くにいたらどんなものよ?とちょっと検索してみたら
やはり”「ブブセラ」の騒音で聴力低下? 専門家は「W杯観戦には耳栓必要」”という意見が。
”スワネポエル氏は、「ロイター通信」の取材に対し、
ブブセラから発せられる音量は、耳栓が必要とされる南アフリカの工場における
騒音レベルを上回っていると語った。
ブブセラを巡っては楽器そのものの使用を禁止することも検討されたが、
FIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター会長は、ブブセラを
南アフリカ文化の一部だとし、使用を容認している。
これに対して、スワネポエル氏はブブセラの使用禁止こそ求めていないものの、
「我々は観客に耳栓を持参することをお薦めする」と語っている。”
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100423-00000018-ism-socc

南アW杯観戦ツアーの料金はとても高く、
一週間くらいのツアーで50万円以上と新聞で読みました。
遠い・危ない・高いの三重苦を乗り越えて南アまで行って
それで難聴になった日には救われませんねえ…
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「中国行きのスロウ・ボート」

2010年06月07日 | 
先日、高校時代の文藝部の仲間が集まる機会があり、
懐かしい連中と、久しぶりに文学論なども少々交わしたのでした。
その時、村上春樹の作品の中で何が一番好きか?という話になり、
「中国行きのスロウ・ボート」の名を挙げた友人が二人いたので驚きました。
私も昔、確かに読んだことがあるのですが、どちらかというと薄い印象しかなくて
内容をすっかり忘れていたくらいだからです。
春樹の初期の短編集、ウチの書棚にもあったので
久しぶりに読んでみました。
その中で、「午後の最後の芝生」に私は一番魅かれました。

彼女に別れを告げられたばかりの大学生の「ぼく」は
夏のバイトに芝刈りをしていたが、もうその仕事をやめようと思う。
最後の仕事に行った家の女主人は、投げやりでぞんざいな話し方をするが
夫と娘をなくし、悲しみに包まれていた。
彼女は「ぼく」に娘の部屋を見てくれという。
見たところでは、この家の娘は「感じのいいきちんとした」女の子のようだった。
「ぼく」はわけもなく悲しくなってきた。

これだけの話です。
登場人物の誰もがやさしいし、誰もが寂しい。
しかし、その寂しさを共感することも、寄り添うこともできない。
関わり合うことで、孤独は更に増していく。
外では夏の日射しと蝉の声が痛いほどに溢れている…
泣きたいような切なさとやさしさと。
眩しい日射しと人の孤独が交差する一場面を
さっくりと切り取ったような、そんな作品です。
どうしてこれを忘れていたのだろう?

加えて、出てくる小道具がにくい。
ジム・モリソン、ポール・マッカートニー、FENのロックンロール、
芥子の効いたハムとキュウリとレタスのサンドイッチ、コカ・コーラ、ウオッカ・トニック。
こうして見ると、春樹の初期の作品というのは
こうしたポップで明るいアメリカン・グラフティのような小物に彩られた
切ない孤独感に満ちているなあとつくづく思うのです。
安西水丸のイラストが合う筈です。

中国行きのスロウ・ボート
コメント (2)
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「50代美容革命」

2010年06月04日 | 
婦人画報7月号。
創刊105周年記念として京都大特集が目玉で
美しい京都、おいしい京都をふんだんに紹介してくれているのですが
私がもっと気になったのは、「50代美容革命」という特集。
美容ジャーナリスト斉藤薫氏が「更年期の心と体を語りつくす」として
原稿用紙60枚の書下ろしを寄せているのです。
「女性が生涯で一番輝くのは50代」彼女はそう言い切っている。
その為には更年期世代をどう過ごすべきか?
60枚を使って様々な方法を彼女は提案しているのですが
その中で、印象的だったものを少々書き出してみます。

「50代から女を美しく見せるのは、100%知性である。
(中略)20代よりも美しくその服を着る決め手とは教養や分別でしかない。
それは大人美最大の武器。
だから毎日の外出には、必ず知性を持って出かけること。」
「大人美の始まりは、意外だけど”筋肉”にある。
(中略)筋肉をつけると体力が生まれ、体力がつくと心が前向きになる。
前向きになると、人生ことごとく楽しくなり、夜眠る時にもう朝が待ち遠しくなり、
綺麗になることが楽しくて仕方なくなる。」
「そしてもう一度、恋される。
(中略)50代の女が”女”として通用するかどうか、それをきっぱりと
分けるのは恋ができるかできないか。
”恋をする”だけじゃない、たった今誰かに好きになられるかどうか。
恋される50代であること…それだけで、後半の人生がまったく違うものになってくる。」

大変ですねえ…
綺麗な50代を迎える為には、外出の度に知性をカバンに入れ、
筋肉と体力を身につけ、そして恋して恋されなくてはならない。
ピチピチの20代の時は、素材だけで勝負できたけれども
身体的に下り坂の50代になっても尚輝く為には、それだけの努力が要る訳か…
えらいこっちゃ。

でも確かに、そうなのかもしれない。
暫く前に、朝日新聞の全面広告に草刈民代さんのオールヌードが載っていました。
「すべてをさらけ出さなければ、人を感動させることはできない」と。
それがあまりにも美しい筋肉美で、息を呑んだのでした。
いやらしさなんて微塵もなかったのです。
そんな努力までしなくちゃいけないのかと思う時点で
もう美容革命の戦線を離脱しているのかもしれない。
結局、「美しい50代」を迎えることができるのは
ほんの一握りの、その覚悟と努力を身につけた人、という気がする。
ちょっと気を抜けば、オバサン道まっしぐらという訳なのですね。
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魚心あれば水心

2010年06月01日 | 社会
ミラノ在住の友人が、イタリアの先生への御礼事情について愚痴っていました。
それによると向うでは、クリスマス・学年末の度に先生への御礼として
クラス(の親)からプレゼントを渡すのだそうです。
貴金属であったり、ブランドバッグであったり、「エステ券」を欲しがった先生も
いたのだとか。
御次男の卒園の際にはブランドバッグをクラスの皆で買い、一人当たりの負担は
18ユーロであったとか。
大変ですねえ…

ありがたいことに私は、そういうのとは無縁で過ごしてきました。
息子たちの学校の先生に、個人的にお中元もお歳暮も御礼もしたことありません。
もっとも私はそういうことが好きじゃないし
ウチの息子たちは、小中までは地元の公立校だったので
例えばずっと私立に行ってる場合はどうなのかわかりませんが。
でも少なくとも日本では、そういうことをするとしても、こっそりという感じですよね。
堂々とエステ券を要求するとは…
恐るべし、イタリア!

「魚心あれば水心」
私はこれを、”下心を持って近づけば相手もそれに答える”といった悪い意味に
解釈して、皮肉をこめてタイトルに使ったのですが
ふと次男に訊いてみたら、”求めよされば与えられん”のように良い意味に思ってたという。
ええ!?
検索してみたら、確かに元々は良い意味だったのですね。

”「魚、心あれば、水、心あり」の魚と心、水と心が一語化したもの。
相手に対する好意。魚に水を思う心があれば、水も其の気持ちをくみとるであろうということ。
http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2005/05/post_21.html

更にこんな解説も。

”この言葉が有名になったのは、江戸時代の芝居「関取千両幟」で
「金を出して暗に八百長を頼む」にあたって「「魚心あれば水心」
というセリフが使用されたことからであります。
本来は「好意をもって接すれば、相手も好意をもって応ずるものだ」
という意味だったのですが、
この芝居以来、この言葉のイメージは江戸庶民にとって悪くなり、
「役人と商人とのなれあい(悪事についてのもちつもたれつ)」の意味で
使用されることが多くなっています。
だから、本来は悪い意味ではなかったのですが、江戸後期以降は
悪いイメージがつきまとう言葉になりました。”
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413229019

知らなかった…
下のサイトにある、
「雉子も鳴かずば打たれまい。魚心あれば水心。お前もワルよのう。ムフフフフ」
という使い方が、私のこの言葉に対するイメージとしてはピッタリです。
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