Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

やっぱり…

2011年11月27日 | 社会


前回の日記について意外に反応が薄かったので
こんな風に感じるのは私だけなのかとも思ったのですが
今日になって脱原発ポスター展の事務局ブログに
こんなメッセージを見つけました。

”No Fukushima という表現について
No Fukushima と No More Fukushima という表現について、これまでは「福島で起きた悲劇は繰り返さない」という意味と理解し、問題と考えていませんでした。No More Hiroshima と同じ意味だと考えていたからです。

英語圏の人に聞くと、海外にいる人が聞けば、確かに上のような意味に理解するのが普通だが、福島の人にとっては失礼な言い方になるかもしれない、とのことで した。つまり、「福島お断り」「福島はもう要らない」のような意味になりかねないと。もし自分が No Japan や No More Japan と言われたらどう感じるか?と言われてみると、確かに違和感を覚えます。

広島の人々が、No More Hiroshima という言葉を使っているように、この言葉が「悲劇を繰り返さない」という意味として定着し、福島の人々自身もそれを使う時期が来れば、問題はないでしょ う。しかし、福島から避難した子供たちが、いわれなき差別を受けることが懸念されている段階では、この言葉を使うのは時期尚早なのかもしれません。今、発 せられるべき言葉はむしろ、Save Fukushima のほうではないでしょうか?

したがって、もし事故を繰り返さない、という意味の言葉を使う場合は、No More Nuclear Disasters のような言葉を使うことを推奨します。また、その時期が来るまでの間は、No Fukushima および No More Fukushima の言葉を使っているポスターは表示しないことにします。すでに投稿している方は、修正の上、再度投稿をお願い致します。

この例のように、意図はなくてもその内容が失礼な意味になったり誤解されたりする可能性もあります。特に英文のメッセージを使う場合は、その意味や聞こえ方を十分考慮して、できるだけ分かり易い言い方を選ぶようお薦めします。”
脱原発ポスター展事務局

http://blog.nonukeart.org/post/5784365827/no-fukushima

ああやっぱり…
なんだかホッとする思いです。


最近のタロウと小さなベランダの写真。
以前は季節ごとに花を植え換えていましたが
今はもう面倒で…
多年草で丈夫なゼラニウムやアイビー類に頼っています。
それでも季節毎にささやかに彩ってくれています。


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No more!!

2011年11月25日 | 社会
「反原発ポスター展」なるものが
渋谷で開かれているのだそうです。
”放射能の恐怖は、日本中に拡散、収束する日を知りません。
反原発は、イデオロギーではなく命の叫び、理性の声です。
ここに全国のグラフィックデザイナー・イラストレーターから
寄せられた200点を越すポスターの力作を一堂に集めました。
さらにドイツ、アメリカ、ロシア、フィンランド、ポーランド、
ハンガリーの著名デザイナーから送られてきたポスターとあわせて展示します。”
というもの。(反原発ポスター展HPより)
U.G.サトー

ネットでそのポスターの色々を見て
その迫力に圧倒されると共に、ある違和感を覚えました。
「No More Fukushima」というコピーをつけたものが結構あるのです。
言うまでもなく「No More Hiroshima」と同じで
「福島で起きた悲劇は繰り返さない」
という意味なのでしょうが…
広島については違和感など感じたことないのに。
何故だろう?
佐藤 文

広島に原爆が落とされ、街が壊滅したことは誰もが知っている。
でもその後、人々は必死に復興に励み、街は見事に立ち直った。
それどころか以前よりも遥かに発展している。
だからこそ「No More Hiroshima」という言葉も
おおらかに受け取められるのかもしれない。
しかし福島は?
原発はまだまだ収束の目途も立たず、人々は自宅に帰ることもできない。
仮設住宅やあるいは県外に避難し、あてどもなく帰る日を待っている。
そんな時、「No More Fukushima」の字を目にしたら?
これは福島の人にとっては失礼な言葉になるのではないだろうか?
泉屋政昭+横山愛乃

もっとも心血注いで反原発ポスターを作った人に
福島を貶める気があったとは到底思えないのですが。
言葉って難しいですね…
福田 毅


「反原発ポスター展」http://www.stopnuclear.net/index.html
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不眠症の猫

2011年11月23日 | 

今日の朝日新聞に、可愛い猫のイラストがついた広告が載っていました。
藍色の画面の中に、白いパジャマを着た猫がパッチリと目を開けている。
「眠れない。でも薬なんて…って思っていませんか?」
エスエス製薬の睡眠改善薬の広告。

それを見て、中学生の頃好きだった詩を思い出しました。
「不眠症の猫」という名前で、詩集というか随筆集というか、
詩やエッセイや印象的な絵が詰まった本に入っていました。
万里の長城に不眠症の猫が棲んでいた。
気の遠くなるような孤独の中にずっと眠らないで生きていた…
多感な時期、そのイメージが妙に鮮烈で
私は何度も何度も読み返したのでした。
でもその後、そんな少女趣味が妙に気恥かしくなって
その本は捨ててしまった。

あれは一体どういう本だったのだろう?と
「不眠症の猫 万里の長城」で検索してみたら
こんなページがヒットしました。

「万里の長城に猫が一匹棲んでいました。
高い空で月はしんとあたりを静まりかえらせています。
とても眠たいのに眠れない猫は大きな眼をみひらき、
石に爪をこすりつけてみたりしたのです。
一匹ぽっちの猫のぐるりには葉鶏頭が咲いています。
その鮮明な赤は猫の眠れない脳細胞に血が滲むようにして拡がり、
今まで収集してきた記憶と重なって不眠を一層深くするのです。
脳裡にある灰色円形スクリーンに投影される記憶の財産目録を
不眠症の猫は一つ一つ数えあげてみました。
すでに沈下した記憶を掘って行くのは
きのうの日記を読むようなものでした。」
http://antiageneko.seesaa.net/article/106208922.html

ああ、これだ…
詩集『恋するアリス』の中の故・岸田理生さんの短編なのだそうです。
これ以上の情報がないのは残念ですが
昔の恋人に逢えたような嬉しさがあります。

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姿を見せない理由

2011年11月20日 | 社会
昨日、ブータン国王来日についての記事を色々読んでいて
雅子妃の姿が何処にも見えないことに気が付きました。
天皇陛下が気管支炎で入院なさり、皇太子がその名代として国王夫妻を出迎えた時にも
宮中晩餐会にも、何処にも見当たらない。



確かごく最近、愛子さまの校外学習や入院に付き添われたというような話を
聞いたような気がするのに何故?と思ったら
やはり同じことを考える人はいるようで
「ブータン国王来日に何故雅子様は姿を見せない?」という質問がYahoo!知恵袋に。

その答えとして色々な意見が出ているのですが
まあこれはネットの井戸端会議みたいなもので
私としては、どれも鵜呑みにする気はない。
しかし雅子妃が今、巷でこう思われているのだということがよく分かって面白い。

「本当に無礼。わざわざ日本に来てくれたのに」
「愛子様の毎日の学校の付きそいや、私的な用事には参加なさり、公務はしない」
「精神的な病気を装って都合のいいことしかしない人」
「公的行事には体調の波があって出られないといういいわけを受け入れられる人でも、
実娘のお見舞いには泊まりこみでいけるのに義理の父親のお見舞いには
短時間ですらいけないというのは誰しも不可思議に感じるでしょう」
「皇太子御一家は今や日本の恥です」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1175614811

ここで紹介されている、デビ夫人のブログというのも見てみました。
デビ夫人が皇位継承問題で署名活動した背景には
こういう言い分があったのですね。
”雅子妃は、被災地に100万ドルもの寄付をなさった国王のお迎えもご挨拶もなさらない。
国賓としてお越しになることは前もってお判りだった筈。
体調を整えておくのは当たり前の礼節であり、皇太子妃としての義務であり、責任であります。
公務はしないが、異常な娘の付添い登校は 2年近くも毎日出来る。(中略)
18年間、遊興、ご静養、スキーなどはお出来になるが
両陛下への拝謁は 怠り、天皇陛下のお見舞いにも行かず、 
天皇家ご家族との お食事会には出席しないが、
小和田家との食事会のためな いつでも外出する。
皇太子妃としての 認識、自覚、ご覚悟のない方に皇太子妃は務まりません。”
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11081274801.html

昨夜の京都晩餐会の歓迎行事でブータン国王夫妻は
お着物に着替えて出席されたそうですね。
茶道体験のためらしいけれど、この心配り、日本人にはたまりません。
「着物を着たお客様は迎賓館始まって以来」と知事も地元紙もメロメロだと。
21歳の若い王妃がここまで気配りを見せるのに。
雅子妃が子どもの都合では動けても他のことはできないというのは
あまりにもあからさまなだけに、やはり心の病気のせいとしか私には思えません。



私は別に皇室擁護派ではないのですが
たまたま学生時代、浩宮皇太子殿下の割と身近にいたのです。
彼の腰の低さ、物腰の柔らかさを少しばかり知っているだけに
是非、お幸せになって欲しいと願わずにはいられないのです。
18年前の御成婚の際にはお二人も、今回のブータン国王夫妻に負けないくらい
輝いて見えたのに…

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この人と思える人

2011年11月19日 | 社会
昨日の写真があまりにおぞましかったので口直しに
来日中の初々しいブータン国王夫妻の写真を。
絵に描いたような美男美女!


31歳のワンチュク国王が、一般家庭出身の大学生というジツェン・ペマ王妃と
何処で知り合ったのか興味深いところですが
少々検索してみても、確かそうな情報は見つけられませんでした。
”2人は17歳と7歳のとき出会い、「大人になったらお嫁さんにしてください」という少女に、
「そのとき独身だったら妻にしたい」と答え、10年後に再び出会って交際になったのだそうだ。”
というのもありましたがワイドショーネタだというし、
国王の方が一目惚れしたという説もあるようだし、信憑性の程はどうも…
http://www.j-cast.com/tv/2011/11/18113540.html?p=all



ただ、結婚式の時のワンチュク国王のこんな言葉を見つけました。
Speaking briefly to the media,
King Jigme Wangchuk said he was really happy.
“I have been waiting for quite some time to get married.
It doesn’t matter when you get married as long as it is to the right person.
I am certain I am married to the right person.”
取材陣に対して手短に答えて、
ジグミ・ワンチュク国王は私は大変幸せですと言った。
「私は結婚するまでずいぶん長い間待ちました。
この人と思える人と結婚できたのですから、それは問題になりません。
この人と思える人と結婚したと確信しています。」
http://英語.biz/archives/502

慣れ初めがどうであれ、この言葉で十分という気もします。
お二人はあまりにも輝くばかりに幸せそうに見えるのですから…



「幸福度が世界一高い国」というブータンについては
以前こちらで書いています。
http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/3cace3e9891113562216fe4337fb5bff
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見るに耐えない

2011年11月17日 | 社会
先ほど、TVのニュースを見ていて目を疑いました。
オバマ大統領と中国の胡錦濤国家主席がキスをしている写真が画面いっぱいに。


次には金正日総書記と韓国の李明博大統領のキス。


イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長のキス。

呆気に取られていたら
これはベネトンの広告なのですと。
やられた…
同社は「人々や異文化間の相互理解を平和的な形で深めるため」と
趣旨を説明しているのだそうです。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111117/erp11111712140004-n1.htm

ベネトンと言えばもう何年も
エイズや人種差別や死刑制度などの社会問題について過激な写真広告を出すことで
知られています。
瀕死のエイズ患者や、画面いっぱいのコンドームの写真や、血まみれの兵士の服などの写真。
下の写真は、エイズ患者への差別に反対するキャンペーンのポスター。


言葉の説明などいらない、圧倒的な迫力でもって我々に訴えてきたように思うのですが…

しかし今回の合成写真は
相互理解を深めるどころか、嫌悪感を余計に増長してしまうように思うのは
私だけでしょうか。


オリビエロ・トスカーニによるベネトンの広告
(久しぶりに見たらやっぱり凄い)
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm
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ボクにはできない

2011年11月14日 | Weblog
若い頃、特に思春期の頃は
激しい劣等感に悩んだものです。
容姿が原因であったり、能力や性格であったり。
歳を重ねるにつれ、鈍感になったのか開き直ったのか
あまり感じなくなりましたが。
それは人間世界のことだけだろうと思っていましたが…

ここまであからさまに能力の違いが分かると
犬でも落ち込んだりするのかしら?
しょんぼり茂みの中にもぐる犬に訊いてみたいものです。


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Me, too!!

2011年11月10日 | 社会
友人が面白いチャイニーズ・ジョークのサイトを教えてくれました。

例えばこんなもの。
”世界の教育事情、何年勉強しても、絶対に身につかないものは?
「日本人の英語教育」「アメリカ人の反戦教育」「ロシア人の道徳教育」「イタリア人の性教育」、
そして「中国人のマナー教育」”

そして一番笑えるのがこの動画。
これは文句なしに面白い。
「Who's the leader of China?」 (胡錦濤= Hu = who)




これは笑えるのですが
ここに何故か、10年以上前の森首相とクリントン大統領の会見の際のジョークが載っている。
”森首相はクリントン大統領に"How are you?"と言うべきところを"Who are you?"と尋ねてしまった。
アメリカ大統領は大いに驚いたが、ユーモア精神を発揮して"I'm a husband of Mrs. Hillary."
と答えた。すると我らが首相は"Me, too."と答えた。”

というものですが…
これは当時かなり騒がれたので私も覚えていましたが
しかし一国の首相ともあろう人が、本当にこんな失態を演じるのかな?
という疑問も感じていました。
改めて検索してみたら、Wikipediaにも載っていました。

「Who are you ?捏造報道」というもの。
”2000年5月5日に、日本国内閣総理大臣森喜朗とアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンの間で行われた会談において、森が失言したと虚偽報道された事件。一部報道機関、著名人が事実として取り扱ったため、噂の対象となった森はこれを批判し、内閣退陣後もマスコミのあり方に疑問を呈した。
後に毎日新聞論説委員の高畑昭男が、自分が創作したジョークが、事実として広がり報道されたと述べている。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/Who_are_you_%3F%E6%8D%8F%E9%80%A0%E5%A0%B1%E9%81%93

私としては、こちらが本当だと信じたい。
それにしても一度広がった噂というものは怖いものです。

チャイニーズ・ジョークはこちらより
http://ochimusya.at.webry.info/201111/article_7.html
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花丸とハンコ

2011年11月09日 | 家庭
昨日の朝日新聞の「ひととき」に
小学一年生の孫の絵日記に先生が書いてくれた寸評に感動した、という投稿がありました。
”スポーツを頑張った日は
「がんばったね、オリンピックも夢じゃない。先生も器械体操してたよ」と
励まして下さった。
子どもの感情に溶け込み、愛情で包まなければ、こうした感想は書けないだろう”と。

それを読んで、自分の小学一年生の時の担任の先生を思い出しました。
小柄でニコニコした熟年女性の山本先生。
何がきっかけで始まったのか忘れましたが、私は作文を書いて先生に届け、
先生はそれに赤ペンで丁寧に寸評を書いては返して下さったのです。
小さな字で、時には1ページぎっしり埋まるほどに。
私はそれが嬉しくて、またせっせと作文を書いては先生に提出したものです。
1年間でそれは学習帳10冊以上にも及び、今も実家に取ってあります。
私がいまだに下手ながらも書くことが好きなのは
あの先生のおかげに違いないと思っています。

息子たちが小学校一年生になって夏休みを迎えたとき、
私は作文だけは書かせようと思ったのでした。
(彼らはその後どんどん手に負えなくなったが、この時はまだ私の言うことを聞いた)
2学期が始まって提出した長男の作文帳には
いくつもの作文が入ったノートの最後のページに花丸と
「楽しい夏休みでしたね」という赤字の寸評がついて返ってきました。
次男の時は、やはり最後のページに
「大変よくできました」という既成のハンコが押してありました。
息子たちがその後、二度と作文を書こうとしなくなったのは
言うまでもありません。


長男の作文帳

子どもの拙い作文を読んで心のこもった寸評を書けというのは
忙しい教師にとっては酷なのかもしれない。
それでも、もう少しだけ子どもの心を受け止めてくれたらと
思わずにはいられなかったのでした。
というか、私がああいう教師に出逢えたことが幸運であったのか…

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呪縛は解けたのに

2011年11月07日 | 家庭
我家の中で、長男は一番ウルサイ男だったのです。
衣食住すべてにおいて。
その長男が、柔軟仕上げ剤はダウニーのエイプリル・フレッシュと決めていたので
ウチではそれを長年使っていたのです。

その長男が社会人となり、名古屋支社に配属になったのが去年の春。
以来一年半も経つのに、そういえばまだ私はそれを使っている。
長男の言うことなんてもう気にしなくていいのに。
世の中に柔軟剤はいくらでもある、違うのを使ってみよう!
だけどあまりにもたくさんの柔軟剤が溢れていて、何を使っていいのかわからない。

と思っていたら、グルーポンで面白いものを見つけました。
ダウニー5種類が一回分5袋ずつセットになって800円!
これなら色々試せると思って早速頼んでみたのでした。
配送されてきたのは写真のようなもの。



ダウニーアロマフローラル
ムーンフラワー(月夜に輝く花の香り)
シンプルプレジャー スパイスブロッサムデア(甘い花の香り)
マウンテンスプリング( やさしいフレッシュグリーンの香り)
サンライズフレッシュ(太陽の爽やかな香り)
もっともいずれもアジアン・ダウニーで、英語の説明がないので
正式名は分からないのですが…

私は喜んで毎日違う種類を使ってみたのですが
我家の残る二人の男に、非常に評判が悪い。
「ドイツもコイツもクソ甘ったるい」(次男)
「きつすぎ!頭が痛くなるからやめてくれ」(夫)
駄目じゃん…
確かにどれもこれも、非常に強い、クセのある匂いなのです。
こうしてみると一般的なダウニー、エイプリル・フレッシュ(スィートポプリの香り)は
なんと控え目で優しい匂いであったことか。

私は別にダウニー心酔者ではないのですが。
日本にまだ柔軟剤もダウニーも一般的ではなかった30年以上も前、
アメリカ人の友人の服からなんともいい匂いがして
その原因がダウニーであると知ってから、なんとなく使っていたのでした。
アトピーが酷かった長男の幼少時代を除いてずっと。
今は国産もいいものが色々出ているみたいだし、変えてみようかな。
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