への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

たび先ランチ やま六

2021年12月31日 | ランチ

愛知県蒲郡市竹島水族館に行った日、水族館近くの三河雑魚肴房(みかわざここうぼう)やま六でランチをしました。

 

入口に、正月飾りが出されていました。

開店前に行列ができました。見たところ、地元の人です。

期待できるかな

 

店内に入ると、真ん中にコの字型にカウンター席があって、その両サイドには小上がり席がありました。

 

われわれは、小上がり席にあがりました。

ネットの公式ページにはランチメニューがありますが、お店には見あたりません。隣の客が店員に尋ねると、「ランチはありません」との返答でした。どういうことでしょう? 仕方なく、テーブルにあったメニューから選びました。

 

孫が選んだのは、マグロ丼(税込750円)です。

子供向きのミニ丼だね

 

奥さんが選んだのは、カキフライ定食(税込1500円)です。

カキが5つのった皿には、ポテトサラダと生野菜がついていました。それと、がんもどきと野菜の煮物の小鉢、ご飯、赤だしに漬物です。

カキは大粒で、ぷりぷりだわ

 

への次郎が選んだのは、雑魚御膳(税込2500円)です。

煮魚、お刺身6種盛り、ヒジキ・タケノコとおくらを煮た小鉢、ご飯、赤だし、漬物にデザートです。

煮魚とヒジキは、醤油味が強いなぁ

 

食材の鮮度はどれもよかったですが、お値段が割高でしたね。

                                       


竹島水族館に行きました

2021年12月30日 | 遠出

帰省した孫を連れて、愛知県蒲郡(がまごおり)市にやって来ました(2021/12/29)。

ここに、およそ500種類、約4500匹の生き物を展示している竹島水族館があります。民間の、小さな水族館ですが、年間50万人近くが訪れる人気の水族館です。

 

ここは年末年始もありません。冬休み期間中は、休館日もありません。

ファミリーには、ありがたい

 

で、行ってみると、やはり行列。新型コロナ対策で、入場制限をしていました。

 

20分待って、入れてもらいました。

入館料は小学生200円、大人500円。破格の安さです。

 

ここは深海魚が目玉の一つ。深海に生息するタカアシガニの標本が出迎えてくれました。

 

水玉の服をまとったようなヒラメ型の魚です。

 

こちらは、凶悪な”海のギャング”ウツボのアジトです。

住み家の素材は、常滑産の土管かな

 

こちらは、善良な?小魚君の集合住宅です。

安あかりなブロック製だ

 

これはアリゲーターガーかな

 

カピバラ君、人気のショーが中止になり、手持ち無沙汰そうでした。

どこか元気がないなぁ

 

きれいなサンゴ礁と小魚です。

サンゴは人工か? 本物か?

 

解説を読んでガッテン! これ、抱き合う二匹のサメです。恋に燃えていました。

子供には、毒だ!

 

こちらの魅力の一つは、おもしろい手書きの解説です。

解説を読み終えた小学生の女の子、うなづいていました。

 

出口に近いところにやって来ました。ちょうど、アシカショーの真っ最中。

演技を終えて、子供たちに拍手を求めるアシカ君。

 

こちらは、有料のエサやりコーナーです。

 

ここは、タカアシガニのおさわりコーナー

 

顔出しパネルも。ファミリーが顔を出していました。ちょっと撮らせてもらい、パチリ。

 

最後はお土産コーナーです。

竹島水族館限定の商品のオンパレード。商売上手です。

 

これで孫も、東京の友達に一つ土産話ができました。

よかった、よかった

                                         


岐阜公園の周辺を散策しました

2021年12月28日 | 散策

岐阜城から下りてきて、岐阜公園とその周辺を散策しました(2021/12/22)。

 

ロープ―ウェイの駅の南にくると、

織田信長の館跡の入り口だね

 

入って行くと、

発掘が進められているところでした。このあたりの地形は、斎藤家によって造られ、信長によって現在のものにされました。

 

信長館跡からさらに南に行くと、銅像がありました。

見上げると、

おっ!板垣退助だ

 

説明書きによると、かつてこの場所にあった建物で演説したあと、ここで暴漢に襲われ刺されたそうです。

   奥さん  「『板垣死すとも自由は死せず』だね

   への次郎 「昔の政治家は、命がけだったんだよ

 

さらに南に行って、岐阜公園を出たところにお寺がありました。正法寺というお寺で、ここに大仏があります。

この大仏殿、ちょっと雰囲気が違う。中国風かな

 

中に入ると、

おっ!  大きい

高さ13.7m、日本三大仏の一つだそうです。

 

右から見ると、

 

左から見ると、

骨格は木材で組み、外形は竹で編んだ上に粘土や経典を貼り、さらにその上に金箔を貼っているそうです。

 

正面に戻ってきました。

   奥さん  「穏やかな表情だね

   への次郎 「そうだね。いい正月を迎えられそうだ

 

合掌し、しばらくその表情を見上げていました。 

                                                                                                                                                           

 


岐阜城に登りました

2021年12月26日 | 散策

岐阜市長良川河畔にある寅さんのロケ地を散策したあと、金華山のふもとにある岐阜公園にやって来ました(2021/12/22)。

 

見上げると金華山の上に、お城が小さく見えました。300ミリの望遠レンズでのぞくと、

岐阜城だ!

 

金華山は標高330m。登山道は急峻です。登っていく人もいますが、はっきり言います、

老兵には無理です!

 

で、迷わずロープーウェイの駅に向かいました。

斎藤道三の旗が出迎えてくれました。後ろは大正天皇の即位を祝って建立された三重塔

ありゃ!?  カメラが傾いたかな

 

切符売り場にやってきたら、

   受付の人 「大人往復1100円になります

   への次郎 「で、あるか」  

   奥さん  「やめなさいよ! 信長の真似は

 

乗ると、4分で一気に頂上に。

向こうに見える川は長良川です。

 

頂上に着きました。でも、お城は見当たりません。ここからは、徒歩で接近です。金華山の山肌を見ると、

チャートだ!

 

登っていくと門があって、その先に黄色い織田の旗が見えてきました。

織田信長の時代は、このあたりまで馬で登って来る武士もいたそうですよ。

 

その先で、石段がさらに急になりました。

見て! 前の人たち、くの字の脚の形、シンクロしている

 

なぬっ! イノシシ兵!?  くわばら、くわばら

どうも、このあたりが人とイノシシとの攻防ラインのようです。

 

看板を過ぎて、「お城か」と思ったら、城はさらに先。みなさん、ここで一服です。

天守閣へは、右にまっすぐ行っても、左の階段からでも行けそうです。で、右回りで行って、帰りは左の階段に下りて来ることにしました。

 

やがて石垣の上に、天守閣が見えてきました。

もう一息だ

 

織田の旗が林立している。近いぞ!

 

イノシシに遭遇することなく、無事到着。

こちらから城に入ります。入館料は大人200円なり。

 

現在の岐阜城は、鉄筋コンクリート造りの3層4階構造の歴史資料館になっていました。撮影できる展示物もあって、例えば、

織田信長公木像。本物は京都の大徳寺総見院にあります。

 

さらに、

南蛮甲冑

信長といえば、これだね

 

展示品を見ながら最上階にのぼると、ぐるっと展望台があって。

西の方向を見ると、長良川の向こうに雪を頂く伊吹山

伊吹山から冷たい風が吹いてきていました。こちらでは伊吹おろしといいます。

 

こちらは南東、名古屋の方向です。よく見ると、真ん中に薄っすらと名古屋駅ツインタワーが見えました。

真っすぐ右上に伸びた道は東海北陸道です。信長が岐阜城に入る前にいた清州城は、この高速道の先の方にありました。

信長も、この高さから見ていたのかなぁ

 

天守閣から下りて、下り坂のところで振り向くと、

この角度、絵になるなぁ

ベンチに座り、しばらく天守閣をながめたあと、ロープーウェイの駅に向かいました。

 

                                       

 

 

 


寅さんのロケ地を行く 長良川

2021年12月24日 | 寅さん

岐阜市長良川河畔にやって来ました(2021/12/22)。1987年の夏、ここで『男はつらいよ 第38作知床慕情』のラストシーンの撮影が行われました。

 

夏の長良川といえば、鵜飼です。例年、5月中旬から5か月間行われますが、一番賑わうのは夏です。その夏の鵜飼が無事に行われるよう、毎年七月中旬、長良川河畔にある新明神社で水難防止と鮎供養を兼ねた「長良川まつり」が行われます。そこに寅さんがやって来るという設定で、撮影が行われました。

 

映画が最終場面にくると、長良川に来ていた寅さんからとらやに届いた暑中見舞いが読まれます。

読み終わると画面は、とらやから長良川河畔に切り替わります。

 

長良川のどこかというと、地図に印がついている新明神社の前あたりです。

長良橋から撮影現場を見ると、現在はこうなっています。印の場所は、写真真ん中にある舟の少し向こうになります。

 

さて映画では、長良川河畔を岐阜第一高校のブラスバンド部が行進するなか、寅さんが暖簾をかき分け、うなぎ屋から通りに出てきます。

残念なことに、うなぎ屋は、もうなくなっていました。犬の散歩をしていた人に尋ねると、平野屋さんだそうです。確かに画面には、「野屋」の文字が映っています。うなぎ屋の跡地は、隣のホテル石金の駐車場になっていました。

また、撮影当時この道は対面通行が可能で、交通量もありました。しかし現在は、この地域にある旅館やお店の関係者を除き、車での通行はできなくなっていました。

 

寅さんは、行進する隊列の間を横切って、向こうに渡ります。

橋の欄干のようなガードレールは、当時のままです。右に見えるのが長良橋です。

 

道路を横切った寅さんは、上からオレンジ色のテントの店をのぞきます。

うなぎ屋の後ろの建物は、屋根の上にあった看板が取り払われ、色はベージュに塗り替えられていました。また新明神社に植えられていた木々は切り倒され、神社の駐車場になっていました。

 

寅さんの視線の先では、店を出したポンシュウがうたた寝をしています。

ポンシュウの店は、階段を下りた左にありました。

 

ポンシュウのところに下りて行った寅さんは、岐阜の暑さに弱っていたポンシュウに代わって商売を始めます。自慢の啖呵売の炸裂です。

長良川の対岸に、山裾が見えます。この山は、岐阜城がある金華山です。行った日は、ここに舟が置かれていて、うまく写真が撮れませんでした。角度が少し、ずれてしまいました。

 

商売を寅さんに任せたポンシュウは、川岸にとまっていた屋形船の近くに下りて行きます。

コンクリートの階段と緑色に塗られた2本の鉄柱は、当時のままでした。

 

終わりを告げる音楽のボリュームが上がると、画面は金華山の上から見た長良川河畔の光景に切り替わります。

この光景を撮れるのは、当時は金華山山頂の岐阜城天守閣でした。そこから見おろすと、駐車場になったうなぎ屋の跡地や、木々がなくなった新明神社がしっかり確認できました。

 

レンズが徐々に引かれて画面は長良川の北方の遠景になり、映画は終わります。

撮影当時と比べると、ビルが少し増えているようです。

 

この映画が撮影されて、すでに30年以上が経過しました。寅さんが出てきたうなぎ屋はなくなり、新明神社の木々は切り倒されていました。また新明神社の前の道は交通規制がされていて、一般の車は自由に通行できなくなっていました。歳月の経過を感じさせられました。しかし長良川の流れや金華山のたたずまいは当時のままで、ほっとしました。